2009年12月10日木曜日
やっとわかった
とどろく海鳴り~?粉雪はしんしんしん~?だけ、
ふと気になると気になってしょうがない。そこでネットでみんなの歌とこれだけの歌詞であっちこっち検索、すると遂にたどり着いた。NHKみんなの歌で流れていた”雪映えの町”とわかった。昭和47年12月 歌は倍賞千恵子、作詞 中村千栄子、作曲 小川 寛興
残念ながら音源が無いらしい、いくつかMIDIでは再現されている。
http://syoutarou.com/yukibaenomati.htm
作詞の人は新潟出身らしい、いかにも北国の情景たっぷりの歌詞だなー、音も無く降り積もる雪の夜の情景が浮かんでくる。というよりもここ南国九州では雪が積もることあまりないし、(それでも昔は結構降ってたような気もするがやはり暖冬のせいか最近降ることはあっても平地で積もることがあまりない。)そういうのを考えると雪国に対する憧れがこの曲を記憶に留めたのだろうか?
ちょっと意外だったのが後半転調でマイナーからメジャーに変わる部分がある、ほーっと感心した次第、それにしても原曲の倍賞千恵子バージョンを聞けないかなー、
倍賞千恵子といえば最近はハウルの動く城で声優をやってたなー、思いつくといえば男はつらいよの寅さんの妹役、その程度だったのだがここでも又ネットであっちこっち検索したりユーチューブ見たり、そしたらなかなかの美人だなー、おまけに抜群に歌うまい、
それにしても原曲バージョンを聞いてみたいものだ。
2009年12月5日土曜日
涙もんのコラボ
http://azemaru.at.webry.info/200911/article_9.html
内田勘太郎といえば優歌団、若い頃見に行った覚えがある。実に楽しいステージで面白かったのを覚えている。若い頃この人のビデオを買った、難しすぎてさっぱりわからんかった。(でも面白かった)
その勘太郎氏とのコラボ曲はこれまたなんとスゥイートホームシカゴだ。勘太郎氏のギターはおなじみチャキのアーチドトップ、鷹彦氏はエピフォンテキサンだ、どちらも凄い。それにしても鷹彦氏のブルースが聞けるとはいやー驚きだ。そしてコレがブルースを奏でてもしっかり鷹彦節になってしまうあたりはさすがに巨匠だ。
こいつはもうほんとーに涙もんのコラボだった。
2009年12月1日火曜日
福田進一リサイタル
最初の音の出だしから「すげー」の一言、さすがにクラッシックギターの大御所である。最初の出だしの一音から風格というかぞくっと来るものがある。
もう一つ驚きがPAが無いことだ。マイクが無い。スポット照明も無い。まあクラッシックだから当たり前といえば当たり前なのだが、これが実に新鮮、会場は協会で100人くらいか?最近リバーブシュミレーターなどでいろいろ残響は作れるのだが素の音とほどよい残響感というのは実に新鮮だった。ただやっぱりもうちょっと音が聞ければナーというのもあったが、これは大音量に慣れてしまった現代人のたわごとだろうな。
クラッシックということもあって知っている曲は少なかったが、1音1音の音色の変化とか凄いもんがあるなー、それでも中には最近弾けるようになりましたとか言ってた曲もあった。面白かったのが意外と特殊奏法が多かったこと、最近流行のボディヒッテイングとか弦をからませてドラムみたいに弾くのがクラッシックにも存在するのに驚いた。又ハーモニックスも多くこんなに多様なハーモニックスが使われるのかとそしてまたこれが綺麗なハーモニックスなんだなー、
ちなみにギターは1800年代に作られたという超ビンテージ、なんでも中古住宅が買えるくらいの値段だとか…これくらい古くなると音的にはカリンカリンの乾いた音色である。サスティーンは短めな気がする。あと低音も枯れてちょっと小さい気がした。
クラッシックギターでは前に木村大コンサートに行った、こちらはまだ20代の若いギタリスト、クラッシックとはいえエネルギッシュでまさに若さという感じだったのに対し今回は円熟の、という印象だったなー、ともあれ円熟のギター演奏を満喫できた一夜だった。
