2010年12月26日日曜日

Xマスイブは教会で

12月24日 パイプオルガンの調べを聴きに行って来た。24日はXマスイブ 教会ではミサが行われる。その中でなんでも国際大会に優勝したという人が地元出身ということもあってか、なんと無料でコンサートがあるというので行って見る事にした。

Xマスイブで教会でしかもミサってんで、なんとも自分には無関係な(一般日本人同様、Xマスはメリークリスマスでケーキを食べて年が明ければ神社に初詣パターンだ)場面だったが、行って見る事に、

一時間は神父さまのお説教と賛美歌斉唱など、一人一人ろうそくを持ってのまさにキャンドルナイト、その後パイプオルガンのコンサートとなった。

そして最初の曲は誰でも知っているバッハのトッカータとフーガであった。曲の合間に曲の紹介とパイプオルガンについてなどなど興味深い話が織り交ぜられてのコンサートだった。

それによるとパイプオルガンって管楽器に入るらしく構造は笛と同じだそうだ、何十本ものパイプに空気を送り込んで鳴らすだけあってなかなかの迫力だ、それにやっぱりライブ、笛と同じくよく聞くとブレスの感じもある。低音はさすがにライブ、聞くと言うより重低音を感じるというものだった。

この教会はかなり大きくパイプオルガンも大きいのだがよくCDなどで聞くような残響はあまりなかった。あと解説でパイプオルガンには鍵盤回りにいっぱい操作するボタンがあるのだが、これを操作することでフルートの音色とか出せるとのことだった。そういうの考えたら当時のシンセサイザーだなー、この操作ボタン多いので演奏者以外に一人二人と演奏サポートが付くのが普通なのだそうだ。(この日も一人付いていた)

曲目はバッハ、ヘンデルなどバロック中心だった。最後はもろびとこぞりての合唱で終わった。さすがにちまたのXマスの騒ぎと違っておごそかなイブで終わった、がしかーし家に帰ったらピザでこれを何枚食った、食わないで大喧嘩、あー俗世間に一気に舞い戻ったイブだった。

2010年12月18日土曜日

もう一つの桜三月散歩道

井上陽水のアルバム氷の世界に桜三月散歩道という曲がある。B面3曲目だ、印象的なギターのイントロで始まるこの曲はリードギターもとてもかっこよくていつかはコピーしたいと思っていたが今年はなんとか完コピしてやってみた。

この曲は作詞が長谷邦夫とある。前から気になっていたが検索してみると、赤塚不二夫のブレーンとして働いていたという。さらには赤塚不二夫のまんがNo1という雑誌のソノシートに別バージョンが収録とある。これがユーチューブでなんとあった。発売は73年3月で氷の世界の発売より早い、これ聞いてびっくり、歌詞も違うしナレーションも長く陽水と違う、アレンジはほぼ完成していたようでストリングスも入っている。

ナレーションは大野進という当時ポリドールのミキサーだった人らしい、そのナレーションにも具体的に江戸川とか帝釈天とか出てくる。耳に残るのが三番の町へ行けば革命だという歌詞、氷の世界の歌詞でも二番まで歌詞の流れからして三番が町へ行けば人が死ぬになるからちょっと違和感を持っていたがその後があったんだなー納得という感じ、ただ桜って三月かなーという気もいまいちあるが九州では三月開花だが東京あたりは満開はやっぱ4月じゃー?という気もするが

それにしてもこの曲のリードギターは実にかっこいい、ポリドール時代のアコギはほとんどあの安田裕美だ、コピーしたいなーと思いつつ三十うん年が過ぎてしまいこの歳にしてやっとという状態、アコギに目覚めるきっかけとなったのは陽水とか小椋佳あたりだから、安田裕美ってアコギの登竜門だったかなー

氷の世界では帰れない二人は忌野清志郎との共作だったし、あかずの踏み切りはライブもどり道の作曲を星勝が担当してリメイクしてるしなんてのを考えると氷の世界の元はずいぶん前からあったものかもしれない、三十数年前の真実がここにという感じだったなー

2010年11月30日火曜日

読み解き般若心経

武田鉄矢が朝のラジオで今朝の三枚おろしというのをやっている。この時間はなかなか聞く機会がないのであまり聞いてないがポットキャストでちょっと聞いてみた。前にも書いたがこの人も又フォーク繋がりというか谷村新司とかと同じく実に博学で話がうまい,それ以上に好奇心がすっごく旺盛ってのが凄いところだ、

で本題はその中身なんだが読み解き般若心経という本を紹介していた。著者は伊藤比呂美 般若心経を現代詩に訳したものとある。般若心経ってお経の中でも一番短いものだそうだ。

子供の頃は眠いだけのものだったんだがこの歳ともなると縁が多くなって聞く機会も増えるとなるといったいなに言ってるんだろうってなる訳だけどなんか難しそうで敬遠していたのだが、三枚おろしで読み解き般若心経という伊藤比呂美著の本を紹介していた。般若心経を現代文に訳して詩にしている。一言で言えば空の思想とでも言おうか、

伊藤比呂美という人、調べてみるとなかなか波乱の人生を送っている方らしい、なんでも夫はアメリカ人でアメリカと介護の必要な親が住む熊本を行ったり来たりしているらしい、

ところで般若心経をユーチューブで見てみたらまあなんともいろいろ出ているもんだ、つのだひろはベートーベンの第九に乗せて歌っている。みうらじゅんはアウトドア般若心経ってなんとも写経よりずーっとめんどうくさいことやってる、ヒップホップの般若心経から初音ミクに歌わせてるのまであった。

仏教と言えばブッタ、衝撃的だったのは手塚治虫のブッタ、これは凄かったなー、手塚ワールドのブッタ、手塚ワールドを話し出したらこれまた終わらないので次の機会としてよく聞く般若心経ってそういうこと書いてあったのかと思った次第だ、

ところで読み解き般若心経でネット検索したところ又エムズの片割れさんというブログにたどりついた、この人前に見たなーと思ったら前に友人から紹介してもらったサイトだった。喜多郎の千年女王はCD化されてないのだが海外ではCDになっている。ってんでこのサイトでどうやって入手したかを紹介したサイトだった。今回は伊藤比呂美さんがNHKのラジオ深夜便にて話した内容をFLASHでアップして紹介していた。この方もいくつか般若心経に関していくつかアップしていてなかなか興味があるところだ、

般若心経は最後にこう説く、さあ教えようこの知恵のおまじないを
(ギャーティ ギャーティ ハラギャーティ ハラソーギャーティ ボージーソワカ )
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経

2010年11月14日日曜日

SPACE BATTLESHIP ヤマト

宇宙戦艦ヤマトの実写版 が12月1日公開される。古代進役はキムタクで森雪役は黒木メイサなんだそうだ。とりたてて気になるほどでもないのだがローカルラジオ局でちょっと盛り上がっていたのでちょっと。

宇宙戦艦ヤマトがTVで始まったのが中学の頃、最初知らなくてちょうど塾に通っていたときだったかやたらまわりが騒ぎ出して見たい見たいと言い出しそれならと塾長がテレビを付けたのが始まりだったか?(その頃通ってた塾は先生が大学生でしかもぼんくらクラスでゆるーい感じのいごこちのいい塾だった。)たしか日曜の昼前くらいに放映されていた。これを見るとなんと松本零士とある。これってもしかして男おいどんの松本零士?結構な衝撃だったのを覚えている。

男おいどんは小学生のときからの大ファン、この作者が監督をしている。ってんで自分もとりこになったのだが、宇宙戦艦ヤマトのプロデューサー西崎義展 松本零士が原作ではない、後に原作で裁判ざたになったようだが松本氏側が負けている。この西崎氏がヤマトを作り上げたといって言いのだが今回の実写版ヤマトにはかかわっていなかったようである。唯一原作者でクレジットされている。がなんとも皮肉なことに今月事故死で亡くなっている。

ヤマトは劇場版ヤマトよ永遠にまでは見たか?これで終わりかと思いきや次から次に出てきて嫌気が差して後は見ていない。しかしこれで松本零士が脚光を浴びたのは言うまでもない。しかし男おいどんからはおよそ見当が付かないSF世界と松本零士ワールドにはこの後どっぷりと引き込まれていった。

ローカル局のラジオで究極の選択ってんで乗るんだったらどっち?宇宙戦艦ヤマトか銀河鉄道999、これってメーテルそれとも森雪?ともとれるなーと他の番組で言っていた。合理的な回答に行きはヤマトで帰りは999ってのがいいななんて回答もあった。

しかし999の人気も凄いものがある。スカパーのアニメサイトでは再放送があってるしファミマでは999とタイアップした企画やってたし最近でもBSで全部見せます999なんてやってたし、凄いものだ。ちなみに前にGyaoでタケカワユキヒデと渡辺香津美のコラボでやったアコースティックライブでの銀河鉄道999は良かったなーもう一度みたい。

実家の書棚に松本零士の漫画本があったなー、なにがあったろう?999、男おいどんは当然としてキャプテンハーロック、ガンフロンティア、ザコックピットが数冊、大四畳半物語、ワダチ、千年女王、とら縞のミーめ、大純情君、四次元世界、セクサロイド、などがあったか?あと少女マンガ時代のを特集した雑誌、FMレコパルあたりで単発で掲載されたのもあったかなー、四次元世界を読んだときなど凄い世界だなーと感心したものだ。

おっと又脱線してしまった。そーいや実写版ヤマトの佐渡先生役は高島礼子になってたが??CGは綺麗そうだなー、ヤマト発進まであと何日?

