最近暇があるときはマックでぼやーっとしてることが多い、というのも100円マックってのが出てからコーヒーと二つで200円で済むから…
で1、2時間音楽聞きながら過ごしているがいつのまにか寝てしまったり、でも日曜あたりは小さい店は混んでてちょっと厳しいときもあるけどなんか最近多いなー
2012年11月30日金曜日
2012年11月28日水曜日
今年の秋
今年の秋wa
今年の秋は 週末毎に雨が降り、その後気温が下がる、季節の移り変わりは例年より早いようだ。
西日本はこの傾向が強いみたい、北日本は逆に昨年より遅いようだ、
さて今日は北日本で暴風雪が吹き荒れたようだ、昨日は九州でも季節風が強まり一気に冬が来た感じ、寒くなったなー
2012年11月24日土曜日
打田十紀夫ライブに行ってきた。
打田十紀夫ライブに行ってきた。前に某有名楽器チェーン店のセミナーで見た時以来なんで5年ぶりくらいか?
打田十紀夫、ちょっとプロフィールを紹介しておくと
カントリー・ブルース・ギターの巨匠ステファン・グロスマンに師事し、1987年にロサンゼルスで共演。以来、アコースティック・ブルース&ラグタイムを得意とするフィンガースタイル・ギタリストとして活躍。全国を回ってのコンサートをはじめ、CDやDVDなど数多くの作品のリリース、教則本や音楽雑誌での執筆、TABギタースクール主宰など、幅広い活動を続けている。『モリダイラ楽器/フィンガーピッキング・デイ』や『マーティン・クラブ・コンサート』のゲスト出演をはじめ、アコースティック・ギター関連のイベントでも欠かせない存在となっている。
又大変なプロレス通でプロレス界との親交も多い、(ジャイアント馬場のまねが得意)たぶんギターに出会ってなかったらプロレス界にいただろうくらいの通らしい、ライブのMCにもプロレスのことが半分くらい占めるかも?
カントリーブルースとの出会いは前に書いたことがあるが、このブログのタイトル、Bluesはこのカントリーブルースのことだ、日本でカントリーブルース研究家でこの人の右に出る人はいないだろう、しかもアメリカで随一のブルース研究家ステファングロスマンに師事したということからもその凄さがうかがえる、
ライブはドッグワトソンの曲から始まった、先月行った中川イサトのライブでも曲は違うが演奏していた、ドッグワトソンがいかに偉大だったかがわかる、
持ってきたギターはモーリスの特注と横山ギターのギターとリゾネーターの三本、氏は地方公演は数本のギターと旅道具とを持って行くのを常としている、なんかすごい状態だ、
場所はちょっとしたライブもできるというスナックバー、店主がジャンゴラインハルトが大好きで自身もなかなかの腕前らしい、
前回と同じく30分くらい前に行ってみたら誰も来ていない、しかし今回もぎりぎりになってなんかばたばたと入ってきて、そう大きくないスナックはほぼ満杯になった、
この人の場合カントリーブルースギターも凄いのだが、いわゆるフィンガーピッキングの曲もいろいろ挑戦していて(例えば和音階のチューニングで奏でる桜とか)ライブに集まった顔ぶれを見て今日はブルース色を強めようかとか考えるんだそうだ、
この人を知ったのはこれも前にブログで書いていたが、アコギ一本で弾くブルースギターの本を買った後くらいだ、このときはとりあえずロバートジョンソンとかブラインドブレイクとかちょっとは聞いたというか知った後だった、
ブルースというと結構ガシガシ弾いているという印象を持っていた自分にとっては打田十紀夫ってすっごくきれいな音で正確でびっくりした、後で知るステファングロスマンも同じようにとてもきれいな音でしかも正確だ、師弟関係で同じ印象を持ったわけだがそれだけでもなさそう、
今回聞いた音も実に綺麗で正確、アコースティックギターのライブはだいたいMCのときに使うマイクがじゃまなので弾くときはぐるりと回して横に滑らすのだが毎回マイクのSWを切っていた、それに一曲終る毎にタオルで手を拭いていた、それをみているとたぶん几帳面な人なんだろうなーという気がする。
もう一つついでに日本のブルースっていうので思うことがある、それは関西と関東の違いだ、関西ブルースってちょっと泥臭い印象がある、憂歌団とか前回見たザビエル大山(とこの人は名古屋だが)とかタッチが強くてガシガシ弾くタイプみたいだが、阪神系ってなんかそんな人が多い、ロバートジョンソンの曲を日本語で歌ったりする、