クラッシックギターは一本持っている、タカミネのギターなんだがエレアコで有名になったあのタカミネとはどうやら会社が違うらしい。いろいろ調べたら現代ギター社の雑誌などにちょこっと載っていたりする。それによると通販とか一部のクラッシック専門店あたりしか出てないらしい。
手工品らしくネックの裏などはちょっとでこぼこしてたりする。当然中古なんだがかなり傷も多く、まあ致命的というのはないんで弾いてみたら、他のクラッシックギターより高音がはっきりしていてなかなかいい音がするんで購入した次第。同じタカミネという名前からしてタカミネ一族なんだろう。(KヤイリとSヤイリみたいなもんか)
持ってはいるがクラッシック系の曲一曲もマスターできてない。とほほ…
明かりに灯される銀杏、すっかり色づいてそろそろばさーっと散り始めてる。が最近暖かいなー
今年はエルニーニョ現象で暖冬という予報なんだが当たりかも…
2009年11月26日木曜日
Roland JX8P
2009年11月13日金曜日
Oh!ラジオその5
昼間のAMということもあってローカルの番組が多いのだが、これがなかなか面白い。
地元ということもあって話題も豊富だし身近な情報もゲットできていいもんだ。
前にも書いたが純喫茶谷村新司も聞けるときは良く聞くし、NHKは全国版だが4時頃にある特集にはほーっと感心したり、考えさせられたりなどなど…
FMはさすがにあまり聞かないがそーいや日曜にやってる福山雅治のDJはテレビで見るあのかっこよさとは裏腹に(とは言ってもこの人はなにやってもかっこいいのだが)出身の長崎弁は出てくるし、コンナ面白い人だったのかと再認識したりと、まあテレビに比べるとやっぱりその人の素がでるところがいいなー
というわけで又よく聞くようになったのだがいまさらながらラジオは面白いなーと感じるこの頃である。自分が学生時代に比べるとネットやらなにやらメディアも格段に増えたこともあってラジオの聴取率ってのはかなり下がってるんだろうなー。
最近聞き始めてわかったのだが意外とAMというのは電波の伝播が良くない。今のところは鉄筋のアパートなのだがこうなるとそのままではAMは非常に聞きづらい。又ちょっとしたノイズで入りにくくなるしバイクに乗って聞こうと思ったらまず無理、夜になるとローカルでさへ混信してききづらいときがある。ネットやら地デジやらと情報の伝達手段もどんどん変わっていく。AMも変わっていくのだろうか?
毎晩のように聞いた学生時代、ちょっとだけ世界を覗いたBCL時代、音楽っていいなーと教えてくれたラジオ、そして今も自分には無くてはならない存在だ。
2009年11月8日日曜日
Canonプレミアムアーカイブス残したい日本の風景
気になる写真家が何人か出てきた。最近人気の女性写真家で米美津子や鉄道写真家広田泉、なんか面白かったなー、びっくりしたのは風景写真家の大御所、竹内敏信、最近あまり雑誌などに出なくなったナーと思っていたら脳梗塞で半身不随になってしまったという。なんとかリハビリで動けるようになったものの奥さんと助手の介助が必要だがなんとか撮影を再開したと言う。この人の風景写真ってすごいなーと思ったものだ。風景写真なのになんかすげー迫力を感じた、なんか風景写真に力がこもってるって感じだ。
このシリーズを見ていてわかったのが写真って結構運動神経使うもんだ、風景写真といえどその一瞬はほんとうに一瞬しか来ない。その一瞬を捉えたらフレーミング、シャッター速度、絞り、などなどを一瞬で決めなければいけない。そういう意味ではうーん自分には難しいのかなー、まあプロだったら大変だけど好きでやってるからいいか。
そーいや最近のデジカメはどんどん進化していて顔認識とかおっかけフォーカスとかなんかもうカメラ任せで何でも出来るようになって来た。それでも作品ってのはカメラ任せでは絶対撮れないところが面白いのだろうが、おっと話が逸れた。
もう一つやっぱりプロ同じ目線では見ないってことだなー、マクロを中心に写している写真家は花の茎でさへ作品にしてしまう。最近終わったがNHK趣味悠々でローカル線の旅というタイトルで鉄道写真の講座があった。ここでは講師は広田尚敬、こちらは鉄道写真の大御所である。こちらもまた面白くてずーっと見ていたのだが、いやーなかなか見ごたえがあった。いづれにせよいい写真を撮ろうと言うことにかけては凄いものがある。