2010年11月3日水曜日

My Favorite Airtist  第二回

My Favorite Airtist 二回目は中島みゆき おーいきなりの大御所かという感じだ、未だなかなか精力的な活動をなさっているようでフジフイルムのCMやらニューアルバムもでたばっかりだなー。

知ったのはヤマハのポップコンに優勝したので知ってはいた、時代、アザミ嬢のララバイ、が印象的だったなー、本格的に聞き出したのはわかれ歌あたりからか、さすがに相当な枚数のアルバムを出しているしはっきり言ってあんまり聞いてなくてよく聞いたアルバムは限られている。

最初によく聞いたアルバムは「臨月」 印象に残る歌詞で始まる あした天気になれ この歌詞には驚いたなー、宝くじを買うときは~だからなー、そして次のアルバム「寒水魚」 エンディングがあの名曲「歌姫」が入っているアルバムだ、悪女がヒットしていた頃だ、

アルバムとしては84年に出た「はじめまして」これは随分聞いた、このアルバムからとりわけヒット曲が出たわけではないが何故か自分にとっては心に残るアルバムだ、オープニングはピアノの独奏で始まる「僕は青い鳥」、静かに始まる、エンディングは「はじめまして」かえるの鳴き声らしき効果音からカウントダウンで始まる。とりわけ好きなのが「シニカルムーン」時々夜空を見上げて細い三日月が出てると何故か「シニカルムーン」を思い出してしまう。何故にこのアルバムに惹かれるのか?多分この頃の自分の心情にがっちりはまってしまったのだろう。多分…

中島みゆきと言えば他にオールナイト日本、そして夜会があるが、ユーチューブを検索するとオールナイト日本の最終回とか結構アップされている。この人にとっても又ラジオと言うのは特別な存在なのであろう。夜会はほとんど見てない、ビデオが二本ほどあるのだが…

「はじめまして」以降は中島みゆきに限らないがちょっと音楽とも疎遠になった。ただヒットメーカーだけにそれなり耳にすることはあったが、又聞き出したのはプロジェクトX、「地上の星」からだ、最近では「いまのきもち」「中島みゆきinLAスタジオライブ」あたりは聞いている。「いまのきもち」は初期の作品をリメイクしてのアルバム、これがなかなかいい、ちなみにお気に入りは「土用波」のアレンジだ、

アレンジと言えば中島みゆきのアレンジは最近一貫して瀬尾一三が担当している。90年頃かららしいがその後は一貫していてアレンジ&プロデュースをしている。瀬尾一三ってネットで調べたら「風」とかなんやらかんやらまあニューミュージックという言葉が出始めた頃からかなりの数アレンジを担当している。ここんとこは中島みゆきと長渕剛は一貫してやっているそうだ。そういえばつま恋コンサートでも総指揮を担当していた。ニューミュージック界のデビットフォスターだなー、そう聞いたわけではないがこの人のアレンジはバランス感覚が抜群だという印象を受ける。アレンジャーだけあって相当に楽器やら音楽全般に精通している感じだ、

自分にとって中島みゆきって?なんて考えてみたら自分の場合「アザミ嬢のララバイ」なんだよなー、よく通うちょい飲み屋のちょっと綺麗どころのママさんってとこか?ぐちぐち言いまくってるのをほおずえなんか付いて聞いてくれるような感じかなー、というところで第二回は中島みゆきでした。

2010年10月31日日曜日

My Favorite Airtist 第一回

My Favorite Airtist  最近取り立てて書くこともなく、空白の時間が過ぎているこの頃、なんもないので今までお気に入りのアーティストとかの事でも書いてみようか。

今までも時折紹介してきた、付振り返れば中学から始まり数十年、一時期ブランクもあるものの、その間もふと耳に入ってくる音楽にいいなー誰だろう?なんて思いも過ぎて、気が付けばなんかCDも山のようになってる。当然ながら聞いてないCDも多いし、ほとんどがレンタルからである。

第一回 ミシシッピージョンハート 
最近何故か無性に聞きたくなって聞いている。1893年生まれ、1928年代13曲だけレコーディングを行ったが農夫に戻っていた、その為伝説のブルースマンと呼ばれていたのだがこの人を見つけ出した人がいたのだ、このとき1963年 歳は70を過ぎていた。非常に短い活動ではあったが多くの人に影響を与えている。

初めて聞いたのは輸入版のCD よくデパートなどで催事でやっているコーナーでライブ版を見つけた。多分海賊版だ、聞いてみるとそのぽつぽつとした歌い方、スローテンポの歌としゃべり、しかしなんか引き込まれる。ユーチューブでも少しではあるが動画もアップされていた、聞いた感じとおんなじだ、

ギターはスリーフィンガーが基本になっている。がいわゆるフォークのスリーフィンガーとは随分違う。ここがブルースの凄いところ、いわゆるオルタネイトベースと呼ばれる親指で奏でる低音弦のリズムが飛びぬけて力強い、はっきり力強い弾き方である。フォークのスリーフィンガーを知っていた自分にとっては同じスリーフィンガーでこんな弾き方があるのかと実に新鮮に写ったのが40を過ぎてから…

この人になるとジャンル分けにブルースメンとフォークシンガーという二つの冠が付く、ブルースと言うにはちょっと違うような、フォークといえば黒人だしこれまたちょっと違うような…となるがこの人に関してはどちらでもいいのであろう。

スタック オー リーブルースという曲ある。簡単なんだが実に難しい、ワンフレーズを10年近く弾いているが未だにさまにならない、うーん難しい 日本でこういうどっしりしたベースフィンガーをする人がいた。高田渡である。この人の親指のベースは凄いなーと思っていたら案の定、ミシシッピーのコピーはかなりやったとのこと、なるほどなーと納得

この人の歌やギターを聞いていると活動は短かったもののある意味理想的な音楽人生を送っていたのかもなーと感じてしまう。歌いたいときに歌い奏でたいときに奏でた、農夫としていた時代が長かったが再発見されてすぐ活動をそのまま広げられたのは音楽を止めていなかったからだ、

音楽との付き合い方 それぞれあれどこういう付き合い方できればなー、歌いたいときに歌い奏でたいときに奏でるそんな付き合い方したいものだ

2010年10月23日土曜日

TABAKO

10月に入って最初のブログ、最近ちょっと意気消沈気味、ところで10月になってタバコが値上げになった。9月末は記録的なタバコの売り上げがあったようだが、

自分はほぼ一日二箱ペースであった。ただ1mgだったのだが、だいたい吸ったかと思えば又火をつけている。ヘビーと言うよりチェーンスモーカーですねーなんて言われたときもあった。一日600円、一ヶ月18000円、これが410円となると一日820円、一ヶ月24000円?、となるとさすがに考えねばいかん、しかしどうも止める気にはとんとならない、意志が弱いんで駄目だなー、じゃー1mを上げてみたらと最近9mgあたりに変えてみた、そしたら確かに量は減ったのだが、最近慣れてきたのか又増えだした。やっぱ駄目だなーなんて思いつつも背に腹は変えられんからなー、なんとかせんといかんのだが、まあ仕事でも辞めれば禁煙できそうだが…

2010年9月20日月曜日

モーリスギター

某有名リサイクルショップでモーリスのS-106が出ていた。ギターはモーリスでアリスがCMしていた頃からおなじみだが今はフィンガーピッキング御用達といったランナップが充実していてデパペペとか中川イサト氏らが使っている。この田舎にS-106とは珍しいのが出ていた。早速試奏、楽器店とかで弾いたことはあったが弾いたのはシダー、ちょっと思っていた音ではなかったのだが今回のはスプルースだ。スプルースだと又違った感じでなかなかいい感じ、ネックは幅広で厚め、フィンガーピッキングにぴったりだ。サスティーンが長く低音もゆったりしている。

でネットでS-106を検索していたらある動画にたどりついた。ギターはS-106を使用している。southwind○○○というネームででている。これがなかなか凄い、たどりついたのは中川イサト氏のshadowy keyという曲のカバーなのだがいやーかっこいい。後検索するとファイナルファンタジー系の曲とかが多い。オリジナルもアップしてあったのだが、これもまたいい、これくらい弾けたらなー、即モーリス買いなんだかなー


