2021年5月2日日曜日
フジコ・ヘミング コンサート
2021年2月11日木曜日
変わりゆくもの
ニコン 今期500億円の赤字見込み、昨年は175億円の赤字、今期の赤字の主な原因は新型コロナウィルスの影響 大だと、実質はデジタルカメラ市場の急激な縮小に対応できていない為、
昨年秋 カメラ屋久々回ってみたら、あらら、いわゆるコンデジ ほぼ消滅、特に低価格のコンデジはほぼなし、高倍率ズームとかレンズがいいやつとかは、まだなんとかあるが、このあたりも難しそうだ、唯一一眼レフコーナーは縮小はあまりなさそう、
原因は知っての通りスマホの台頭、とりわけ最近のはレンズが2個、3個ついてて、かつて難しかった望遠、広角もレンズ数を増やすことで改善してきている。
オリンパスもカメラ事業撤退、カシオも止めた、ペンタックスは名前こそ残っているがリコーの傘下、次はニコン?
ニコンはカメラ光学部門が大きく(精密機械分野もやってるらしいが?)カメラがこけるとそれ以外での収益が非常に厳しい、
一眼レフ市場も様変わりして、最近はミラーレスがかなり幅を占めてきた、ミラーレスでリードしているのはソニーだ、ソニーはコンデジでサイバーショットというのをかつてやっていたが、ミノルタが行き詰まってソニーが引き継ぐ、
いやーこれが功を奏したというかその後ソニーは一眼レフ参戦、いち早くミラーレスで勝負をかける、
自分もかつてミノルタのα7000所有、これは良かったなー、この技術を受け継ぎかつミラーレスで勝負をかけたソニー、最近プロのカメラマンでもソニーに鞍替えってのをちらほら見かける、
対するキャノン、プロカメラマンの御用達と言って良いくらいのキャノンだったがミラーレスにはちょっと遅れを取っている、
ミラーレスにはちょっと問題があった、なにせペンタプリズムで直接被写体を見れるのに対しミラーレスは一度デジタルに変換してファインダーを見ることになるので、タイムラグが発生する、がこの問題も最近かなり改善されている、
ニコンも昨年あたりからミラーレスの一眼レフを投入しているが、かなり他社より遅れている、
オリンパスが光学部門を止めたのは衝撃だった、ここはマイクロフォーザーズに特化、オリンパスPenといえばちょっとカメラ好き女子にターゲットを向けたミラーレスで一世風靡、レンズもプロには好評でオリンパスで無ければというプロも多かったが、そんなメーカーもカメラ部門撤退(もっともオリンパスは企業体質にかなり以前から問題があったみたいだけど)
それからソニーは総合エンタメ企業、キャノンも光学部門以外にもあれこれやっているが、こうしてみるとニコンはかなり厳しい、
フジフィルムはかなりこだわったモノを出している、いづれの機種もどちらかというとレトロ、ミラーレスだがどこかフィルムカメラの雰囲気だ、
フジフィルムはフィルム時代からデジタルの変革になんとか鞍替えして生き残っている、フジフィルムと言う名前は残っているが、液晶とかそういえば化粧品もCMしてるな、
パナソニックはマイクロフォーサーズでずっとやってきたが、遅ればせでフルサイズミラーレスを投入、
とにかくカメラ市場自体は縮小しているのでどこも厳しいところだ、
実際自分の場合考えたら?ニコンのD7500、パナソニックのGX7MKⅡを所有しているが、実際カメラを使うのは残念ながらスマホが多くなっている、なにせすぐ手元にありすぐ写せてしかも高画質、こりゃ厳しい、
同じく最近の報道でオンキヨーの苦戦を報じていた、かつてのオーディオっていう言葉が死語になりつつある昨今、サンスイとかアイワとか無くなったメーカーは数知れず、その中でなんとか生き残っていたオンキヨーなんだが、
デジタル化の波は恐ろしいくらいの変革を遂げている、
かつてを振り返るとレコードやカセットテープがCDというデジタルに変わってそれが今はネット配信とかに変化している、音楽産業の収益構造も大きく様変わりしている、
企業は時代のニーズを先取りしていかないと生き残れない、GAFAなる世界を席巻する、AIがかつて人間業では絶対に出来なかった事をやる、そんな時代だ、
こうなると3年後5年後ましてや10年後どうなってるんだろうな?