ところで最近CanonはEOS7Dを出したがカメラ屋で持ってみると実に重い。こんなのずーっと持ってたら腕が上がってしまいそうだ。しかしCanonとNIKONは張り合ってルナー、だいたい同クラスのを出すと相手も出してくる。心配はペンタックス、最近身売りの話が出ている。ミノルタはSONYに吸収されてしまったがミノルタ好きだったんだけどなー、SONYになって今一好きになれないんだよなー
デジカメになったらもう名器というのが出てこなくなるなー、あまりにチェンジの速度が速すぎる。一年前だともうかなり古いものになってしまう。CanonのF-1、やNIKONのF3などはプロご用達だったがこういう名前ももう残らないのかもしれない。残るとすればEOSとかのシリーズ名か
Canonアーカイブシリーズはまだまだ続くようなのでちょい楽しみだ。
2009年10月24日土曜日
Oh!ラジオその4
AR3000A
さてさて話は戻って高校以降はもっぱらAMとFMに、興味はMusicへと移って行く。AMといえばオールナイトニッポン。オールナイトニッポンといえば鶴光のミッドナイトストーリー、当時は絶大な人気だったものだ。あとタモリ、イルカ、武田鉄也、中島みゆき(この辺りはだいぶ後だったか)など良く聞いたものだ。おかげで授業中はボーっとしてたか寝てたか、…地元のDJにも面白い人が多くよく聞いたものだ。 この頃他局でもセイヤング、パックインミュージック、ミッドナイト東海などなどネット局はなかったが、ノイズの中この辺りもたまに聞いていた。
FMは高校の頃からだったか、当時はエアーチェックというFMからカセットに録音して聞く、ってのが流行っててFMレコパル(オーディオ系の記事が多い)週間FM(アーティスト系の記事が多い)FMfan (クラッシックの記事が多い)の3誌が創刊されていた。FMレコパルではオーディオの記事が多かったので随分勉強になったものだ。
いつしかスカイセンサー5900はライン出力でカセットと繋がれエアーチェック専用になってしまった。 そこで洋楽にはまっていく。覚えているのはNHKの朝7時から一週間特集があってこれでディープパープル、クイーンを知った。このテープは随分聞いたものだ。この頃はレコードも聴くことが多くなり徐々にラジオを聴く機会は減ってしまった。 ただエアーチェックはけっこう続いた、FMを聞く機会が多くなった。
2009年10月20日火曜日
加藤和彦逝く
ショッキングなのは自殺であったこと、加藤和彦といえば日本のミュージックシーンには必ずといっていいほど見え隠れしていた存在である。印象は新し物好き、おしゃれーって言う感じか、いち早くアメリカのフォークを取り入れその後は海外にも進出したサディスティックミカバンドを結成、このバンドの変遷を見たが草々たるメンバーだ、つのだひろ、高橋幸弘、高中正義、小原礼、後藤次利とまあすごいもんだ。
最近は坂崎幸之助と組んで和幸で活動していたがSOUND&RECORDINGにプライベートスタジオが出ていてやっぱすげーなーなんて思っていた矢先だった。アコギでも最近CF.マーチンより古いマーチンをリメイクした感じの加藤和彦モデルなどが発売されたばっかりだった。ビールのCMで久々のサディスティックミカバンドを再結成、木村カエラをボーカルに迎えてやった曲は「タイムマシンにお願い」全くフルさを感じさせないニュータイムマシンだなーなんて思ったものだ。
自殺と言うのは本当にこの人に全く似合わない幕切れとなった。遺書があったという、もうやりたいことが無くなったとかあったという、又欝だったと言う話もある。今の音楽シーンを批判した部分もあったという、やりたいことが無くなったというのがこの人の場合一番整合性があるような気がする。又一人面白い人がいなくなった。合掌
2009年10月15日木曜日
OH!ラジオその3