ところがそれどころではなくなった。前に発症した指の痛みが再発というか前は右指だったのだが今度は左指、どういうことだ、前回は半年くらい苦しんだが、自然に治ったというか痛みはとれたが違和感があり前のようにとはいかない、どちらも人差し指だ、バレーコードを押さえると痛い、これとは別に膝の痛みがだんだん進行していて膝もだめなんだがそれにしても関節系の病に悩まされている。話は脱線したが困ったものだ。

2010年9月9日木曜日

ヤマハ SASⅡ

ヤマハSASⅡ                   
手放したエピフォンDOT

ヤマハのSASⅡというミニセミアコのエレキギターをゲットした、と言っても資金がないのでEpiphoneのDOT(ビグスビーアーム付き)を売りに出した。DOTも綺麗でかっこよかったのだがあんまり出番がなかったなー。

そんな中にセミアコだがミニという珍しいのが出ていてこちらもあまり使用感がなくエメラルドグリーンで綺麗だ。他の店にヤマハのセミアコSAが出ていた、セミアコといえばGibsonのES-335TD ラリー・カールトンやリーリートナーで有名になった、あの頃フュージョンが流行ってた頃に人気があったモデルだ。オールマイティなギターだ。

このヤマハのはミニセミアコというちょっとセミアコより小さい。その分弾きやすいが、生音はそれほどセミアコという感じではない。ヘッドデザインはヤマハに野呂一生モデルってのがあるがこれと同じだ、ヤマハのサイトで見たらこれと同じモデルで玉置浩二モデルというのがあるようだ。

アンプを通すとやはりソリッドギターとは違う音がする。やや細い感じだ。しかしさすがにヤマハだ、安定した音がする。面白いのが1Tone1Voという構成、ヤマハお得意のでToneをプッシュするとシングルコイルになる。面白いがあんまり出番はなさそうだがなー、歪系もクリーントーンもどちらもOKだ。

しかし最近はあまりエレキは弾かないからいまんとこあまり出番はなさそうだが…

2010年8月26日木曜日

CDは何処へ…

渋谷のHMVが閉店した。このことをラジオで話していたのだがレコードからCDに変化して20年くらいか、これがネットやら携帯やらの発達でダウンロードで楽曲をゲットするというやり方が主流になってときどきこちらも少なくなった音楽系テレビのランキングを見ているとダウンロード数◯◯万件なんて表現していたりする。さらには最近はダウンロードも減っているという。というのもYouTubeあたりですぐ出てくるのでこちらでゲットして聞くパターンも増えているとの事

ラジオのパーソナリティーが、前はねー、音質にも凝ってあのスピーカーがどうだとかアンプがどうだとか言ってたもんなんだよー、今はユーチューブあたりの音質で満足しちゃってとりあえず聞ければいいって感じなのかなー、時代の流れといえばそれまでなんだけど、おじちゃん(このパーソナリティは50代半ば)はちょっと寂しいなー、まさしく同感である。

もう一つ問題なのは、ネットだと売れてる曲は集中して売れるんだろうがそれ以外の曲は埋もれてしまうことだ。自分がレコードにしろCDにしろ買うときはたいがいアルバムで買っていた。目的は売れてるその一曲かもしれないがアルバムで買っていた。というのもその10~15曲の中におよそお気に入りの曲がだいたい見つかるのだ。売れ線ではないが名曲はいっぱいある。そういう曲は何度も聞いているうちにいいなーってなってくる、そんな曲がアルバムの中に数曲はあった。アルバムってのはそれ自体が作品と言われて、いわゆる名盤ってのもいっぱい出たのである。そんな作品と言われるものが今後どんどん無くなっていくんじゃないかと危惧するところだ。

CDという10~15曲の中に込めた想い、そしてジャケットという視覚的効果、これが無くなってしまうのは残念なことだ、と言いつつ自分はというとCDを買う機会は随分減ってしまった。まあ昔みたいに聞きたいという曲も減ったし聞く時間も減ったし聞くにしても最近の曲はあまり聞かないし、と若い時みたいにはいかなくなったんだが、確かにCDって買わなくなった。自分自身ちょっと気になる曲があるとネット検索している。ということはCDショップにも足を運ばなくなったということだ、これじゃやっぱCDショップは厳しいよなー

2010年8月14日土曜日

音とデザインにぐっとくるラジカセ展

百貨店でラジカセ展というのがあってると聞いて行ってみた。なんでも個人が集めたものらしい。ここに展示してあったのは20台くらいか?本まで出している、これをみると相当な数らしい。

 所有したことがあるのがあった

SONYのデンスケのラジカセ版があったのかSONYのが多かったなー、

ラジカセというと中学時代に遡る。まだ持ってなくて友人がナショナルのMAC(ハンバーガーではない)という当時かなり人気のあったラジカセがあった。FMトランスミッターがついていて、なかなか遊べたものだが残念ながらこれは展示して無かった。ただ本の最初のページに出てたのを見るとMACは相当人気があったのだろう。


思えばまだラジカセを持ってない頃ボタンが5,6個あって再生とか録音とか書いてある。なんか難しそうだなーと思ったものだ。まあ触ってみればなんてこたないんだが。


最初のラジカセはアイワのだったがかなりの安物で(当時)素人が聞いても音悪い、その後ビクターのカセットのみのを買ってラジオからラインで繋いでFMエアーチェックに利用していた。これは結構長い間これでやっていた。ビクターのカセットは音が良かった。(16cmのスピーカーがたしか付いていた。)


いわゆるラジカセというのは最初のアイワと写真のものくらいしか所有していないなー。ラジカセからステレオシステムのカセットデッキに移行したからなー、初めて自分の声を録音してみたときは随分奇妙な感じになったものだ。


それにしてもカセットとは使い勝手ということでは実によく出来ている。オープンリールをカセットテープというサイズにダウン、飛躍的に使いやすくなった。残念ながら音質は厳しくなったがこのあたりも技術がどんどん進化してテープ自体はノーマルからクロムテープ、ソニーがフェリクロームなんてのも出した。最後はメタルテープなるものまで出たが。


サイズダウンはノイズが多くなるという問題があった。これもドルビーシステムの採用で気にならないレベルまでダウン、BとCがあったがBの時代が長かった。いまさらながら聞いてみると高音は伸びてないし、Dレンジは狭いし、でも当時はメタルはさすがにいいよとか言っていたのだが、どこまでわかっていたのやら?


だいぶ処分したのだがカセットテープがまだかなりの量残っている。とりあえず一台可動可能なカセットデッキがある。いまさらながら聞き返すとまるっきりアナログの世界、でもこれがいいんだ…

夏の海猫

海猫三匹?

海辺に行った、猫がいた(野良) 

 
                                                                  曇天だったが海はいいな
  

ここは収穫の夏を迎えている。

2010年8月12日木曜日

本当の龍馬は

NHKの龍馬伝も第三部に入った。さすがにこのヒットは福山雅治に追うところが大きいかなー、おかげであっちこっちで坂本龍馬にちなんだ村おこしが盛んだ。

坂本龍馬の印象を決定づけたのが司馬遼太郎の竜馬がゆくだが、ウィキペディアによると小説の中の坂本龍馬ということであえて龍の字を竜にしてあるという。
時代物小説といえばフィクションでありながらやはりノンフィクションであるところだ、これがなかなか難しい,小説がヒットすれば小説の人物が代名詞になってしまうおそれがある。まあ書く方はそれなりに調べてのことなんだろうが、難しいところだ。

とりわけテレビともなるとその影響は絶大だ。中学の頃アルプスの少女ハイジが人気だった。弁論大会である女子が今のテレビのハイジは嫌いです。私が思っていたハイジと違うから、だけどあれだけテレビで人気が出るとハイジはあのテレビのハイジこそがアルプスの少女ハイジになってしまうと‥、なかなか確信ついた弁論を語っていた。もっとも最近の若い人のハイジはこれまた低燃費少女ハイジになっているが、

ところで本当の龍馬はどういう人物だったんだろう。龍馬といえば誰でも知っているあの写真だ。袴にブーツ、両手は中に入れて遠くを見据えたような細い目、幕末だったがすでにちょんまげは結っていない。この写真からして相当に当時ぶっ飛んでた人には違いない。

龍馬伝ではやはり龍馬像を今で言うなら日本をどげんかせんといかん、という一言をテーマに突っ走った感じで作られている。龍馬の姉、乙女にあてた手紙で日本を今一度洗濯申し候という有名なくだりがある。このことからも日本のことを真剣に考えていたんだなーという気はするが、幕末ともなると写真やら手紙やらかなりのものが残っているのである程度の人物像の推測は出来る時代ではある。

どうやらこういう方向に目を向けさせたのが勝海舟がやっていた海軍操練所だ。勝海舟という人物の影響は計り知れないものがあったらしい。となると勝海舟って?というのも面白い。

最近時代物で面白いなーと思うのが、今まであまり表舞台に出てこなかった人々が日の目を見ることだ。篤姫の時は小松帯刀、龍馬伝ではやはり武市半平太だろうなー、(最近ではラジオのCMにもこの名前が登場していた。)この人がいなかったら下士でありながらそこそこの商売をやっていた実家を継いでいたか、あるいは北辰一刀流の道場を開いていたかだろう。歴史の表舞台に出ること無かったろう。