2021年2月3日水曜日
今私たちの目が危ない
NHKで”今・私たちの目が危ない”というのがあった、
自分の目は昨年白内障手術により裸眼視力は0.3~0.5位の視力になっている、
この番組を見たら自分の近視変遷と昨今の近視事情が結構合致してるようなのでちょっとたどってみた。
元々は強い近視0.02位であった、自分の近視変遷をたどってみると
初めがねは小学校のときから、当時の小学生でめがねをかけているのは本当にまれで学年でもほとんどいなかった、その頃の視力は0.2~3位では無かったか?
最近は小学生でもめがねを掛けた子をよく見かける、現代っ子はゲーム、スマホ、エトセトラ、とにかく近場を見る機会が圧倒的に多い。
自分が近視になった原因は、元々弱かったのかはわからないが、小学校低学年頃はテレビが普及、その中でもとにかく夢中になったのがウルトラマン、そしてアニメ、
テレビにかじりつく感じで見ていたらしく親からは離れろ、離れろといーっつも言われていたのを覚えている。
めがねになる前はいつも席は最前列、回りにめがねの子供はいなかったのでこれは結構きつかったなぁ。
もう一つ問題があった、見えにくいな、となりかけたとき、近くに眼科があった、女医だったが、近視なのに毎回注射、今では考えられないが注射なのである、そんな通院を2年くらい続けた、こりゃ今じゃ医療事故だ、一体何の注射だったのか?
その後中学高校とガンガン悪くなって成人過ぎた頃は強度近視の0.02位では無かったか?
なんか悪くなる、めがねを変える、いっときはいいが又悪くなる、又めがねの強度が上がる、を繰り返していたような?
この事を番組ではめがねを合わせるときの問題点を指摘していた、遠くが見えにくくなるので遠くが見えるように合わせる、がそれだと近くを見たときかなり無理をするそうだ、
ちなみにコンタクトだとこの問題は発生しにくい、
テレビはある程度離れてみるようにはなったが、子供の時が災いしてかインドアの多い日々になり、遠くを見る機会は少なかった。
その結果近くでは合わないめがねで無理してみる、結果又悪くなる、その悪循環が繰り返されたようだ。
そう考えると普通の近視でも遠近両用ってのが一番負担が軽くなるんじゃ無いか、あるいは近くを見るときは外すというのがいいかもしれない。
昔の遠近ってはっきりわかる仕様になってたからな、今のは外から見て遠近かどうかはわからない。
0.02位になった頃からこの十数年前まではその視力を維持、というか、さすがに大人になってからは進むのが止まった、
がこのときはすでに眼軸がかなり伸びていたんだろうなぁ、
多分ラグビーボールみたいになってるのかもしれない、
番組ではこの眼軸が伸びる現象を紹介していた、昔は水晶体の回りの毛様筋が近くを見てると縮んで堅くなる、それをほぐすために遠くを見たり近くを見たりを繰り返す運動なるものがよく紹介されていた、自分もやったが三日坊主で終わる、
最近は眼軸の伸びが問題になっている、がこれは0.1以下位ではないか、眼軸の伸びが起こるともう回復は無理という、
眼軸の伸びはカーブがきつくなるので結局網膜に影響が出て網膜関係の眼病になりやすい、緑内障とか網膜剥離とか、網膜ではないが白内障、なんか近視強い人は白内障も発症しやすいらしい。
50歳前くらいから老眼が出てきた、昔は近視の人は老眼になると近視が治ると言われていたが、ありゃ嘘だな、結局は遠くも見えない、近くも見えない状態、
6.7年前に雨の夜道、車の運転がめちゃくちゃ見えない、初めての道、這々の体で帰った、やばい、なんかこの歳で又見えなくなってる、めがねやに行き合わせようとしたら、お宅の目はこれ以上合わせられませんと、
何故?眼科に行くと白内障ですね、と、エーまだ50代、ネットを見ると50代での白内障は2割くらいだと、