一方東京ブルースってちょっとこじゃれているっていうか、洗練されてるっていうかこれも前回見たアートストリートフェスでのTihana&町田謙介とかやっぱりブルースなんだがちょっと洗練されてる感じ、
狭い了見での話なんで勝手に思い込んでいるだけかもしれないがこの違いって面白い、巷でよく話題になる関西と関東の違いがこのあたりも結構出てるみたい
ギターもすごいんだがMCも実に面白い、3割くらいはプロレスの話になるんだがこのあたりの話聞いてるだけでも面白い、
この人の代表曲に想い出の鱒釣りというのがあるが、今まで釣りも好きなんだーと思っていたら釣りは全くしないんだそうで、NHKの番組が釣りの番組でその依頼でこのタイトルが付いたらしい(というか付けられた)
ところでリゾネーター、ブルースには欠くことのできないギターだが、前回Tihana&町田謙介を聞いたときリゾネーターもいいなーと思ってて最近とても興味がある、
モーリスと横山ギターにはいずれもサンライズピックアップが付いていたがサンライズピックアップってプロには絶大だなー、とりわけフィンガーピッカーには御用達という感じだ、これが出て随分となるし各社いろいろ新しいのが出ているが、確かにいい音だとは思う、本当のところプロが未だにこれってのはなにかわけがありそうなんだがなー
今回3本のギターだったがあまりチューニングをチェックしている姿を見なかった、数回クリップオンチューナーをチェックしたくらいか、後は弦同士でのハーモニックスでのチェックだった、
理由はそれほど頻繁にチューニングを変えてないというのと自身がプロデュースしているという弦がとても狂いが少ないというのもあるかもしれない、それとMCが面白いんでチューニングの間をあまり感じさせないのもあるかもしれない、
アコースティックギターとりわけオープンチューニングが多くなると曲と曲の間が結構チューニングに時間を取られる、押尾コータローは曲毎にギターを変えていた、(ステージ袖から係りが次の曲用のギターを持ってくる、)前回の中川イサトではチューニングの時間がかなり長くてとりわけイサト氏は時間を掛けていた、
今回のステージ、顔ぶれからかブルース系よりアコギインスト系が多かったようだ、まあ最近はかなりフィンガーピッキングのウエイトが高くなってるようでもあるが、でもリゾネーターもよく使っていてこの音を堪能できたのはよかったなー
姿勢がとても良くて、スタイルはクラッシックスタイルの左足に足台を置いてのスタイル、それにあの済んだ音色、ブルース系なんだがまるでクラッシックを聞いているみたいだ、
今回も前回同様CD購入、とてもリッチな気分になれた夜だった。
2012年11月19日月曜日
天草紀行その2
かつて転勤族であったので転々としていが、牛深が一番長かった、しかし思い返してみるといろいろあったが面白かったなー
私が赴任したのは20年くらい前か、5年間くらい住んでいた、赴任してすぐまず言葉がわからない、同じ熊本だがわからない、特に地元同士で話しているとわからない、
ちなみに言葉は同じ熊本でも菊池、熊本市内、八代から人吉、天草も本渡と牛深ではずいぶん違う、
赴任したはいいがアパートがない、仕方なく数か月男子寮に住んでいた、やっと見つかった一軒家、これがめちゃ古い一軒家、しかも港の入り口で目の前は海、海、うみー!ここは海底が砂地でイカがよく釣れるのでいつも誰か釣りをしている。
大きな船が通ると家が揺れる、しかも波が押し寄せ、前の道まで波がばしゃーんとかぶる、一度だけこの港にイルカが迷い込んできたのを見たことがある、
早朝船がバーッと出ていくんだが、船の音ってうるさく感じたことはなかったなー、そー言えば夜寝ていると遠くからポン・ポン・ポンといわゆるポンポン船、少しずつ音が近くなるんだがなかなかここまで来ない、いつ来るんだーじれったいなーと思いつつ眠りにつくなんてのもあった
この古い一軒家、裏ががけで草木も多かったせいもあるが夏は虫に悩まされた、げじげじというなんか初めて見た虫、やたらはや足で通り過ぎるのだがハエたたきでバシッとやると簡単に足がバラバラになる、問題はムカデ、えらいでかいのが出没、さすがにこれには閉口したなー、ちなみにこの辺りはムカデはだいたい多いらしい、あと雨漏りはひどいし、ネズミもいたな、すごいところだった、一年くらい住んでたか?