まあ本当の龍馬像なんてのは歴史のみが知る世界なんだろうが、あの写真のを見たら多分無類のわさもん(こちらの方言、新しもの好き)であったに違いないだろうからそのあたりももうちょっと面白く出してくれたらいいんだろうけど、

2010年8月10日火曜日

今日の風景


台風4号が九州沖を北上中、ちょっとだけ風が出てきた。上空の風も強いみたいでレンズ雲が出ていた。遠くの山にも傘が掛かってた。今年は台風の発生が異常に少ないが、なんか気がついたらというか台風が九州沖を北上していた。






2010年8月8日日曜日

残暑お見舞い申し上げます

相変わらず毎日~暑い日々、猛暑日、酷暑日、激暑日、が続いている。昨日は北海道でもなんと36度とか7度とか、いったいどうなってるんだ?という感じ、と思いきや今日は立秋、朝ふと見上げれば今まで見なかった巻雲が出ていた。この雲は秋の代表格の雲、昼前には消えてしまった。相変わらず暑い一日だったが、変わってないようでやっぱり変わってるんだなー、


残暑お見舞い申し上げます


2010年8月4日水曜日

アストリアスギター

アストリアスのギター、アストリアスというと久留米の手工ギターメーカーでクラッシックギターではかなり古くから作ってるギター工房である。アコースティックの歴史はそれほど古くなく95年ころかららしいのだが一貫して手工にこだわっているギター工房だ。

クラプトンがアンプラグドを出して以降オーディトリアムサイズが人気になったがアストリアスでもこのサイズが主力らしい、がここに紹介してるのはトレッドノートタイプD,カレントという名でまあマーチンのコピータイプとなるんだろうが、アストリアスの中では一番低価格なものだ、2000年ころのものらしい。

若干の傷などはあるものの、音には影響ない、ちょっと弦高が高めである。表はスプルースの単板だがバックサイドはローズウッドとマホガニーのサンドイッチの合板だ、珍しい構造である。アストリアスでは上位機種にもこの構造を持ったものがある。どうやらクラッシックギターから来たやり方らしい。

当初はなかなか鳴るなーと思っていたが、弦が古くなったらとたんに鳴らなくなった、とりわけ低音がぜんぜん伸びない。弦を交換したら本来の音が戻ってきた、音質は若干固めの音だ。OM-18Vの音はスキャロップドブレイジングの効果か、甘めの音質だが高域はあまり伸びない。これとは対照的な音だ。ただ固めの音質はマイクの乗りはいいみたいだ。

決定的に違うのが低音、OMと比較するのがおかしいかもしれないが、さすがに低音のふくよかさというかこのあたりは全然違う。残念ながらこのあたりを求めるとそれなり高額になってしまうらしい。

話は変わるが前にも書いたかもしれないが最近の若いミュージシャンは実にギブソンが多い。あとテイラーなんかもよく見かけるなー、とりわけストローク系は多いなー、そういえば巨匠の石川鷹彦氏も最近ギブソンを手に入れたとあったなー、ギブソンも新品でも結構な値段するなー、マーチンを使っているのではYUIはどうもマーチンのHD-28当たりらしいが使っている。、最近ではあまり見かけない。

さてさてこのアストリアスどういう変遷をたどるのだろう?





夏!!てんで花火
















夏真っ盛り、というわけで花火アップです。今年の夏はやたら湿気が多いなー





2010年7月23日金曜日

エルニーニョからラニーニャへ

猛暑日、梅雨が明けたとたん日本は猛暑に見舞われている。とりわけ関東とか東のほうが猛暑日ってのが聞かれる。ここ九州はやっぱり暑いのだが33~35度といったところ、東の方の気温の上がり方は37度とか8度とかひどい、40度に迫るところもある。かつてはこんな数字あんまり聞かなかったのだが,ここ九州の自分がいるところはまあ36度あたりまでは上がることはあるがそれ以上は聞かないなー、但し自分が住んでるところは夏場湿度が高いので蒸し蒸しの夏が続いている。

気象ではエルニーニョが収束してラニーニャ現象が起こっていると最近になって言い出した。ラニーニャ現象ってのはエルニーニョの反対でペルー沖の海水温が下がり反対の西の方で海水温が高くなるという。このとき日本は高気圧が東から北に居座る状況で高温になりやすい、又冬は寒くなるという。これを考えるといまんとこ東のほうが高温であるのを考えるとラニーニャのせいということになる。

気象予報はわかるようでまったくわからない。梅雨の間の予報では西は暑い、北は気温が低いと言っていたのだが梅雨明け後は東、北は暑いになった。しかも秋は遅くなりそうという、どうやらこの予報は当たりそうだ。九州は極端な気温上昇はないものの、こういう時はなかなか秋が来なくて暑い暑いがながーく続いたりする。下手すると10月に入っても暑い暑いになってしまうからたまらん。

ロシアでも猛暑が続いているそうだ。エルニーニョにせよラニーニャにせよ昔からあったんだろうが問題なのは35度以上の猛暑日ってのが(2007年から出来たそうだ)昔に比べて格段に増えてるってことだろう。これってやっぱり温暖化?

2010年7月6日火曜日

遂に地デジ化

最近遂にパソコンテレビを地デジ化した。アナログ終了まであと一年、今までIOデータのアナログチューナーを使用していたがこれがなかなか使いやすくかなり長いこと使用していた。だが残念ながら後一年で終わりなんでなんとかせんとなーと…

一年ほど前かバッファローの地デジチューナーが安かったので衝動買いで、買ってみたら、この時は地デジの知識はなんも知らずに買った、そしたら見れない、もう一つ安いノートだがビスタ仕様のがあるんでこれに繋いだら映る。しかしやたら起動が遅いし安定しない。しかもDVDに焼けるのにこれでは見れないなどなど諸問題が満載、従ってお蔵入り状態だったのだがアナログも後一年を考えたらそうもしてられんなーと思い昨年出たセブンを最近導入した。

結局地デジ化はパソコンでは最新を使わないと難しい、ディスプレイ、グラフィックカードがHDCP対応でないと駄目、DVDもCPRM対応型でないと駄目、などなどがんじがらめの地デジである。まったくここまでやっちまうとは、というわけでなんとか環境を整えて最近最後残っていたディスプレイを対応型に変えてチューナーを繋いだ。でやっとパソコンで地デジ化が実現したのだった。相変わらず起動は遅いがノートほど問題は無い。

パソコン用の地デジチューナーはまだまだ発展途上みたいで最近もIOデーターが新製品を出していた。ネットでの書き込みなどを見ているとやはりパソコンで地デジはいろいろ使い勝っての問題が多いようだ。

だがやはりハイビジョン、やっぱ綺麗だなー、その分ハードディスクの容量を食うからこれ又問題だ。ハイビジョンモードだと30分番組で3.5Gくらい食ってしまう。こりゃやっぱ1TB位はないとなーなんて考えてしまうが、それにしても金食い虫の地デジである。

今年の夏は?


日々うっとうしい梅雨空が続いている。今年は陽性型とかで梅雨入りから降り方はどっと降る傾向、先週は前線が居座って局地的に降り続いて被害も出ている。
昨日は近くの山が煙霧とでも言うのか水蒸気が多すぎて煙ったような状態、この近くの山が乾燥時期ホコリで煙って霞むことはあるのだが、水蒸気で霧みたいになり一日中見えない状態は珍しい

ところで今年はまだ台風が一個しか発生していないのだそうだ。普通なら5,6個は発生しているところだ、こういうのはエルニーニョ現象が収束した年などに多いそうで、こういうときは北は冷夏、西は暑い夏になることが多いという、ということはやっぱここ九州は暑い夏が来るんだなー、夏は来ないと困るがやっぱ猛暑はめいってしまう。

2010年6月27日日曜日

ソニーのニュー一眼レフ

最近ソニーがニュー一眼レフを出した。NEX5とNEX3だ、世界最小一眼レフ、ちょうどコンデジのレンズだけ交換ができるような感じだ。よくぞまあここまでやってしまったものだと思うのだが、コンセプトは気軽にでも妥協はしたくない、なんだそうだが、

最近店頭で出回りだしたので触ってみたがいやーこれはびっくりだ、本当にこのコンセプト通り、小さい、これを可能にしたのはまずは最近出始めたミラーレスのデジタル技術、しかし妥協せずにAPS-Cを採用、この効果は大きい、実際触ってみたりカタログスペックを見たりしていたのだがよくぞこんだけ詰め込んだものだ。

前にネオ一眼(レンズ交換は出来ないがかなりの一眼よりのカメラ)のことを書いたが細部を見てみるとさすがに一眼レフにはかなわない。前に書いたのはパナソニックのネオ一眼だったがこれは里子に出して今はキャノンのサイバーショットを手に入れた。