それで短波帯とか他にもラジオバンドがあることを知り月刊誌のラジオの製作という雑誌を買い始める。この雑誌の購入はけっこう続いたのだがほとんど製作することは無かったなー、そして購入したのがSONYのスカイセンサー5500、この頃BCL(Broadcasting Listening / Listener)が早っててその世界にのめりこんだ。簡単に聞ける北京放送から難しかったドイツのドイチェベレなどは一回くらい受信したかなー、そして受信報告を送るとベリカードが送られてくる。海外へ手紙を出して海外から手紙が来るなんてのは今で言うなかなかグローバルなことやってるなーなんて勝手に思ってたもんだ。
BCLといえば当時マニュアル本のBCLマニュアル(山田耕嗣著)をよく読んだものだった。山田耕嗣といえばBCLの神様的存在だった。昨年亡くなったそうだ。そして受信機、この頃のブームで家電メーカーはいろいろ出していたのだがSONYのスカイセンサーとナショナルのクーガが双璧を成していた。スカイセンサー5500からその後短波帯がオールバンド受信できるスカイセンサー5900を手に入れた。5500はタイマー付き、何故かトランシーバー機能まで付いていた。がダイヤルが甘くてチューニングにはちょっと苦労した。
5900は中央にかなり精度の高いダイヤルが装備され1KHzでのチューニングが可能
ハムも聞けるBFOも装備されていた。この頃は屋根に上ってアンテナ張り巡らしたりいろいろやっていたものだ、今はデジタル化されて周波数を打ち込めば即その周波数に合わせられるのだがこの頃はダイヤルが主であった、しかしこのダイヤルを慎重にまわしていく感覚がたまらなかったなー
2009年10月12日月曜日
OH!ラジオその2
当時電子ブロックというおもちゃというか差し込むだけで簡単な電子回路を作れると言うおもしろいものがあった。半田付けが不要でいろんな電子回路が組める。(学研から出ていたようだ、いまでもあるみたいだ)ゲルマラジオ以降はこれで遊んでいたがただ遊ぶだけで進歩が無かった。
その後SONYのトランジスタラジオを買ってもらう。AMだけだが裏を空けるとコイルやらコンデンサーやらがびっしり、小さいながら高性能だった。コレを買ったころは中学生、ラジオ放送を良く聞くようになる。そしてラジオから流れるのは今流行の音楽!!お気に入りはポールマッカートニーのあの娘におせっかい、ジェット、(この頃ポールはビートルズを解散後ウイングスを率いて精力的に活動していた。)
サイモン&ガーファンクルの冬の散歩道、スリーディグリーズ、天使のささやきとか好きだったなー、
そーいえば最近やってたトンネルズ他の矢島美容室はスリーディグリーズをもじったものかな、
当時はポールがビートルズのメンバーだったなど知らずいい曲だなーとラジオから流れるままに聞いていた。
2009年10月8日木曜日
忌野清志郎Oh!ラジオその1
小学校低学年の頃、真空管ラジオがあった。よく昭和史資料館なんかで目にするでっかいラジオだ。いつの間にかなくなってた、そして小学校の高学年、ゲルマニウムのラジオキットをなんかしらんが買ってもらった。これが最初のラジオの出会い。
その2に続く
2009年9月26日土曜日
前途多難
でやってみようとトライしたのはいいが、いやー難しい。まず覚えるのに時間が掛かる。それを指が動けるようになるのに又時間が掛かる、一小節を弾けるようになるのに毎日一時間くらい弾いたとして2週間くらいは掛かってしまう。若い頃ならまだしもこの歳になると覚えるのに一苦労、指がついて行くのに一苦労、という感じ、そしてまがりなりにも弾けるようになってもひっかかり、まっかかりである。
まあ一日一時間程度であればそんなもんなんだろうがギターばっかりに時間を裂くわけにも行かない。DTMの打ち込みも始めた頃は時間が掛かってしょうがないなーと思っていたがそれどころではない。 しかも15分も弾いてると眠くなっていつしか寝てしまったという日々の連続
それでもまがりなりにも弾けるようになったらなかなか面白いもんだ。YouTubeで覗いてみるとソロギターの調べの動画がけっこうアップしてある。一番多いのはルパンか?一人で同じことばっかりやってると煮詰まってしまって続かない。アコギはなかなかストイックな楽器である。はたしていつまで続くやら??