家ではないが一度サソリに似たのを見たことがある、なんでもサソリもどきという毒のない奴だそうで問題ないんだそうだがこんなんが道端で見たらびっくりする
(今回調べてみたら牛深が北限だそうで県の天然記念物になってるそう、毒はないと思ったら尻尾から酸に似た液を噴出するそうでこれはちょっとやけどしたようになるそうであぶないんだそうだ、最近はかなり減っているとのこと)
家に鍵をかけない、家をでるとき鍵をかけていたら隣のバーさんが「なんば鍵かけよっとねー」と怒られる、「鍵かけたら留守てわかるたい」、なんのこっちゃ??自分がいたころ配達の仕事もしていたが8割がた留守でも鍵がかかっていない、ということはまあどろぼうもいなかったということなんだろうが、今は変わったろうなー
配達の時送り状にフルネームで聞かないと大変なことになる、お客さんに任せて書いてもらうとだいたい地域名と名字だけだ、こうなると例えば浜だったらその地域一帯浜の姓である、住所も地域名だけであとは書かない、
コンビニもない、(まあ当時はそれほどコンビニは出来てなかったが、今はあるのかなー?)とにかく夜は真っ暗、パチンコ屋が一軒あったか?困ったのが病院だ、唯一市民病院があったなー、来た時はわからずに病院は困った、
魚はまさに新鮮、というかまだ生きてる、スーパーの鮮魚コーナーでトレーにパックされた魚がいきなりはねてドサッと落っこちてきたというのがあったなー
しかしいい魚とかアワビとかウニとか取れるんだがぜんぶこれらは商用、地元の口に入ることは少ない、そういうこともあってか何故か鮮魚コーナーでトロ箱市みたいなセールをやるとすごく売れていた、おばいけという白身クジラの部分はこの地域では必需品で鮮魚コーナーにはいつもあった、今はどうだろう?
港に海中遊覧船が走っている、サンゴ礁の北限で遊覧船で見られる、きれいだ、でも今は温暖化でサンゴ礁の北限は北上しているらしい、とにかくこういうところなんで海はめちゃきれい、
海中遊覧船が止まるわきに魚政という魚や兼レストランがあるんだが有名で舞台挨拶でも杉田かおるが松田美由紀からここのオムライスがおいしいってんで定食食べた後オムライスも食べたと話していた。
牛深市から西海岸を回ると茂串海岸という海水浴場がある、車を止めて10分ほど海岸沿いを歩かなければいけないがかつては地元の小学生御用達の穴場だったそうだ。だからすごくきれいで泳いでいてもそばに小さい魚が泳いでいたりした、若いのが来るようになって今はすっかり夏は若者ばっかりだ、
このあたりの魚貫という海岸線、とにかく夕日が絶景、天気がいいとき東シナ海に沈む夕日は本当に本当に絶景、
絶景と言えばやっぱり海はいい、晴れた日はとにかく海はいい、でも雨の時は雲なのか海なのかわからない、
お盆になると何故か大阪弁が増える、というのもこれは帰省した人のことだ、自分がいた時も地元の高校の8割は地元を出ていくそうでとりわけ関西方面が多いらしくて、従ってお盆などは大阪弁が飛び交っていたりする、
お盆と言えばこれまたびっくりしたことがある、お盆前にやたら花火が売れる、それも大型の打ち上げ花火のセット、そうお盆の時お墓や海に向かって打ち上げ花火がバンバン上がる、灯篭を飾った漁船が海へ出る、対岸では日蓮宗か?ドラやらなんやらじゃんじゃんやっている、ここのお盆は賑やかというかうるさい、最初はこれもびっくりした、
長崎が打ち上げ花火とかでバンバンやる風習があるがどうやら海伝いに伝わったのではないかなー
派手と言えば小学校の運動会、ほとんど家族親戚総出のお祭りだ、だから子供のいる主催者の家庭は大変だ、運動会の夜は大宴会でそういう家はこの日だけで山盛りの買い物をしていく、
お祭りと言えばこの映画の主題でもある牛深ハイヤ祭り、毎年4月に開催される、牛深ハイヤ節、なんでも各地に流れて行った踊りのルーツらしく徳島の阿波踊りもそうだという話がある、
この祭り出たことがある、この祭りの前会社のパートさんから仕事が終わってみっちり稽古、腰がはいっとらんとか言われていたが、牛深ハイヤ踊りはここの人にとっては子供のころから踊っていた踊り、身に沁みこんでいて特別なものがある。
いざ祭りが始まると何故かウサギの着ぐるみを着せられ後ろからキャンディを配るという配役になってしまったが…たぶんへっぴり腰の踊りはみせられなかったのだろう。