キャノンって初めて使ってみたが巷の噂通りニコンと比べると随分色が薄く感じる。同じカメラでもこうも違うものかと感じる。写りが悪いわけではない、好みの問題だ。ただプロが圧倒的にキャノンが多いのはこの薄いと感じるのがニュートラルなんだろう。ニコンの方がどっちかというと派手、ビビット系だからなー

話が逸れたが、ソニーにはαという一眼レフシリーズがある。ミノルタが無くなって以来ミノルタのカメラ部門はソニーに吸収された、ちなみにフイルム時代の愛機はミノルタ、実はミノルタは大好きはブランドだったのだが惜しいかなカメラ部門は無くなってしまった。最初のAF、α7000は随分長いこと使ったものだ。ミノルタの技術はソニーに継承されてαの冠は残ったもののなんかSONYって付いてるのがなんか気になっていた。

今度のソニーの一眼レフはNEX αの冠が無くなった。というのも全くの新設計でレンズは交換できるというものの従来のソニーのレンズはアタッチメントがないと使用できない、しかもMFになるという。マウントも新設計、

今後の一眼レフはミラーありとミラーレスの2方向に進むんじゃないかと雑誌に書いてあった。ちなみに店頭でキャノンやらニコンやらの上位機種ってのは随分大きいし重い。ずっしり来る感じ、撮ってるぞーという存在感はもう十二分に感じる、こういうのもいいんだが、シャッターチャンスってのはそうあるものではない、常に持ち歩いてでも画質は妥協したくないってのは今風考え方だよなー、

最近は携帯のカメラ機能もすごく進歩してるしそんなのを考えたら遅かったのかもしれない気もしないでもない、ミラーレスではパナソニックが走っていたがそれに真っ向勝負という感じでなかなか目が離せないところだ、

2010年6月25日金曜日

小椋佳コンサート”邂逅”

ここ九州は梅雨入り後は実に梅雨らしい、というと変だがだいたい梅雨入りしましたと発表があっても梅雨らしくない日々が続いたりすることが多いのだがことしは梅雨ですよーと叫んでるかのごとく梅雨らしい毎日うっとうしい日々が続いている。

そんな梅雨空の中、小椋佳のコンサートに行ってきた。今回極めて珍しい全国ツアー、43ヶ所という小椋佳にしてはかなり大掛かりな全国ツアーだ。テーマは”邂逅”ニューアルバムのタイトルから取ってある。このコンサートさすがに平均年齢が高い…、とりわけ男性はおっさんからもう一歩進んで初老という感じもちらほら、”私も今年で66歳になります。”ほーもうこんなになるのか、さらにはジャスダックに登録してある曲が2000曲以上あるそうだ。 

オープニングはしおさいの詩、そしてさらば青春と続き、”今夜はコンサートより早く帰って早く寝て深夜に起きなきゃいけないのにわざわざ…”という言葉、そう明日早朝はサッカーワールドカップのデンマーク戦が行われる。こんなセリフが3回ほどあった。(一番見たいのは当の本人かもしれないが…)、第一部は懐かしい曲が続く、シクラメンのかほり、俺たちの旅、白い一日、めまい、などなど、印象深かったのは木戸を開けてと砂漠の少年を歌ったこと、この二曲は小椋佳の原点とも言える曲だ、 

今回は立って歌うことが多い。小椋佳といえば座って歌うのが多いのだが、今回は立って歌うことも挑戦なんだと言っていた。そして陽水のことも、NHKコンサートで初めてステージをやったがその前に一度ライブハウスで歌ったことがあると、この時は二人で横にいたのが陽水だったと語っていた。そして一部の後半はニューアルバム”邂逅”からでしめくくられた。

実際の小椋佳は結構スリムであった。多分病気の後かなり気をつかているんじゃなかろうかという感じだ。そして声もまたこの歳で全国ツアーをやるだけある。歳も歳だから声の方も結構キツイんじゃなかろうかと思っていたら、なかなか張りのあるボイスだった。さすがに円熟を感じるステージで見ていると(聞いていると)なんかライブというよりテレビでも見てるんじゃないかというくらい安定していた。ツアーも中盤過ぎで乗ってきたところなんだろう。

後で気づいたのだが安心して見ていられた理由がもう一つあった。それは歌い方が若い頃と全く変わっていないのだ、懐かしい曲もあの若い頃に聞いたのとおんなじだ。長く歌っているとどうしても変わっていく。意識して変えていく人もいるだろうし、変えようとしなくても変わってしまうこともある、維持するのは大変だ、変わってないってのが聞いていてそれが安心感に繋がったのだろう。

バンドの構成は9名の大所帯、ピアノ、フルート、チェロ、バイオリン、ドラム、ベース、ギター2名、パーカッション、みな若い感じだったなー、最近のPAも進んでいて、とりわけ若い頃見たステージに比べるとスクリーンなども活用して実に綺麗なステージだった。照明も確実に変わってるんだなー

第二部は物語を折り込んでの展開、黒い瞳の踊り子、というタイトルで小椋佳がナレーション、バンドメンバーも役がついて節々に曲が(ワンコーラス程度だが)織り込まれていく。小椋佳のナレーション、ちょっと石坂浩二に似ている。もうちょっと声を高くした感じだ。この辺りの構成は前はミュージカルとか手がけていたからなー

そしてラストを迎える。アンコールも又ニューアルバム”邂逅”からだった。そしてコンサートは幕を下ろした。3時間ほどになったか、結構長かったのだが、演出も考えられていたし知っている曲が多かったのも手伝って3時間は短く感じられた。 安心してというかほっとする空間を得られた3時間だった。

2010年6月13日日曜日

南こうせつ特集

友人の紹介でNHK BSで南こうせつの特集があるってんで見てみたら、なかなか面白かった。2時間番組であったがそれなり構成を考えてあり飽きることはなかった。
とりわけ作曲家の青山広志の作曲教室は面白かったなー、わずか2.3分で出来た神田川
詩には言霊が潜んでいるという。こうせつの歌のウマさは以前見た伊勢正三の番組でもでてきて高校時代にはすでに定評があったと言うことだった。

こうせつってよく聞く割にはコンサートに行ったことが無い。随分聞いたのはかぐや姫ライブ76、そしてソロになって第一弾の帰り道とねがいを持っている。この三枚は随分聞いたしいまでも時々聞いている。偶然にも喜多郎のコンサートが10数年前筑後川河川敷コンサートでこうせつが見に来ていて飛び入り参加、なんと喜多郎とこうせつのコラボが見れたのだった。このときはたしか神田川とうちのおとうさんを歌った。喜多郎は僕はギターあんまり得意じゃないんですけどと言いながらアコギを演奏、宴会部長のこうせつだから一瞬誰のコンサートなんだ?というノリになった経験がある。振り返れば貴重な経験だ。

ソロ第一弾のかえり道の一曲目に旅するあなたという曲がある。作詞は喜多条 忠だ、
これがすっごく好きでコピーもした。後粉雪、二枚目の私の詩、とか好きだなー、二枚目以降はあまり聞いてないなー、

最近始めたのにフォークカラオケってのをやり始めた。若い頃弾きたいなーと思いつつも弾けなかった曲を引っ張り出してDTMも交えながらギターだけは生でってのをやり始めたんだがもろコピーなんで面白みもなんもないんでフォークカラオケ(フォーカラ)と勝手に決めつけてやっている。完コピーとなるとなかなか難しい。今やってるのがかぐや姫ライブ76の中の星降る夜なんだがなかなか難しい、ま、納期があるわけでなしぼっちらやってるんだが
いつになるやら…





2010年5月16日日曜日

げげげの女房

いま放映中のNHKの連続テレビドラマ「げげげの女房」なんだが、最近面白いんで見ている。言わずと知れたげげげの鬼太郎の著者水木しげるの奥さんが書いた自伝が元になってる。もっとも放送にはフィクションです。ってのが流れるが、本人が書いてるんだから大筋実際の話しなんだろう。 

げげげの鬼太郎といえば子供の頃白黒テレビで見たのが最初だったんじゃないか? 熊倉一雄が主題歌を歌っていた頃のものである。若いときに一時ゲゲゲの鬼太郎の漫画にはまったことがある。アニメと違ってかなりおどろおどろしい感じだ。アニメも白黒からカラーになって子供向け志向が強くなり妖怪と言ってもかわいい感じになった。


最近墓場鬼太郎の存在を知った。深夜にテレビをつけていたら偶然墓場鬼太郎があっててゲゲゲの前進になったものだ。ゲゲゲの鬼太郎よりさらにリアルで怪奇漫画という感じ、ほぼ原作の漫画を変えずにアニメ化してある。エンディングはあの中川翔子が歌っている。水木一郎の原点だ。

話は戦後昭和が舞台、縁談後一週間で結婚式、あわただしく東京に出てきたら極貧生活が待っていた。今の若い人だったらとても耐えられない状況だ。昔はお見合いが主流で結婚式まで顔を見たことがなかったなんて話はざらに聞く。それがうまくいったりするんだから不思議なもんだ。それにしても東京でもあの頃は近所付き合いとかあっていい時代だったんだなー ネットで検索してたらげげげの女房みたいな人が増えたら日本のおやじももうちょっと元気が出るんだがなーなんて書き込みがあったがうーん、うなずけるなー



漫画のげげげの鬼太郎のエンディングには草むらからゲゲゲ…という虫のざわめきで終わる。読んでて思うんだがかつて夜ってのは電気もなく、ろうそくやランプだけで、闇の世界、怖い時代(時間帯)だったに違いない。いまや昼も夜も無くなって妖怪たちもどこへやら?
そういう時代だからこそ闇の世界、不可思議な自然の世界を求めるのかもしれない?