2009年9月24日木曜日
J.T LIVE
シンプルな構成だがなかなか演出してあって飽きさせない。故郷と言うこともあってか、自分の生い立ちから両親の写真などをスクリーンに映し出しての演出、そしてさすがにアメリカを感じさせるのがユーモアたっぷりのジョーク、そしてちょっとアップテンポの曲になると観客が立って踊りだすのはさすがにアメリカだなー
一番の印象に残ったのがもうデジタルやらうんざりだ、特にドラムマシーンは駄目だと言いながら登場したのが本物のドラムに大仕掛けの自動ドラムマシーン、どういう構造かわからんが機械でドンツクドンツクやるリズムに合わせてなんと拡声器で歌うって言うのがあった。これにはびっくり、
さすがにアメリカの大御所ではある、シンプルなアコースティックスタイルながら最後は総立ちであった。最近は自分もちょっとアコースティックという言葉に回帰している感じである。パフュームもいいんだがやっぱりアコースティックなほうが最近は落ち着くなー
2009年9月19日土曜日
P.P.Mよ永遠に
自分が知ったのは当然ながらかなり後になっての事である。そしてPPMといえばギターの奏法の一つスリーフィンガーだ。かぐや姫を聞いていると陽水あたりには無いギターリフが聴ける、赤ちょうちん、22歳の別れ、好きだった人等々、拓郎では人間なんてに入っている花嫁になる君にとか、実は陽水の断絶に入っている小さな手はスリーフィンガーである。陽水では唯一この曲だけだ。
その疑問に当時ヤングフォークという雑誌があったのだがそれの別冊フォークギター教室ってのにこのスリーフィンガー奏法があったのだ。へぇーっこんな弾き方だったのかと感心したものだ。
この奏法に深くかかわってるのがまたまた石川鷹彦巨匠だ。あの素晴らしい愛をもう一度であの素晴らしいスリーフィンガーが聞ける。PPMのスリーフィンガーを日本に紹介したのが小室等だ。それを広めたのは石川鷹彦巨匠だろう。
なんか話がずれてしまったが、PPMのギターを聴いた時は意外とシンプルで丸い音色だなーと思った。PPMの曲には反戦歌が多い。当時ベトナム戦争そして冷戦とアメリカは揺れ動いていた時代だ。その旗頭としてPPMは活躍した。マリーさんは後年日本の拉致問題にも心を動かし活動していたと言う、ご冥福を祈りたい
。
2009年9月15日火曜日
ホルスト惑星
惑星が作られた頃は冥王星がまだ発見されてなくて冥王星がなかった、その後他の作曲家が冥王星を作曲したのがあるというが皮肉にも冥王星は惑星から脱落、結局惑星が作られた頃に戻ってしまった。
ホルストは天体と言うより占星術から惑星を書いたらしい。組曲の配列が火星、金星、水星木星、土星、天王星、海王星、となっているがテレビでは木星を中心に据えることで云々と言っていたがどうも占星術からきてるんじゃないかなー、いづれにせよ木星が中心になってることは確からしい。
その木星だがちょっと牧歌的な旋律はスコットランド民謡あたりの影響ではと言う。日本の曲にはよな抜き音階が良く使われるのだが木星でも”な”抜きになってるそうだ。そしてもう一つ最初の出だし音からフレーズが繰り返されるのだが最後は3オクターブも上がってしまうという。平原綾香は3オクターブもある音域を歌いきるのだなー、すげーもんだ。
もう一つ最後の女性の合唱が入って消え入るように最後は終わるのだが譜面にはかすかに聞こえるようにというような表記があるという。これステージではなんと楽屋で歌って音量の調節はなんとドアの開閉具合でコントロールしていた。これにはびっくり、
などなどあのホルストの惑星がちょっとわかった感があったが、ホルストは惑星をあんまり好きではなかったという説がある。まあホルストと言えば惑星、惑星といえばホルスト、あまりに有名になったおかげでこういうレッテルを貼られるのを拒んだのかもしれない、
とにかくクラッシックでこれだけ宇宙を意識させてくれるのはない。
2009年9月14日月曜日
やっと秋らしく
2009年9月6日日曜日
新幹線N700系&SL
ここ九州でも再来年には新幹線全線開通に伴って急ピッチであっちこっち工事をしている。
私が住んでいる某最寄り駅でも工事の真っ最中で最近ちょっと行ったのだが矢板であっちこっちかこってあって迷路みたいで参った。又南部に新幹線車両基地が作られているがその大きさにはびっくりした。
一方今年の春からSLが復活した。8620型という古いSLで数年前までSLあそボーイの名で阿蘇を走っていたのだが老朽化のため廃止、しかし廃車せずに小倉の工場で3年の歳月を掛けて復活、今はSL人吉号となって走っている。ひじょうに人気があって席は全席予約なのだがずーっと埋まったままだ。
もしかしたら高架橋は新幹線、下の在来線はSLという新旧鉄道物語が見られるかもしれない。
2009年9月5日土曜日
ビートルズ リマスター
今までのCD化は単にアナログをCDにしただけだったらしいが、今回は4年の歳月を掛けてジョージマーティン辺りも参加してのCD化という。初期のモノラルのアルバムもステレオ化されてるという。
ネットで先行お試し音源がアップされてたので聞いてみた、おー違うわい、確かにクリアーでレンジがアップしていて、それにステレオに慣れてしまってる自分にとってはステレオ化はなんともありがたい。ネットでの聴取でこのレベルであればかなり面白そうだ。