ところで牛深のパートさんとかの奥さんたち、実に強い、というのも牛深漁港、遠洋漁業の基地でもある、だから男は船に乗っていないことが多い、だから家を守るのは女の役目であった、今回の映画そういう一面もあるかなーとも思う、女の都ゆえんである、
そして舞台にもなった遊郭、自分がいた時もなんか立派な旅館みたいなのがあったので、あれはなんだと聞いた事がある、そしたら遊郭だという、なるほど昔はずいぶん栄えていたんだなーという名残だ、
天草で一番大きい町は旧本渡市だが、旧牛深市までは約50分ほどかかる、舗装されるまでは本渡市から2時間くらいかかったという、こうしてみると陸上より海上交通の方が昔は便利だったはずだ、
映画のクライマックスでは雪が舞っている。この映画のクランクインは1月で相当寒かったようだ、南の町に雪?とおもうかもしれないが天草は結構寒い、というか確かに最低気温は高いんだが、西のはずれに位置してることもあり、九州というところ結構冬は北風というより西風が強い、その最西端の土地柄、季節風が西よりで強いときは結構雪が降る。
自分がいた時もずいぶん積もった時があった、牛深から本渡までは山道なのでさらに厳しい、そんな中、道中えらい目にあったことがあったなー、
携帯が普及し始めたころでここ牛深でもドコモが使えるというので早速購入、家は一つ山を越えたところにあったのだが、家に帰ったら圏外だった、(もっとも家から携帯にかけることはないだろうが)
と言いつつもパソコンってやつを最初に始めたのは牛深だったなー、ネットを見たのもこのときからだったかなーEメールもパソコン通信とか言っていた頃だ、
釣り好きなら天国というところだが残念ながら釣りはさっぱりだった、というかこの頃は仕事ばっかりでたまの休みは疲れてたからなー、もうちょっとあっちこっち行けばよかった、
とまあ最初はびっくりの連続の日々だったが5年経って出るころはすっかりなじんでいたが、住めば都である、今はずいぶん変わったんだろうなー、
3年ほど前とある道の駅に牛深からと出張販売をやっていた、そこに地元では「にな」と呼ばれている(と思う)巻貝があったので買ってみた、この貝、牛深の飲み屋では必ずつまみに出てたやつだ、
今牛深どうですかと聞いたらやはり「ずいぶん寂れたよー」って言ってた、20年前はそういう感じはなかったんだが、タイトルに衰退都市No.1と出るくらいだからかなり状況は厳しいらしい、
わっげんおっげんの映画に戻るがやっぱり役者ってすごいな、まずは方言、これだけ短期間でしゃべれるってすごいもんだなーと感心した、それとやはりハイヤ踊り、三日間の練習があったというがそれであれだけ踊れるんだからなー、たいしたもんだ、
私が赴任したのは20年くらい前か、5年間くらい住んでいた、赴任してすぐまず言葉がわからない、同じ熊本だがわからない、特に地元同士で話しているとわからない、
ちなみに言葉は同じ熊本でも菊池、熊本市内、八代から人吉、天草も本渡と牛深ではずいぶん違う、
赴任したはいいがアパートがない、仕方なく数か月男子寮に住んでいた、やっと見つかった一軒家、これがめちゃ古い一軒家、しかも港の入り口で目の前は海、海、うみー!ここは海底が砂地でイカがよく釣れるのでいつも誰か釣りをしている。
大きな船が通ると家が揺れる、しかも波が押し寄せ、前の道まで波がばしゃーんとかぶる、一度だけこの港にイルカが迷い込んできたのを見たことがある、
早朝船がバーッと出ていくんだが、船の音ってうるさく感じたことはなかったなー、そー言えば夜寝ていると遠くからポン・ポン・ポンといわゆるポンポン船、少しずつ音が近くなるんだがなかなかここまで来ない、いつ来るんだーじれったいなーと思いつつ眠りにつくなんてのもあった
この古い一軒家、裏ががけで草木も多かったせいもあるが夏は虫に悩まされた、げじげじというなんか初めて見た虫、やたらはや足で通り過ぎるのだがハエたたきでバシッとやると簡単に足がバラバラになる、問題はムカデ、えらいでかいのが出没、さすがにこれには閉口したなー、ちなみにこの辺りはムカデはだいたい多いらしい、あと雨漏りはひどいし、ネズミもいたな、すごいところだった、一年くらい住んでたか?