はてさて今後の展開が気になるところだ。

2010年4月16日金曜日

宇宙の果て?

NHKでハッブル宇宙天文台の話があった。スペースシャトルで延命修理を行った後最近一番遠い天体を発見したそうで1月に発表があったそうだ。それによると一番遠い天体の距離は131億光年とのこと、今考えられているビッグバンは138億光年だそうなので、発見された天体は131億年前の姿と言うわけだ。従ってこの天体はビッグバン後、数億年後の姿と言うわけなんだそうだ。 

なんだかわかったようなわからないような話なんだが、理論的には正しくてそれが実際に証明されつつあると言うから不思議だ。ではこのビッグバン後数億年の間はというとこれまたコンピューターでシュミレーションしたのがあってビッグバン直後は真っ黒の暗闇世界だったと言う(暗黒物質というそうでこれまたなにやら?)その中から超新星みたいののが現れていったという。ちなみに131億光年の銀河の姿ははっきり映っていないもののかなりいびつな形らしいという。



宇宙人はいるのかいないのか、といつも論争になるのだが宇宙の姿を見ていると太陽と言う恒星の一つにこれだけ惑星があってそこに地球がある、夜空に映る無数の星々にはそれぞれ惑星があるだろうしそれが又集まって銀河を作りこれが又無数にあるのだ、それを考えると宇宙人がいないと考えるのがおかしい、



ただ太陽系を見る限り他の惑星に無い唯一の距離を保ったおかげで水が蒸発しない、凍らないという温度を得た唯一の天体でもある。ちょっと外れれば金星は温室効果で灼熱地帯、火星は大気が飛んでしまった。(火星にはまだ可能性が考えられているが)これを考えるとかなり奇跡的な天体が地球と言う気もする。


ちなみに銀河どうしの衝突ってのは意外と多いらしくハッブル望遠鏡でかなりの数が見つかっているそうだ。さすがにダイナミック、それにしても望遠鏡に写った宇宙は幻想的、ネットで宇宙のあれやこれや画像を壁紙にしていたのだが、こりゃCGだよなーなんて思っていたものも実際の姿だった。

それにしても夜空に映る星々は実にダイナミックで興味が尽きない。





2010年4月1日木曜日

タイタニックの真相

テレビでタイタニックの最新の真相を探る番組が放映されていた。
その真相は数々あれど知っていたのは氷山にぶつかったこと、豪華さを優先したがゆえに救命ボートが登場人員よりはるかに少なかったこと、浸水を防ぐ隔壁が低かったことなどくらいだったのだが、このテレビによると悪いことは重なるものでさらにいくつもの悪要因が重なっていたようだ。

1.見張り番は双眼鏡を使用していなかった。双眼鏡を使っていたら衝突までに氷山を見つけられた。 出向直前船員の交代劇があり、降りた船員のかばんに双眼鏡を収納した場所の鍵が入っていた。

2.豪華さ優先ゆえ船会社の社長が設計の大幅変更を行い、浸水の広がりを防ぐ隔壁を1.5m下げた さらに景観優先のため救命ボートを登場人員の3分の1にしてしまった。

3.工期直前緊急の他の船のドック入りがあり一ヶ月工期が延びた、その為処女航海が氷山が多い時期になってしまった。

4.当時無線通信がやっと発達してモールス信号を使うようになっていたが通信士は当時モールス信号を発明した会社の社員で船長の直属ではなかった。しかも上流階級の電報処理に追われ近くの再三の氷山接近の報告があったにもかかわらず船長まで届かなかった。さらには一番近くにいたカリフォルニアン号からの最後通告にはばかやろう、忙しいときに打ってくるな、という返答、この後いちばん近くにいたカリフォルニアン号の無線機は電源を切られてしまいSOSが届かなかった。 ちなみに最初にSOSを打ったのはタイタニックとあるのは違うらしい。

5.氷山を発見後緊急回避したがその為氷山にかするように接触したため横方向に数箇所亀裂が入ってしまった。なんでも船と言うのは船首は頑丈にしてあり正面衝突であれば沈没までは回避できた。可能性があると言う。実際船首の第一隔壁は高さを保持してあった。


6.鉄板を止めるリベットが粗悪なものを使っていて氷山接触の再剥がれ落ちてしまった。

  等々悪いことが実に重なっている。ただこの背景には当時イギリスとアメリカの航路はかなり安全と思われていて大きな海難事故が起きていなかった。国の最終検査でも救命ボートが少ないにもかかわらずパスしている。

  この事故で1500名以上の人が亡くなったのだが多くは3等客室のあまり裕福でない人々、映画で言えばデカプリオが演じた人々である、映画ではデッキに上がろうとしても鍵がかかっており上がれなかったようになっているが、たしかに上の階には間単にあがれないように鍵をかけられるように義務付けられていたようだ。が実際に鍵がかかっていたかどうかは不明だそうだ。

  救命ボートは女性子供を優先させて下ろされたらしいが、このあたりは案外秩序をもってなされたようだ。というのも裕福な一等客室の男性もかなり亡くなっている。しかしこの船の社長はしっかり避難している。

  最初に駆けつけたカルパチア号はあまり早い船ではなかったらしいが、全速力で向かい4時間かかるところを2時間半くらいで着いたらしい。

  こうしてみるとタイタニックの遭難は完全な人災である。商業ベースに走りすぎると安全性とかがいつもおろそかになってしまう。しかしその折り合いと言うのはなかなか難しいものだ。

2010年3月29日月曜日

ギターを持った歌姫達

最近お気に入りの曲に榮倉奈々が主演した「泣かないと決めた日」の主題曲が耳に留まる。miwaのDon’t Cry Anymore なんだが、今お気に入りだ。プロモーションビデオを見てみた。Gibsonを持ってかき鳴らしている。you tubeにギターだけ写った誰かがコピーしていたので弾いてみると、これがなかなか難しい、というのもバレーコードが多いのだ。

Fを始めとするバレーコードはだいたいギターを始めた人が挫折する第一歩のコード、いろいろ省略コードなども教則本などには紹介されているが、最近の人はこれがあまり苦にならないのだろうか、結構おおいような気も…

古くはというか、記憶に残る曲でいつも上位に来るイルカのなごり雪、かぐや姫のはDで始まるのだが Keyを合わせるためにイルカのなごり雪はFで始まる。後にはバレーコードの最大の難関B♭も登場 する。未だに弾けない。たいしたもんだ。

ギターを持った女性達、フォークで言えば森山良子、なだそうそう、弾くときはMartinのOO-45だろうか?いいのを弾いてるなー、そして最近テレビで見た。ハイファイセットの山本潤子、卒業写真を歌うときはギターを持っている。前はよく古そうなGibsonを弾いていたが、最近のは違った。

中島みゆきもデビュー当時はヤマハのを弾いていたなー、そういや数年前出たスタジオライブ版には ヤマハサイレントギターを弾いていた。

中抜けと言うかその後ニューミュージックと言われる時代が終わるとあまりギターを弾く女性シンガーは出てこなかったんだが、最近ではやっぱyuiだろう、この人アップテンポの曲が多くてまさにかき鳴らす 感じの曲が多い、最近では進研ゼミだったかなー、グロリアがバックに流れている。

ちょっと前よく聞いていた竹仲絵里 デビュー当時はGibsonのJ-50最近ではJ-200を持ったPhotoが必ず写っている。
最近トイレの神様という曲でちょっとした話題の植村花菜、この人のギターもちょっとこだわっているそうで ギター雑誌に載っていた。大晦日のFMで押尾コータローのでもゲストで出ていたなー
中村マリ 帰国子女でばりばりの英語で歌いながらしかもミシシッピージョンハートばりのギターだ、すごい人がいるもんだなー
あと前に紹介したマリエディグビーGibsonのダブを持って歌っている。

Gibsonが多いのは何故か?多分ストロークが多いからかなー、ルックスもいいしね。確かにGibsonってストローク系を弾いてると気持ちいいからなー、Gibson欲しいなー

それにしても女性がアコギ持って歌うのは絵になるなー

2010年2月14日日曜日

ついでに

ギター買ったついでにといってはなんだが、最近楽器屋で試奏した記憶をたどって書いてみようか

タカミネ エレアコで一世風靡したタカミネ、あのイーグルスやライクーダーが使って世界に羽ばたいたメーカーだ、がしかしいまんとこいいなーというタカミネに出会ったことは無いナー、弾き易いし特に問題はないんだが、どうもしっくりこない。