ボックスセットが3万円、一枚当たりにすると2000円を切る、うーん悩ましい
2009年9月1日火曜日
ここちよい時間
今日のリクエストはビートルズの初期から中期にかけてを中心に流れていたが、これがなんともここちよい、ビートルズを知ったのは遅く高校の頃、中学ではカーペンターズがカバーしていたプリーズミスターポウストマンがお気に入りだったのだが、どこで聞いたのだろう ビートルズの原曲を聴いたらなんかうるさいなー、カーペンターズがずっといい、と思いまずビートルズを聴くことは無かった。
高校になってビートルズのレットアルバムとブルーアルバムを誰からか借りた。そしたらおービートルズいいじゃーん!!ってんでこれから聞くようになった。この頃は初期から中期のを集めたレッドアルバムがお気に入りだった。がほどなく時間がたつと初期のはあまり聞かなくなってどちらかというと後期のを良く聞く様になった。
2009年8月28日金曜日
大御所アーティスト登場
NHKで井上陽水のLIFEが4日連続で放映された。デビュー40周年とのことだ。
テレビはだいたい録画して後から見ることが多いのだが今回ばかりはしっかり放映時間に見た。話は陽水が羅列したキーワードから構成されている。昔のお宝映像から今だから言える秘蔵話、陽水を取り巻く人々のインタビューなどなど実に面白かった。
私にとっては陽水の存在は極めて大きい、振り返ると中学時代それまでもいいナーと思う歌はいっぱいあったのだが陽水を知ったときはどうしても聞きたい、弾きたいという衝動に駆られたものである。そう今でも音楽を好きで聴いてる弾いてるというのは陽水がいたからだ。陽水がいなかったら音楽は自分にとってそれほど重要ではない存在だったかもしれない。
あの頃を振り返ってどうしても思い出せないのがどうやって陽水の音源を聞いていたのかということ、中学のときラジオ中心でカセットも無かったし卓上プレーヤーはあったがそれで聞いた記憶はあまりない。友達ンちあたりで聞かせてもらっていたのだろうか?中学のときはほとんどその当時の曲はもう知っていた。
アルバム氷の世界は日本発のミリオンセラーになった。9.5カラット180万枚、ゴールデンベストに至っては220万枚売れてるそうだ。デビューはアンドレカンドレ最初は泣かず飛ばずで陽水に変わって徐々に頭角を現す、この頃はいわゆるフォークブーム、吉田拓郎が中津川フォークジャンボリーで人間なんてを歌いまくった頃、そしてかぐや姫に代表される4畳半フォーク、陽水はアマチュアの頃が短くて早くにプロになったという。いわゆる下積みというのはなかったそうだ。ルーツはビートルズ、
ここで一つ疑問が残る、ビートルズってバンドでエレキ中心、なぜアコギで弾き語りだったのだろうか?同じことは村下孝蔵あたりも当てはまる。この人のルーツはベンチャーズと加山雄三、最初はエレキを自作したそうだがこの人も又アコギでやっていた。多分コレは時代背景なんだろう。この頃歌謡曲以外でいわゆるシンガーソングライターとなるとアコギで弾き語りが多分定番だったのだろう。
陽水の初期のレコード会社はポリドール、この会社いわゆるフォークブームというのとは一線を引きたかったのかもしれない。同じときポリドールには小椋 佳がいた。そしてこの二人の共通項はプロデューサーが多賀英典だったということ、アレンジャーは元モップスの星勝、アコースティックギターは安田裕美、いづれも登場して皆元気らしい。それにしても音楽製作においてはプロデューサーってのは偉いんだなー、まあビートルズにしてもジョージマーチンとか名盤の影に名プロデューサーありなんだが、氷の世界からシングルカットの心もよう、B面が帰れない二人、どちらをA面にするかということになって全員が帰れない二人を押したが多賀英典が心もようがいいということでA面は心もようになったとか、詩に関してもあのとおり非常にわかりにくい詩を書くんで書き直しを要求したりなどあったそうだが、氷の世界の詩は譲らなかったそうだ。
陽水を初めて見たのが中学の終わりの頃、第一印象は「でけー」大体ステージに立つと大きく見えるものなのだが明らかにでかい、しかもがっちりした体格でびっくりしたもんだ、そして音量もこれまた馬鹿でかい、この頃は招待状の無いショーを出した後のツアーで音的にはかなりヘヴィーなステージ展開だった。このツアーの後東京ワシントンクラブ(CD化はされなかった)に収録してある。このアルバムを聞くと当時がよみがえる。前座は忌野清志郎
スローバラードを歌ったのを覚えている。
招待状の無いショーのあとはあまり聞かなくなった。招待状の無いショーは大きな転機になったアルバムだと思っている。丁度この頃大麻で逮捕された。思うにそれまでは湧き上がってくるものをそのままガンガン表現していたように思う。たぶんそれが枯渇したのだろう。その後は陽水の目は内から外に向い始めたような気がする。なんて勝手に思ってるだけだが後のアルバムは聴いては見るものの初期のような感動は感じなくなった。
9.5カラットあたりまではとりあえず聞いていたか?が自分もこの頃は仕事に就いてなかなか音楽どころでなくなって聞かなくなった。少年時代を聞いたのはヒットしてから結構あとではなかったか?