家ではないが一度サソリに似たのを見たことがある、なんでもサソリもどきという毒のない奴だそうで問題ないんだそうだがこんなんが道端で見たらびっくりする
(今回調べてみたら牛深が北限だそうで県の天然記念物になってるそう、毒はないと思ったら尻尾から酸に似た液を噴出するそうでこれはちょっとやけどしたようになるそうであぶないんだそうだ、最近はかなり減っているとのこと)
家に鍵をかけない、家をでるとき鍵をかけていたら隣のバーさんが「なんば鍵かけよっとねー」と怒られる、「鍵かけたら留守てわかるたい」、なんのこっちゃ??自分がいたころ配達の仕事もしていたが8割がた留守でも鍵がかかっていない、ということはまあどろぼうもいなかったということなんだろうが、今は変わったろうなー
配達の時送り状にフルネームで聞かないと大変なことになる、お客さんに任せて書いてもらうとだいたい地域名と名字だけだ、こうなると例えば浜だったらその地域一帯浜の姓である、住所も地域名だけであとは書かない、
コンビニもない、(まあ当時はそれほどコンビニは出来てなかったが、今はあるのかなー?)とにかく夜は真っ暗、パチンコ屋が一軒あったか?困ったのが病院だ、唯一市民病院があったなー、来た時はわからずに病院は困った、
魚はまさに新鮮、というかまだ生きてる、スーパーの鮮魚コーナーでトレーにパックされた魚がいきなりはねてドサッと落っこちてきたというのがあったなー
しかしいい魚とかアワビとかウニとか取れるんだがぜんぶこれらは商用、地元の口に入ることは少ない、そういうこともあってか何故か鮮魚コーナーでトロ箱市みたいなセールをやるとすごく売れていた、おばいけという白身クジラの部分はこの地域では必需品で鮮魚コーナーにはいつもあった、今はどうだろう?