Kヤイリ、さすがだなー、こちらもいまや世界のヤイリなんだが、ヤイリの音は好きだ。自分が持っているYW-500Pはちょっと問題があって最近は全然弾いてないんだが、前に中古で多分YW-1000だったと思う、サイド&バックがハカランダという仕様、木目が凄かったンで良く覚えている、ハカランダのせいかどうかわからないが、いやーこれは良かった。今思うと本当に惜しかった。このころはYW-1000の存在を知らなかった。とにかくヤイリはどれを弾いてもいい感じだ。

マーチンD-18GE この田舎の楽器店でなんとゴールデンエラを発見、一度弾いてみたいと思っていただけにこれが弾けるとは思いもよらなかった。ゴールデンエラを説明しておくとD-18のオリジナルと言うかいわゆる復刻版である。ネット上の書き込みではオリジナルのD-18とは別物、とにかく凄いという書き込みが多い。そして試奏してみると… まずは驚いたのはボリューム、こんなにも大きいのかという点、そしてその低音、ずっしり来る、以外にも野太い音である。結構がんがん弾く人はいいんじゃないかなー、トップはアディロンダックスプルース、普通のスプルースより黄色っぽい、とにかく弾いてて気持ちがいい、ずーっと弾いていたかった。

マーチン 00-18? 中古屋でふと目に留まったマーチン、かなり古いみたい。傷だらけである。サイズからして多分00シリーズだったと思うが、手にとって試奏、うそーっ!!なんだこのサウンドは00サイズなんでボリュームは無いがなんというかもうとろけそうなサウンド、今まで楽器屋でマーチンはそれなり弾かせてもらってたんで、そのイメージがあったのだがそれとは全く別世界、これ弾いてビンテージがなんであんなに高いのかってのがわかった、たしか16万くらいだったか?三日間考えて行って見たら、…あー売れてた!!

マーチン 000-28EC いわずと知れたエリッククラプトン仕様の000-28 かなり出回っていて時勢価格38万くらい、楽器屋でも一本は飾ってあったりする。数が出ているが現代の名器と言われている。弾いて見ると実にバランスのとれたサウンドだ。

マーチン D-35 70年代初期、残念ながら弦が古かったので真価は発揮できてなかったらしいが
自分には一番好みの音だった。D-35といったら拓郎、イルカなどフォークといわれた時代に結構使われていた。バックがスリーピースでD-28よりも高域が出るという。まさにこの感じであった。程度のわりに高くてちょっと二の足を踏んだがもしももう一本マーチンってなるとこのあたりかなーという気もする。
  ちなみにマーチンってどれをとってもある程度の品質とあのサウンドが出るのは凄い。しかし、あ、これだって感じで引かれるマーチンに出会うのはなかなか難しそうだ。例えば90年代とかのD-28とか弾いて見るとあーマーチンだなーとは感じるものの引かれるサウンドではない。その点今持っているOM-18Vに出会えたのはラッキーだったなーと思う。

ギブソン J-45,ダブ、アドバンストジャンボ ギブソンもまたどれをとってもギブソンの音がする。不思議なメーカーだ。最近ギブソンを弾くミュージシャンも多いが、どちらかというとストローク系の歌物を主題にする人が多いかなー、とりわけストロークは気持ちがいい。コンプが掛かったような一種独特の低音が特徴だ。どうしてこういう音が出るのか不思議だ。例えばJ-45だと、バックはマホガニーなんだがマーチンのD-18のマホガニーとは全然違う。不思議だ。ちなみにギブソンにJ-200というジャンボサイズがあるが、これはバックがメイプルのせいかジャンボサイズなのに低音はあんまり出ないらしい、シャラーンという感じだ。

エピフォン テキサン これは日本製のテキサンだったらしいが、しっかりテキサンの音がした。ギブソンに非常に近いのだがちょっと違う感じ、ビートルズのイエスタディの音はしっかり出ていた。
エピフォンって不思議なメーカーで中古やを回るとエレキはこれでもかというくらい出回っている。安いのばっかり、でもそこそこの音は出てくれるから、しかし同じテキサンでも他に一度多分韓国製の安いのが出ていたがかなり作りは雑だった。でもあの音は出るから不思議、ただしこのテキサンはバックがメイプルだったなー

テイラー アメリカではシェアーが一番なんだそうだ。特徴のあるという感じでもなく基本をしっかり作っている感じだ。わるくない。PUがなかなかよくてこれはいい。ライブが中心の場合は重宝するだろう。
ちなみにエレガットは良かったなー

ヤマハ ヤマハというビックなメーカーだが日本のメーカーにしてはハッキリしたヤマハの音を持っているメーカーだ、名器と言われたFG赤ラベルが中古やに出ているのだが、ちょうど000サイズのビンテージを弾いている感じだった。枯れた音でフィンガーピッキングに向いている。ヤマハもまたどれをとっても外れることは無いだろう。ちなみに数年前Lシリーズの新装ということで高いのを弾いたことあるがなんか重い感じでこれで100万?という感じだった。多分いい木をつかってるんだろうけれど未だ熟成されてないんだろうなー、
 ちなみに自分が持っているFGオレンジラベルも時間と共に随分音が変化して赤ラベルと同じように低音があまり出なくなった。枯れたというよりかわいい感じの音に変化している。残念ながらネックがねじれたように反っていてフレットオンチになってしまっている。直すのに買ったときの数倍しそうなのでそのままだ。

モーリス 人気のSシリーズ、いまやプロフェッショナルにも人気でとりわけフィンガーピッカーには人気だ。が弾いてみたらいまいち自分の望んでいる音とは遠かった。ネックの具合もいまいちしっくり来なかった。たしかにいい音なんだがナー

ヒストリー 島村楽器が作っている高品位のギターだ、最新技術も盛り込んで面白いのを出している。がこちらも自分が望んでいる音とはちょっと遠くてちょっと残念だった。

ジェームズ 最近までいったいどこの?という感じであった。そしたら島村楽器のヒストリーのセカンドブランドだったのだ。ラインナップは2万くらいから高くても10万はしない。なんでも寺田楽器が中国で作らせているらしい。このジェームス安いんだがかなりいい感じ、バランスは整ってるし高域も綺麗、しかもインレイも実に綺麗なのだ。中国製なんだが、最近の中国の勢いを感じる、ちなみに自分が持っているエピフォンのマスタービルドのAJ-500も中国製の5万円なんだがなかなか鳴ってくれる。中国製安かろう悪かろうの時代は終わった。

てな感じで試奏だけのレポートを書いてみた。試奏なので真価はわからん、最近は前みたいに中古やでもあまり、あ面白いのでてる。ってのがなかなか無い、もうちょっといろいろ出回ると面白いんだが。

それにしてもやっぱりギターって高かろう良かろうではないようだなー、安くても自分にしっくりくるのってのはおさえとかないと、なんてなんぼ持ってても仕方ないんだがナー、それにしてもKヤイリのとマーチンのは今でも惜しかったなーと感じてしまう。

シーガルギター

シーガルと言うメーカーのギターを手に入れた。シーガルと言うとちょっとややっこしくて愛媛にシーガル弦楽器工房という塩崎氏が作ってる高級ギターとカナダにあるシーガルという楽器メーカーの二つがあるのだ。こちらは海外製だが有名なゴダンの傘下にある中級ギターのメーカーである。手に入れたのはカナダ製シーガルのギター、品名はパーフォーマー・ミニジャンボ・CW GT QⅡと長い。

アゴギにちょっと詳しい人だとシーガルと言えば愛媛の塩崎氏を思い浮かべる人が多いかなー、ネットで検索するとカナダのシーガルの通販が一杯出てきてかなり幅広く出回っているモデルではあるようだ。とはいえ中級ギターに属するかなー、価格帯は6万くらいから12.3万といったところか、

このギターに興味があったのは最近ちょっとお気に入りのベッピーノ・ディアゴシスティーノというギタリストがシーガルばっかり使っている。当然特注品ではあるが、形はおんなじ、

アコースティックマガジンに出ていた記事ではちょっと癖はあるがまあ価格相応悪いギターではない、 ってな感じでの書き方。当然ながら中古やで見かけたのだがいざ弾いて見ると結構いい感じだ。
面白いのがピックアップ、どうやらコンデンサーマイクとピエゾのミキシングらしい。ゴダン独自の開発らしい。サイドカッタウェイはハイポジションが弾きやすそう。そしてなにより中古で安かったのだ。

ってんで購入を決定、面白いのがケース、なんと発泡スチロールをそのまんま加工してある。やたら軽い、びっくりだ、これならコストと機能性が両立している。考えたもんだ。軽いのはいいんだが、ガツっつ とやったらぼっこり行くだろうなー、まあそんなに取り回しするわけでは無し、自分にとっては軽いってのは使いやすい。(ちなみにマーチンのケースは頑丈だがやたら重い。)