陽水のキーワードはいろいろあったが要約するとビートルズ、テレビ、麻雀(阿佐田哲也)、ボブディランというところか?インタビューにはいろんな人が出てきてそれぞれに陽水を表現していたがさすがに作家はうまいこというなーと感心する。特に伊集院静という作家が「含羞」という言葉で表現していたのが印象的だった。
インタビューの登場する人に作家とかおおいのだがとりわけ同郷が多いのは偶然か?五木寛之、リリーフランキー、筑紫哲也、などなど、それにしても福岡出身って音楽家やら小説家やら多いのだがこの筑豊と言うところが多いのは何故なんだろう?石炭産業は石油に代わる前は黒いダイヤと言われた。陽水の頃は絶頂期から衰退期に向い始めた頃であろうか、
陽水のアコギ、最初の弾き語りの頃はS。ヤイリだったらしい、最近のステージではよくギルドとギブソンが多いなー、ギルドは二色の独楽に写ってたやつかなー、そしてバックメンバーに最近必ず出てるのが今剛である。陽水の弾き方はほとんどストロークで静かな曲にアルペジオが入るくらいである、スリーフィンガーは全くといっていいほどない。唯一断絶の小さな手はスリーフィンガーだ、
それにしても今年61歳だそうだがこの歳であの声が出るってのは凄い。同じく南こうせつも変わらないなー、最近出た弾き語りパッションを聞いたがあれは良かった。
インタビューには作家が多かったのだが同じミュージシャンってのが意外にも少ない。唯一小田和正が話していたが同じくらいの歳として活躍しているミュージシャンだが同じ時を過ごして来たというより同世代の対抗馬という感じだった。小室等が出てきたが売れてない頃はよく来ていろんな音楽を聴いていたというのはちょっと意外、奥田民生は陽水からオファーが来たと言ってたナー、そーいや中島みゆきもコメントを出してたなー
今まで知らなかった陽水がちょっと解明?いろいろあって面白いが一方ではどうでもいいことでもある。いづれにせよ自分にとって陽水はmy favorite artist であることは間違いない。これからもあの美声を聞かせてもらいたいものだ。
2009年8月27日木曜日
7月30日の訂正
ブログは思ったこと感じたことてきとーに書いているのでその辺りはご容赦ください。
2009年8月25日火曜日
東洋人と西洋人
同じようにパンダと猿とバナナの絵が描いてある。この中で二つ関連付けをするとしたら どれを選ぶかという質問、東洋人はほとんど猿とバナナ、西洋人はパンダと猿なんだそう だ。このことから東洋人は関連性というのを重視する傾向が強いという。常に回りを気にし ているという。西洋人はそのものに注意が注がれまわりはあまり気にしないという。中央に どーんとゾウが描かれた絵を見せると西洋人の目線はゾウに注がれてあまり目線が移動 しない、対する東洋人はゾウから背景の草原とかかなり忙しく目線が動くそうだ。
確かに東洋人は回りの人間関係とかとりわけ日本人はこういう回りを気にするのが得意 というか国民性なんだがこれって一般に東洋人が持ち合わせてるものなんだなーとも思 った、こういうのってDNAに刻まれてるものなのかなー、西洋人の個人主義的なところ もこういったところが背景にあるんだろう。
これがイスラム世界だとどうかとかインド人だったら、アフリカ人だったらとなるともっと 面白いんだがどうなんだろう?それにしても無意識のうちにこういうのが働くというのは 面白。人類の起源は同じなんだろうがこれがどこでこう変化が付いていったのか気に なるところだ。
この番組に外国の学者が出ていたがこの人が日本人は赤信号を守るが一人が渡りだす と皆赤信号でも渡りだすという。(赤信号みんなで渡れば怖くない)前回の総選挙、どどーっと小泉劇場に流れた、果たして今回は??
