2016年5月15日日曜日

平成28年 熊本地震No,2

熊本地震の前震が発生して一か月、気象庁は今後も大きな揺れが発生する恐れがある、又別の場所でも大きな地震が発生する恐れがあるという見解を出した、

未だに収まらない余震、震度1以上は1400回を超えている、ちなみに本震が発生した後、気象庁は地震発生時以降余震震度○以上が発生する確率は○%と発表していたが、本震後は無くなった、 

5月初めにやはりこの目で見ておこうと震度7が二回も襲った益城に行ってみた、あまり時間は取れなかったので一部ではあるがこの目で見てきた、

行ったのは熊本市電の終点、健軍からそのまま東へ進む、


車多く渋滞、ぼつぼつ道脇の家、古そうな木造家屋が倒壊しているのが出てくる、道は既にある程度舗装してあってあまり段差はない、

益城に入る頃になると回りが一変する、ほとんどの家が何らかの被害、商店は全面が店なのでほとんどと言っていいくらい軒先が倒壊、

益城の中心に近づくにつれ ひどくなる、木造の古いのはほとんど原型をとどめないくらいに倒壊、まさに瓦礫だけになっている、新しい家も一階が潰れている、二階建てはほとんど倒壊するとき一階が潰されている、
木造家屋・瓦礫同然に!!そんな光景が見えてきた、

さらに行く、今にも崩れそうな家が道に張り出している、そして益城中心部、まるで爆撃でもうけたかのような惨状、ほとんどの家が倒壊か倒壊寸前の光景、


キャンピングカーが家を支えていた


益城町惣領付近の交差点①

益城町惣領付近の交差点②

益城町惣領付近の交差点③

新しい家だが一階が潰されている

益城町惣領交差点付近④



電気も来てないらしく、交差点をお巡りが交通整理している、それにしても酷い渋滞、そして酷い光景、、被害は川沿い、傾斜地が酷いようだ、
危険家屋に、がまだすばい!益城町


テレビ、写真では見るものの実際この目で見ると、ぜんぜん違うもんだ、熊本市内から混んでなければ3~40分で到達できる場所、しかしこの光景、震度7が二回も襲った、震度7ってのは想像を絶する、

今住んでるところは中はぐちゃぐちゃになったがなんとか住める状態、それだけでもほんとに良かったんだなーと実感、

熊本城も悲惨な姿になっている、遠くからの写真だがそれでもその悲惨さがわかる、

 未だ収まらない地震、地元のテレビには「熊本地震 今後も警戒」のテロップがずーっと出ている、果たしていつまで続くのか?


2016年5月9日月曜日

平成28年熊本地震 No.1

平成28年4月14日午後9時26分 熊本地方を震源とする地震が発生、マグニチュード6.5最大震度益城で震度7、

ちょうどそろそろ風呂に入ろうかと居間にいた時だった、短い地鳴りが来たかと思うや否や激しい横揺れ、食器棚の食器が落ち、立て付けの悪い家具が倒れた、遂に熊本でも来たか?、そんな思いで出て行った、自分はライフラインに関する仕事をしているので即出動、帰ったのは15日10時過ぎ、

とりあえず落ちたものを元の位置に、食器の一部が破損したが電気も止まっていない、水も出る、アパート暮らしなので狭いのであっちこっちの高所に棚を設けていたので落ちたのを元に戻した、これが裏目に…

疲れ果てて16日12時過ぎだったか?居間でうとうと、いつの間にか眠ってた、と16日午前1時25分またまた激しい揺れが襲った、えー!マジー?!又来たか?さらには前回より遥かに規模が違う、

まるで爆弾が落ちたのではというような揺れというより何が何だか、とにかく、グワー、ガシャーンという破壊音と共に何かが頭の上に落ちてきた、一瞬脳震盪起こしたのか?もうろうとしつつなんとか起き上がる、停電で真っ暗、なんか携帯がズーッと鳴っている、

もうろうとしたまま起き上がれない状態が数十分、やっと起きたが周りがなにかに囲まれて動けない、とするうち電気が点いた、ボーゼン、家具という家具が倒れてモノというものが飛び散っている、なんとか会社に行かないと、とふらふらする中なんか山越えする感じで倒れた家具を乗り越え、やっとのこと玄関にたどり着いた、

アパート住まい、雨は降ってないが雨どいがジャージャー言ってる、こりゃ高架水槽やられたな?と思いつつ出て行った、

震源は14日よりやや北にて起こったマグニチュード7.3最大震度7の本震が発生、ここでは震度6強、前震では震度5強、桁は一つだが全然違う、5強も初体験だが、6強はただもんではない、
さらには益城は震度7が立て続けに二回も襲った、

気象庁は14日を前震、15日を本震と発表、前例がないと、さらには阿蘇でマグニチュード5.4~5.9震度5強~6強の地震が頻発、湯布院付近、八代付近でも震度5強が発生、と地震の連鎖が止まらない、

この一帯は日奈久断層と布田川断層帯という断層が通っている、巨大地震はこの一帯で起こった、いろいろネットで調べたがマグニチュード5~6クラスは発生しているが有史以来この辺りにマグニチュード7クラス以上は発生していないようだ、

さらには余震の数が半端ない、3週間過ぎた今でも余震が続いている、震度1以上は既に1000回を遥かに超している、

直下型の地震なんで、震度2、3位でもいきなり来る、ガツンという感じで襲ってくる、P波とS波が同時に来る感じだ、これはかなりの人が経験しているだろうが、夜に来たんで夜が怖くなる、さらには寝てる間は静かだからそれほど強くなくても目が覚めてしまう、