いっとき点眼とコンタクトで過ごすことに、がこの歳でコンタクトはかなり厳しいモノがあった、若い頃試したことがあったが、それ以来、まずは装着、なかなかはまらない、苦労したな、やっと慣れてきたが、夕方になるとシパシパ、とにかく目がきつい、しかもとにかく見えにくくなる、これもつらかったな、
更に近場がほぼ見えない、老眼鏡掛けても見えない、これも苦労した、
そして結局白内障手術、まずは進んでる右目をすることに、
ずっとめがねを掛けてた生活でしたんで若干の近視がある状態くらいにしましょうと、手元40cm位で焦点が合うようにしましょうと、
手術が終わり次の日眼帯外すと?おー、丁度40cm位がはっきり見える、びっくり!!これには本当に感動もんだった、
片目はそのまま、今まで使ってた強い近視めがねの片方を外して掛けてみたら、あらー!頭がクラクラ、裸眼の実像と強い近視のめがねの像がかなりの大きさで違うので頭が混乱状態になってしまう、めがねを掛けていた頃にはあまり意識することはなかったが、こんなにも像の大きさが変わるとは。
その後片目コンタクトの日々になる、コンタクトは目に貼り付けるので像の差異がなくなる、
3年後ほどなく?そろそろ左も手術の範囲かなと、で昨年左も手術を行う、
白内障手術、巷で言われているとおり手術時間は30分まではかからないか、しかし術後は傷口が塞がるまでは洗髪、顔も洗えない、ほこりとかもよくないので一週間はステイホーム状態だ、ちなみに最初の手術はそこまでなかったが、昨年の手術は結構痛かった、局部麻酔はかけてあるのだが結構痛かったしなんか時間も長かった、がなんとか左も無事終わる、
両目が同じくらい見えるようになり、ちょうど自分がめがねを掛けだした小学校の頃以来の裸眼視力になる、
が残念ながら数十年の経過後の弱くなった目をレンズの入れ替えで合わせただけなので、昔と同じというわけにはいかない、まずは飛蚊症、これも結構酷い、だいたい飛蚊症で眼科行くと老化によるモノでほっといても問題ないと言われる、が結構きついものがある、
あと両目が同じくらいの軽度近視なので、片目手術片目コンタクトのときほぼめがねを外すして近くを見る感じだったので、めがねを遠近にしなかったらめちゃくちゃ近く見にくくなり遠近に変更、がスマホとかはやっぱりめがねを外す、
テレビとか同じところずっと見てると、焦点がおかしくなる、等々さすがに裸眼で見えた頃みたいにはいかない、
手術でここまで回復するとは50年前だったら白内障でも失明だからなぁ、今や眼科の看板は白内障日帰り手術ってのが必ず書いてある。びっくりだ、
だいたい弱った目をレンズを入れ替えただけなので根本かなり目自体は弱ってるんだろうから、加齢とともにいろいろ問題もでてくるかもしれない、
最近はほんとうに目を酷使する現代人が増えてる、特にスマホかな、子供に至ってはゲームかな、
番組で紹介されていたが、近視を抑制する薬が開発途上なんだと、もしかしたら近年日本でも認可が下りるかもという話だった、医療の進歩は白内障手術といい凄いもんだ。
2021年1月28日木曜日
音響ハウス
2021年も始まったが、相変わらずの新型コロナ禍の昨今、緊急事態宣言継続中、
そんな最中音響ハウスというドキュメント映画見に行った、
音響ハウスとは銀座にある老舗の音楽studioらしい、
2020年12月31日木曜日
今年は?とギターPU改造
2020もあと少し
今年は例年になく世界が新型コロナウイルス禍という、ほぼ今存在してる人類には経験の無いバンテミックに振り回された一年となった、
そしてこれは今も第三の波となって世界を襲っている、相変わらず外に出るときはマスク着用、付けてないとかなりやばい、ワクチン接種が海外では始まったが?