港に海中遊覧船が走っている、サンゴ礁の北限で遊覧船で見られる、きれいだ、でも今は温暖化でサンゴ礁の北限は北上しているらしい、とにかくこういうところなんで海はめちゃきれい、
海中遊覧船が止まるわきに魚政という魚や兼レストランがあるんだが有名で舞台挨拶でも杉田かおるが松田美由紀からここのオムライスがおいしいってんで定食食べた後オムライスも食べたと話していた。
牛深市から西海岸を回ると茂串海岸という海水浴場がある、車を止めて10分ほど海岸沿いを歩かなければいけないがかつては地元の小学生御用達の穴場だったそうだ。だからすごくきれいで泳いでいてもそばに小さい魚が泳いでいたりした、若いのが来るようになって今はすっかり夏は若者ばっかりだ、
このあたりの魚貫という海岸線、とにかく夕日が絶景、天気がいいとき東シナ海に沈む夕日は本当に本当に絶景、
絶景と言えばやっぱり海はいい、晴れた日はとにかく海はいい、でも雨の時は雲なのか海なのかわからない、
お盆になると何故か大阪弁が増える、というのもこれは帰省した人のことだ、自分がいた時も地元の高校の8割は地元を出ていくそうでとりわけ関西方面が多いらしくて、従ってお盆などは大阪弁が飛び交っていたりする、
お盆と言えばこれまたびっくりしたことがある、お盆前にやたら花火が売れる、それも大型の打ち上げ花火のセット、そうお盆の時お墓や海に向かって打ち上げ花火がバンバン上がる、灯篭を飾った漁船が海へ出る、対岸では日蓮宗か?ドラやらなんやらじゃんじゃんやっている、ここのお盆は賑やかというかうるさい、最初はこれもびっくりした、
長崎が打ち上げ花火とかでバンバンやる風習があるがどうやら海伝いに伝わったのではないかなー
派手と言えば小学校の運動会、ほとんど家族親戚総出のお祭りだ、だから子供のいる主催者の家庭は大変だ、運動会の夜は大宴会でそういう家はこの日だけで山盛りの買い物をしていく、
お祭りと言えばこの映画の主題でもある牛深ハイヤ祭り、毎年4月に開催される、牛深ハイヤ節、なんでも各地に流れて行った踊りのルーツらしく徳島の阿波踊りもそうだという話がある、
この祭り出たことがある、この祭りの前会社のパートさんから仕事が終わってみっちり稽古、腰がはいっとらんとか言われていたが、牛深ハイヤ踊りはここの人にとっては子供のころから踊っていた踊り、身に沁みこんでいて特別なものがある。
いざ祭りが始まると何故かウサギの着ぐるみを着せられ後ろからキャンディを配るという配役になってしまったが…たぶんへっぴり腰の踊りはみせられなかったのだろう。
ところで牛深のパートさんとかの奥さんたち、実に強い、というのも牛深漁港、遠洋漁業の基地でもある、だから男は船に乗っていないことが多い、だから家を守るのは女の役目であった、今回の映画そういう一面もあるかなーとも思う、女の都ゆえんである、
そして舞台にもなった遊郭、自分がいた時もなんか立派な旅館みたいなのがあったので、あれはなんだと聞いた事がある、そしたら遊郭だという、なるほど昔はずいぶん栄えていたんだなーという名残だ、
天草で一番大きい町は旧本渡市だが、旧牛深市までは約50分ほどかかる、舗装されるまでは本渡市から2時間くらいかかったという、こうしてみると陸上より海上交通の方が昔は便利だったはずだ、
映画のクライマックスでは雪が舞っている。この映画のクランクインは1月で相当寒かったようだ、南の町に雪?とおもうかもしれないが天草は結構寒い、というか確かに最低気温は高いんだが、西のはずれに位置してることもあり、九州というところ結構冬は北風というより西風が強い、その最西端の土地柄、季節風が西よりで強いときは結構雪が降る。
自分がいた時もずいぶん積もった時があった、牛深から本渡までは山道なのでさらに厳しい、そんな中、道中えらい目にあったことがあったなー、
携帯が普及し始めたころでここ牛深でもドコモが使えるというので早速購入、家は一つ山を越えたところにあったのだが、家に帰ったら圏外だった、(もっとも家から携帯にかけることはないだろうが)
と言いつつもパソコンってやつを最初に始めたのは牛深だったなー、ネットを見たのもこのときからだったかなーEメールもパソコン通信とか言っていた頃だ、
釣り好きなら天国というところだが残念ながら釣りはさっぱりだった、というかこの頃は仕事ばっかりでたまの休みは疲れてたからなー、もうちょっとあっちこっち行けばよかった、