何度も余震を経験していたら、揺れが来る前に地鳴りがするんだなー、ゴーっというなんとも不気味な地鳴りが来たか否や揺れが来る、

次の日から大変な日々がやってきた、スーパーは閉まったまま、コンビニも閉まっている、いや開いてる店も、だが行くと棚には何もない、水もない、とある公園、ズラーっと並んでいる、給水車が来て給水待ちの列、コンビニも閉まっていたらしい店に長蛇の列が、するとトラックがやってきた、

水、仕事で走り回って水を飲む暇もない、しかも水もない、やっと自販機でお茶系は品切れだが、炭酸系の売れなさそうなのが残っている、やっとありついた水、いつもなら買わない炭酸系飲料水がめちゃくちゃ旨かった、

震災後2日くらいは一日おにぎり一個か二個で過ごす、が何故かあまり空腹を感じない、数日後からは飲む食うはなんとかなったが、水が出ない、やはり困ったのはトイレ、数日はなんとか風呂に水が溜まっていたので助かった、が一日腹の調子が悪い日があってやばかったなー、

この地域は結構早く水が出だした、がここのアパートは出ない、高架水槽がやられて出ない、水なしで数日過ごしたが、ウエットティッシュってずいぶんこういう時重宝するもんだなー、

二回ほど水でシャワーしたがさすがにまだ寒かった、都市ガスが一番時間がかかった、一週間以上かかったか?なんとかここではライフラインが回復、それにしても電気って、電柱とかぶっ倒れるとダメだろうが、意外と止まらないものだな、本震でも一時間くらいで点いた、

あと携帯、福岡で10年前位に地震があったとき熊本は震度4だった、午前中だったが携帯がスムーズに繋がるようになったのは夕方だった、今回は直ぐには繋がらないものの数回掛けていると繋がる、この辺りは随分改善されているだなー、さらにはLINE電話、これストレスなしに繫がったのでびっくりだ、

温泉が直ぐ開いたので一度行ったが男湯はそこまで並ばなくてもいいがさすがに女湯は長蛇の列でなかなか進まない、それにしても久しぶりの温泉はこれまた格別だった、

それにしても当たり前が当たり前でなくなる、水が出たときガスが点いたとき、なんともいえぬ感動があった、

仕事柄家の片づけを始めたのは一週間後、なにから手を付けていいかわからない、先ずは倒れた家具系を戻す、が、これがなかなか、うーん若いときみたいにいかない、動かん、やっとのことで戻すが元の位置から大きくずれてる、

びっくりは食器棚が倒れてそこにあったキッチンのテーブルの脚が折れてしまってたこと、テーブルの下に隠れたら死んでたか大けがだ、又本棚が本が並んでいるほうに倒れるのならわかるが揺れが本棚の左右に来たらしく横倒しになってたのは驚いた、

なんとかかんとか家具を戻し、どうしようもないのは捨てる、食器はほぼ全滅、キッチンでは酒やら調味料やらが割れてそのまま一週間ほどほったらかしだったのですごい悪臭だった、

段ボールを買ってきて使えそうなのはとりあえず突っ込む、ダメなのは捨てる、その繰り返し、そしたらえらく部屋がすっきりしていつでも引っ越せそうな状態になってしまった、

今回被災したのはテレビ、iPad,(iPadなかなか面白そうだったので周辺機器を揃えてなんかしようかという矢先だったが没した残念!)食器棚にテーブル、食器類はほぼ全滅、あと何が没したか?わからん、とにかく随分捨てた、

アパートなので狭い空間をあれこれ使おうと日曜大工であれこれ棚を作っていた、とりわけ高所空間を利用ってな感じでやってたので、日曜大工系の棚という棚は分解してお釈迦に、それにしてもこの高所空間系の利用が今回はすべて裏目に出てしまったなー、

インターネットがモデムとの線が切れて業者が来ないと出来ないということで公開が遅れてしまった、パソコン、ディスプレイは傷だらけだがなんとか助かった、あとほっとしたのがギター、むき出しはなくハードケースに入っていたのでケースは傷ついたが中は助かった、ハードケース様様だ、

それにしてもライフラインの復旧は早かったと思う、最も被害の状況次第で、被害が甚大でなかなかままならぬところもあるんだが、このあたりの対処はさすがに日本だ、新幹線も脱線したにもかかわらず、さらに九州の動脈、高速は震源域を走っていたにもかかわらず4月中には開通した、最近では地割れや段差がついた道路も舗装されている、

一週間後には店も結構開き出してモノも不足する事態は解消された、

しかし失われたものも甚大だ、49人の死者と不明者1名、さらには車中泊でのエコノミークラス症候群での震災関連死など、避難生活、住むところを奪われた人、阿蘇の大規模土砂崩れ、まさか阿蘇大橋が流されるとは…大型ショッピングモールとかの被害も大きく、とある店内の写真を見たが、いやーこれは再生できるか、とにかくかなりの時間を要しそうだ、

熊本って震度1~3位の地震ってそれなり起こっていたが、まさかの大地震、しかも前震、本震という極めて珍しいケース、さらには震源域が広がり南は八代、北は湯布院と広範囲、さらには収まらない余震、

ネットでは慶長の大地震にパターンが似ているというのが出ている、三陸で大地震があり津波被害が出てその数年後熊本で大地震、余震活動も長く続き、さらには中央構造線上で次々と地震が起こったという、明治時代に震度5強の地震が起こっているが震度7なんてのは有史以来この辺りでは初ではないだろうか?もっとも昔は地震計もないのでマグニチュードはその頃の文献などからの推測だろうが、

東日本震災は800年に一度と言われている、数百年とか人間の尺度では長いが、自然の尺度では数千年がほんのちょっとの間だろうから、とにかく大自然の前には本当に人間ってのは無力だ、

それでも復興という名の元に人は進んでいかなければいけないんだろうなー





Ibanez  AE325-LGS