あと九州では人吉芦北の豪雨被害が追い打ちをかけた。
そして年末寒波、今日は久しぶりの雪がここでも積もった。
そんな中、ステイホームというわけでも無いが、OM-18Vに取り付けていた、skysonic のピックアップ、ちょっと改造することにした、
これはマグとコンデンサーマイクの複合タイプだが、元になったのはフィッシュマンのレアアースブレンドかな?
マグはまあいいとしてコンデンサーマイク、これがボディの中で音を拾う形になるんだが、思うにやはりボディ内ということで、普通にマイクで拾うのにくらべるとあまり良い感じではない、出力も小さいし…
で変えたのが、D-18GEでやったマグ&ピエゾの組み合わせ、ピエゾはアンダーサドルタイプとコンタクトピックアップタイプとあるんだが、アンダーサドルタイプはブリッジに穴をあけないといけないのでパス、
D-18にも使ったSHADOWのコンタクトピックアップを使うことに、で久々スカイソニックを外していろいろやって、すったもんだやりながら、取り付けを終える、
ここでコンタクトピックアップの位置が難しい、最初ブリッジに貼り付けたのだが、ここはいかにもピエゾですよという音質、だがなんか低音がやたら弱い、そこでボディの端に移設、そしたらピエゾっぽさは和らいだが音量がかなり落ちてうーん?
結局ブリッジ横に貼り付けたら、まあ良いんでないの?というところで落ち着いた、音量はOK、ピエゾっぽさも少なく自然な感じだ、これをスカイソニックのマグとピエゾをステレオジャックで取り出すことに、ミックスすると良い感じになる、
この方法ピエゾとマグの組み合わせはあの押尾コータロー氏のMファクトリーのシステムとかもそうかな、参考にさせてもらったのは新岡ギター教室のニコアースとかの記事である、ちなみにL.R.Baggs のアンセムはなんかいいみたいだなぁ?
今年のトピックといえば初Gibson、L-00スタンダードを手にしたことだ、これ全くGibsonのイメージが変わってしまった、最近はもっぱらこれメインで弾いてる、
今年も今日で終わり、最後に今年の猫様で終わるとするか。
2020年11月30日月曜日
又々訃報
又々訃報!!
インタビュー番組で山崎ハコが登場、その中で夫である安田裕美氏が今年7月亡くなってたことを知った、享年72歳、大腸癌だったそうだ、
安田裕美と言えば、井上陽水の初期から関わったギタリスト、氷の世界の帰れない二人、心もようのイントロ、小椋佳にも初期の頃から携わってたな、
2019年春のギタージャンボリーには陽水と安田裕美のタッグで弾き語りやってたから、このあたりが最後だったのかな?
自分のアコースティックギターとの関わりとなるとこの人が最初だったからなぁ、
あの石川鷹彦巨匠も数年前にどうも脳梗塞あたりで、今はギターが弾けなくなっているらしい、
話は戻るが山崎ハコのインタビュー番組はなかなか面白い、山崎ハコ、18歳でデビュー、シンガーソングライターなんだが、40歳事務所が倒産するまでほぼ会社の言いなり、あのイメージは事務所が作り上げたモノ、印税の存在すら知らなかったと、会社倒産後はホームレスみたいな生活が待っていたとか、なかなか壮絶、助け船は原田芳雄と渡辺えり この二人に助けられて今があると、
番組では代表曲を弾き語り、御年63歳、容姿はさすがに…だなぁ、が声はなかなかパワフルで全く歳を感じさせない、
こういう訃報とか最近多くなって、それだけ自分も歳取ったってことだなぁ!