とまあ最初はびっくりの連続の日々だったが5年経って出るころはすっかりなじんでいたが、住めば都である、今はずいぶん変わったんだろうなー、
3年ほど前とある道の駅に牛深からと出張販売をやっていた、そこに地元では「にな」と呼ばれている(と思う)巻貝があったので買ってみた、この貝、牛深の飲み屋では必ずつまみに出てたやつだ、
今牛深どうですかと聞いたらやはり「ずいぶん寂れたよー」って言ってた、20年前はそういう感じはなかったんだが、タイトルに衰退都市No.1と出るくらいだからかなり状況は厳しいらしい、
わっげんおっげんの映画に戻るがやっぱり役者ってすごいな、まずは方言、これだけ短期間でしゃべれるってすごいもんだなーと感心した、それとやはりハイヤ踊り、三日間の練習があったというがそれであれだけ踊れるんだからなー、たいしたもんだ、
2012年11月18日日曜日
天草紀行 その1
女たちの都 わっげん・おっげんを見てきた。熊本先行上映初日で舞台挨拶があった、登壇者は松田美由紀、杉田かおる、西尾まり、ブラザートム、緑友利恵、祷映監督 司会は熊本のタレント英太郎だった。
舞台は熊本県天草市(旧牛深市) 天草の下島の南端の漁港、熊本市から車で約3時間かかる、予告編のタイトルは衰退都市
NO.1そんな過疎の漁村を何とかしようと立ち上がった女達の物語という設定。
わっげん・おっげんってタイトル、なんだと思ったらあなたの家・私の家のことなんだそうだ、そーいや熊本では「おっげにけー」とか言うな、書いてみるとさっぱりわからない、
実はかつてこの牛深に5,6年住んでいた。仕事の転勤で赴任したわけだが、最初、はっきり言ってカルチャーショックだった、と、まあこの続きは次の回にて
舞台は熊本県天草市(旧牛深市) 天草の下島の南端の漁港、熊本市から車で約3時間かかる、予告編のタイトルは衰退都市
NO.1そんな過疎の漁村を何とかしようと立ち上がった女達の物語という設定。
わっげん・おっげんってタイトル、なんだと思ったらあなたの家・私の家のことなんだそうだ、そーいや熊本では「おっげにけー」とか言うな、書いてみるとさっぱりわからない、
実はかつてこの牛深に5,6年住んでいた。仕事の転勤で赴任したわけだが、最初、はっきり言ってカルチャーショックだった、と、まあこの続きは次の回にて
2012年11月2日金曜日
フジ子・ヘミングの亡き王女のためのパヴァーヌ
FMを聞いていたらフジ子・ヘミングの亡き王女のためのパヴァーヌが流れていた、引き込まれてしまった、
亡き王女のためのパヴァーヌ、ボレロなどで有名なラヴェルの作曲した曲だ、
ピアノ曲はパリ音楽院在学中に作曲した初期を代表する傑作であり、ラヴェルの代表曲の1つと言える。諸説あるが、ラヴェルがルーヴル美術館を訪れた時にあった、17世紀スペインの宮廷画家ディエゴ・ベラスケスが描いたマルガリータ王女の肖像画からインスピレーションを得て作曲した、とされる[1]。「亡き王女」という題名はフランス語でinfante défunteとなり、言葉の韻を踏む遊びから命名された。ラヴェルによるとこの題名は「亡くなった王女の葬送の哀歌」ではなく、「昔、スペインの宮廷で小さな王女が踊ったようなパヴァーヌ」だとしている[2]。なお、パヴァーヌとは、16世紀から17世紀にかけてヨーロッパの宮廷で普及していた舞踏のことである。 ウィキペディアより
当然ながらクラッシックとかほとんど知らないんだが、他にユーチューブとかで最近話題の辻井伸行のも聞いてみたがずいぶんと違う、辻井伸行のはやっぱ若さが感じられる、元気だ、
フジ子・ヘミングのほうはテンポが遅いのが特徴なんだが、それ以外にもなんというか重みというか、この辺りは年の功とでも言うんだろうか、より深い感じがした、
でフジ子・ヘミング 御年79歳、名前は知っていたが、スゥエーデンの父と日本人の母のハーフ、若いころから天才と騒がれながらも、ハーフということもあり戦前戦後とかなり苦労したそうだ、又若いころから耳が悪かったという、(最近の医療技術でだいぶ回復しているとのこと)
一般に知れ渡ったのは1999年のNHKの放映からなんだそうだ、