さて肝心の音なんだが比較的高域が特徴の音である。ある意味胴鳴りって感じではないんだが、トップはシダー単板、バックは聞き慣れないアメリカンワイルドチェリー?シダーという木は結構マイルドな音質になる傾向があるからコレを考えるとワイルドチェリーってのは結構硬い素材なのかなー、と音質から感じるが、中音にちょっと癖がある。が高域がハッキリしていてあまり自分の持っているものの音にはないものでレコーディングには音が乗りそうな感じだ。高域はハッキリしているがだからと言って硬い音ではない。多分シダーの効果が大きいのかもしれない。

この手のギターってアコギでは結構現代的な音である。最近人気ではモーリスがいいのを作っているしプロも中川イサトとかかなり幅をきかせているのだが楽器屋あたりで弾いた感じではあまりしっくりこなかった。

さてピックアップなんだがピエゾはかなり癖がある。高域が強すぎる、相当に硬い音質になる。コンデンサーマイクとのミキシングはなんか全然変わらない。マイクなんでマイクに向って話してみると入るんで効いてないわけではなさそうだ。が全然音質変わらん、壊れてるのかなー?不明、とにかくそのまんまのラインではちょっと難しそう。

問題がある。若干の順反りと低音がひびる、順反りはすぐ治るだろうが、ヒビリはちょっと問題だ。もしかしたら前にあった力木がはがれかけてるのかもしれない。わからん、リペアーに金掛かるかもしれない。それにしても弾けもせんのに又増えてしまったなー


2010年2月7日日曜日

仏像の目は何故に半分開いているのか?

NHKアーカイブスで曹洞宗の本山、福井県永平寺の修行の様子があった。
曹洞宗と言えば座禅で有名な宗派である。永平寺はその総本山ということで、全国の若い坊さんが修行に来ている。このとき(2001年)は200名くらい居たそうだ。

座禅とはよく耳にするがいったいどんなもんかというのは前から気になっていた。修行の様子は朝4時半に起床、顔の洗い方から歯磨きの仕方、水も一滴も無駄にせず、そして朝の座禅、履物の揃え方から作法が決まっている。一回の座禅は線香が消えるまで約40分
眠ったら例の如く後ろから叩かれる。そして食事、当然ながら精進料理、肉魚のたぐいはない、これもまた作法が全て決まっていて、最初はおかゆから、そして音を立ててはいけない

など等さすがに修行の場所である。寝るときも布団を寝袋みたいにして寝ている。ほとんど自分の時間と言うものはない。が考えてみるとそれ以上のことは無いのである。座禅と作法と、それ以上は無いのである。

曹洞宗の開祖、道元は若くして出家し(両親が早く亡くなり出家せざる終えなかったらしい)
たが日本では未だ未熟の世界、中国に渡って修行したという。このとき教えを頂いた導師に料理を作る人は修行をしていないと問いただしたのに対し料理を作ることもまた修行なのだと言われたと言う。曹洞宗では座禅のみならずいっとき、いっときの動作もまた修行なのだと言う。

もう一つこの永平寺の曹洞宗大本山永平寺第78世貫首 宮崎 奕保 禅師 と言う人 106歳で往生されたそうだが、このビデオの一部も放映があった。まあ、まさに悟った人である。この人もまた29歳の頃まで座禅ばっかり組んでいて悟りなど開けるかと思っていたそうだ。このときの貫首の死に立会い、目覚めたと言う。まあこのあたりになると一言一言がものすごく重い。「自然はりっぱやね、来るべきときに来てやるべきことやって去っていく。」「いつ死んでもいいとなるのが悟りとおもっとった。」「平気で生きておることが悟りだった」「平気で生きておることが難しい」「死ぬときが来たら死ねばいい」「平気で生きられるときは平気で生きとったらええ」など等

なーんも考えんでいるってのはなかなか難しい、なーんも考えなかったら寝てしまうし無の境地で座禅を組むことを只管打坐(しかんたざ)というそうだ。なるほどだから仏像は目を半分開いているのか、と納得した次第、目をつぶったら寝てしまうからなー、まあ自分は煩悩のかったまりだから座禅組んでもせいぜい寝てしまうか、頭の中煩悩でいっぱいになるか、はたまた足の痛さでヒーヒー言うかだろうがなー

2010年1月13日水曜日

4年ぶりの大雪

ここ九州で雪が積もった。ここでは7cmの積雪。以前積もったのが2005年12月だったと言うから九州では久々の大雪になる。しかもココでは歴代5位の積雪量だったというから驚きだ。

今年の長期予報は暖冬に反して寒い寒い。慣れない雪のせいで朝の交通は大混乱だったが、雪景色は幻想的な風景ではあるが、それ以上に実生活のあわただしさに、「雪だ、参ったなー」と思ってしまう現実に悲しいものがあるなー。



2010年1月4日月曜日

年の初めだが…

2010年が始まった、今年は厳冬のスタートだ、ニュースでは北の方は大変らしい、元旦はここ九州の地でも若干雪が舞った。今年の冬は寒暖が急激である。やたら暖かい日が続いたかと思うとガツンと寒波が訪れる。

さてはて年の初めなのだが、私にとってそろそろ気になるのが花粉症である。なんでも今年はスギ花粉の飛散は少ないらしいとの事なのでちょっと安堵しているのだが、それでもそろそろ気になる季節だ。

花粉症との付き合いは古く、発症は高校の頃、まだ花粉症という言葉が無く、もっぱらアレルギー性鼻炎と言われていた。最初はなにがなんだがわからずとにかく風邪とはちっとちがうみたいで耳鼻科に行って見たらアレルギー性鼻炎と診断、但しそれ以上はなにも説明は無し、というのも昔の耳鼻科、何故かやたら医者がいばりくさっていて、なんか訳わからんことをおごり散らしていた。当時は耳鼻科も少なく、それでも数件回ってみたがどこも同じ
しかも混んでいて1時間待ちはざら、お年寄りばっかり、そんな中にぽつんと混じって高校生が順番を待っていた。というわけで耳鼻科に行くのが非常に嫌だった経験がある。

当時から市販薬にも抗ヒスタミン剤のルル鼻炎薬とかあったのだが、市販薬は良く効くのだが自分の場合異常な渇きが襲ってくる。副作用が強すぎるのだ。コレが嫌で耳鼻科にお世話になるしかなかったのだ。

ちらほら花粉症なる言葉が聞こえだしたのが30歳くらいの頃か、このとき初めてアレルギーテストなるものを受ける。杉やハウスダストなどいくつかの抗原を腕に注射、30分ほど置くと、みごとにわかる。それによるとカモガヤというイネ科の植物がひどい、これはちょうどゴールデンウイークを過ぎた頃から飛び始めて梅雨に入る頃に終わる。自分のひどい時期と一致するのだ、なるほど納得、杉でも若干反応するのだが杉の頃は軽い、

それにしても花粉症ってのがこんなにクローズアップされるとはびっくりだ。一つは杉の植林が進んで花粉の量が増えたことなんだろうが、もう一つはやっぱり現代病なんだろう。食生活とかライフスタイルの変化が花粉症を現代病に押し上げたのだろう。

花粉症が始まるともう大変、ひどいときは両鼻詰まってしまって水も飲めないなんて状態に…やばいのが風邪が重なったときである。これは花粉症の時期に限らないのだがやはり鼻が弱いのだろう。風邪を引くと鼻に行ってしまうと大変、副鼻腔炎(昔で言う蓄膿症)になってしまうのだ。これになってしまうと目と目の間が重ったるい頭痛に襲われ、はっきり言ってうつ状態、なーんもする気が起こらない。ずーんと重ったるい頭痛に悩まされるはめになる。しかも症状はひどくなる一方だ、風邪くらい自力でなんて思ったらさあ大変なことになる。こうなると一刻も早く耳鼻科に直行である。というのもこの場合、軽いうちなら抗生剤を一二回服用するだけで不思議なくらい治るからだ。これがあるかないかは大きな違いだ。

話は反れたが何故年の初めだがと書いたかというと、最近は杉にも反応が大きくなって2月の声が聞こえる頃には花粉症に悩まされる時期が来るからだ。どうやら歳とともにアレルギーの性格も変わってきているようだ。これだけ花粉症ってのがポピュラーになると最近は耳鼻科も増えて昔みたいにあほな医者は少なくなってきたようである。患者も老若男女幅広くなったもんだ。薬も進んでいるようで医者から貰う抗ヒスタミン剤はあまり乾くことも無く効果もある。鼻に点鼻するステロイドも前は一日数回とか言ってたが前回貰ったのは一日一回でいいですからと言われた。というわけで最近はやばいなと思ったら早々に医者に掛かるようにしている。

まあ花粉症は数十年来の付き合いになりそれなり対策法も身に付いたが最近は他に困った問題が…これは又の機会にしよう。

Ibanez  AE325-LGS