2020年10月27日火曜日
相次ぐ訃報
エディ・ヴァンヘイレンが亡くなった。 65歳 癌だったらしい、結構若い頃舌癌になったと聞いたことがあったが、ずっと引きずっていたんだな、
更には筒美京平も亡くなった、80歳、名前は昔から知っていたのだが、とにかく歌謡曲の作曲者にちょくちょく出てくるので、何者?って感じだったが、この人とにかくメディアに出ない人で正体不明だった、所謂職業作曲家という職で、今日は無くなった職かなー?
エディ・ヴァンヘイレンと言えばライトハンド奏法、出てきたときは衝撃だったな、この奏法、クラッシックギターでもある奏法自体は古いモノらしい、がこの奏法だけで一曲弾いてしまったり、又そのスピードが凄い、
そしてやっぱりビジュアルの衝撃が凄かったな、ハンドメイドのエレキギター、リアピックアップ一個のレッドorブラック&ホワイトストライプギター、そしてアーミングはフロイトローズというどんなに激しいアーミングやってもチューニングが狂わないというシステムを装着、200Wにパワーアップしたマーシャルアンプなど、凄かったな、
この衝撃はジミーヘンドリックス以来の、とりわけビジュアルでは、ヘンドリックス以来だと思う、ルックスも甘いマスクだったしなあ、ヴァンヘイレン以降フロイトローズ搭載ギター、リアピックアップがハムバッキングマイク、そしてライトハンド奏法、定番になったな、ライトハンド奏法は以降随分いろいろな人がいろいろやってる、この奏法でしか弾かない人もいるくらいだからなぁ、
これ以降このスタイルがヘビメタ路線の定番となっていく、
ファーストアルバムはよく聞いたなぁ、ヴァンヘイレンと言えばJUMPと答えが返ってくるほど有名だが、これが流行った頃は音楽自体あまり聞いてなかったのであまり印象はないんだが、ファーストはよく聞いたなぁ、

そして筒美京平、こちらはニュースであちこち取り上げてたんだが、代表曲はどこも同じだったな、いしだあゆみのブルーライトヨコハマ、尾崎紀世彦の又会う日まで、ジュディオングの魅せられて だったな、あと太田裕美の木綿のハンカチーフかな、この曲は作詞は松本隆、出世作となったものだ、この曲の逸話としてこの曲の詞はドラマ仕立てで長い、曲としては長くなりすぎるのでシングルカットには向かないとすったもんだの上リリースされたそう、リリースしてみると大ヒットしたという、
筒美京平は数少ないメディアでのインタビューで売れる曲を作ると言っていた、本当に職業作曲家だったんだなぁという印象だ、
話は反れるが 今NHKで放映中 朝ドラ エール、古関 裕而という戦前戦後に活躍した作曲家をモチーフにしたドラマだ、
これを見ると聞いたことあるなという軍歌、露営の歌とか暁に祈るとかこの人だったんだな、あとモスラーや・モスラーとザ・ピーナッツが歌ったあの曲もこの人、
得意はマーチ、戦前はなかなか苦戦してたみたいだが戦争が始まり戦意高揚にはこの人の得意分野が開花したというのが軍歌だったようだ、
戦後はとんがり帽子、長崎の鐘、君の名は、高校野球の栄冠は君に輝く 等々本当に凄い、
この人は作曲に楽器は使わず頭の中で楽譜が奏でられていたようだ、
それにしても筒美京平といい古関 裕而といい、その曲の多さにはびっくりしてしまう、それが職業と言ってしまえばそれまでなんだろうが、新しいモノ生み出すってなかなかできるもんじゃない、
最近は自分もそれなりの歳になり、なにかと訃報とか敏感になってしまう、これからもこの題材は増えるのかな?
合掌
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