かなりユニークなおばさん(おばあさんか?)らしく毒舌発言も多い、聞く方にとっては好き嫌いがはっきりするタイプみたいだ、(例えばミスが多い、本人は人間だからミスは付き物機械じゃない、と言う。クラッシックの専門家からはどうも??という意見も…)
亡き王女のためのパヴァーヌ、一度聞いてみるといつ終わるんだろうと、とりとめのない曲に聞こえる、何度か聞いている繰り返しているんだが微妙に違っている、この感覚が後からなんともいえないのである、ボレロも繰り返しだよなー、どんどん変わっていってドカンと終わる、ラヴェルの特徴なんだろう、
フジ子・ヘミングの演奏
辻井伸行の演奏
ところでピアノと言えば前に西村由紀江コンサートのことを書いた、とても素晴らしかった、このときちょっと書いたけどその一週間前のちょっとしたコンサートでのピアノの音色が忘れられない、
小さいホールでなんか古そうな感じの小さめのグランドピアノ、色は茶色、このピアノの音色、よく聞くピアノの音色とずいぶん違う、いわゆるグランドピアノのダイナミックな音ではなく、とても優しい感じの音、こんな音色もあるんだなーと思った次第だが、そう思っているともう一度聞いてみたい
キーボードつながりだが、ディープパープルに在籍していたジョンロードが亡くなったそう、享年71歳、一時代を作った人が又いなくなったなー
亡き王女のためのパヴァーヌ、ボレロなどで有名なラヴェルの作曲した曲だ、
ピアノ曲はパリ音楽院在学中に作曲した初期を代表する傑作であり、ラヴェルの代表曲の1つと言える。諸説あるが、ラヴェルがルーヴル美術館を訪れた時にあった、17世紀スペインの宮廷画家ディエゴ・ベラスケスが描いたマルガリータ王女の肖像画からインスピレーションを得て作曲した、とされる[1]。「亡き王女」という題名はフランス語でinfante défunteとなり、言葉の韻を踏む遊びから命名された。ラヴェルによるとこの題名は「亡くなった王女の葬送の哀歌」ではなく、「昔、スペインの宮廷で小さな王女が踊ったようなパヴァーヌ」だとしている[2]。なお、パヴァーヌとは、16世紀から17世紀にかけてヨーロッパの宮廷で普及していた舞踏のことである。 ウィキペディアより
当然ながらクラッシックとかほとんど知らないんだが、他にユーチューブとかで最近話題の辻井伸行のも聞いてみたがずいぶんと違う、辻井伸行のはやっぱ若さが感じられる、元気だ、
フジ子・ヘミングのほうはテンポが遅いのが特徴なんだが、それ以外にもなんというか重みというか、この辺りは年の功とでも言うんだろうか、より深い感じがした、
でフジ子・ヘミング 御年79歳、名前は知っていたが、スゥエーデンの父と日本人の母のハーフ、若いころから天才と騒がれながらも、ハーフということもあり戦前戦後とかなり苦労したそうだ、又若いころから耳が悪かったという、(最近の医療技術でだいぶ回復しているとのこと)
一般に知れ渡ったのは1999年のNHKの放映からなんだそうだ、
かなりユニークなおばさん(おばあさんか?)らしく毒舌発言も多い、聞く方にとっては好き嫌いがはっきりするタイプみたいだ、(例えばミスが多い、本人は人間だからミスは付き物機械じゃない、と言う。クラッシックの専門家からはどうも??という意見も…)
亡き王女のためのパヴァーヌ、一度聞いてみるといつ終わるんだろうと、とりとめのない曲に聞こえる、何度か聞いている繰り返しているんだが微妙に違っている、この感覚が後からなんともいえないのである、ボレロも繰り返しだよなー、どんどん変わっていってドカンと終わる、ラヴェルの特徴なんだろう、
フジ子・ヘミングの演奏
辻井伸行の演奏
ところでピアノと言えば前に西村由紀江コンサートのことを書いた、とても素晴らしかった、このときちょっと書いたけどその一週間前のちょっとしたコンサートでのピアノの音色が忘れられない、
小さいホールでなんか古そうな感じの小さめのグランドピアノ、色は茶色、このピアノの音色、よく聞くピアノの音色とずいぶん違う、いわゆるグランドピアノのダイナミックな音ではなく、とても優しい感じの音、こんな音色もあるんだなーと思った次第だが、そう思っているともう一度聞いてみたい
キーボードつながりだが、ディープパープルに在籍していたジョンロードが亡くなったそう、享年71歳、一時代を作った人が又いなくなったなー
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