2009年8月21日金曜日
SONGS 中森明菜
レコードを探したら10枚あった。結構買ってたんだなー、CDになる頃からは全然聞いてな
かったのだが最近ではカバーアルバムが好調とのことで歌姫シリーズとか結構売れてるそうだ。
レンタルで歌姫シリーズを一部借りて聞いてみた。さすがに明菜節とでもいうかカバーだが明菜の世界に消化しているという印象だった。良かったのは艶歌という演歌を歌ったカバーは良かったなー、若い頃に比べると低音勝負という感じだ。
最初に気に入ったのがアニバーサリーというアルバムの中のアライラムという最初の
曲、レゲエ調の歯切れのいい曲であった。これからアルバム買ってたのだがやっぱあの
歌唱力だなー、あの頃双璧に当たる松田聖子がいたけどカナリーというアルバムを一枚
持っている。松田聖子も歌唱力ではすげーナーと思ったのだが中森明菜の方が合ってた
のかなー、
その後陽水が提供した”飾りじゃないのよ涙は”は新境地を開いた、お気に入りのアルバム
にビター&スウィート、D404MEなんか良かったなー、極めつけは”STOCK”、ちょうどレ
ードからCDになり始めた頃のだがなんでもシングルから漏れたのを集めたらしいがこれの レベルの高さにはぶっ飛んだナー
ビター&スウィート、D404ME、アニバーサリーなどはレコードしか持ってないのでアマゾンで検索するとCDになってるらしいが中古しかなくてなんとプレミアムが付いているのかやたら高い。アニバーサリーなんか11000円する。えーこれじゃとてもCDは無理かと思いきやふと立ち寄った中古屋でこの3枚が1000円前後で出ていたではないか、思わず買ってしまった。 ということでひさびさに明菜にはまった今日この頃でした。 振り返るとお気に入り アーティスト紹介とか多いな、ネタないときは今までのお気に入りシリーズでも書いてみるか?
2009年8月17日月曜日
音おもしろねたをいくつか
1.マイクもエージングで音が変わるのか
2.MPCのシーケンサーは本当に揺れているのか
3.電源ケーブルで音は変化するのか
4.アナログシンセの音は本当に太いのか
5.人間の可聴範囲は20Hz~20KHzか
などなど
日頃ちょっと気になってることの数値で見る実験ってんでなかなか興味深かった。
1.マイクのエージングはあまりはっきりしなかったがNS-10Mで比べたら数値でも違っていたというものだった。スピーカーのエージングは変化量が大きいようだ。そーいや中古やのジャンクにはウーハーのエッジがぼろぼろになったのをよく見かけるが、あれがスピーカーの最後と考えると変化するのは当然だろう。
2、はデジタルシーケンサーなのだが機種によって微妙にずれるそうで面白い。これがいわゆるグルーブ感が出るというのだからデジタルだけど面白いね。
3.電源ケーブルに関しては数値的にもあまり差はでなかったらしい、これがスピーカーケーブルあたりだとはっきり出るんだろうけど
4.これが一番興味津々、ブラインドテストで25名にミニモーグとソフトシンセのミニモーグでブラインドテスト、結果はばらばら、よってアナログシンセが音が太いというのは×となった。
それだけ今はデジタルサンプルが上手く取れるってことになるがそう考えるとソフトシンセってのもすげーなー、この世界はすでにバーチャルを超えてる?
5.これも面白かった。DTMにテストトーンってのがあったんだがヘッドホンで試してみたところ16Khzは聞こえない。かろうじて12.5KHzは聞こえた。低音では20Hzは聞こえない。
40Hzは聞こえた。従って自分の今の可聴範囲は40Hz~13KHzくらいということになる。
最近東京の公園で若者が騒がないようにと17KHz辺りの周波数を公園の周りに流して 若者が騒がないようにとする試みが報道されていたが確かに歳とともに高音域はかなり落ちるらしい。
だから超高音域は要らないかというとこれが雑誌によると脳に直接響いているという。面白いことに西洋楽器は案外狭くてピアノなどは16KHzくらいが上限でチェンバロあたりだと50KHzまで伸びている。民族楽器などは超高域が伸びるのが多いそうだ。
こうしてみるとCDのサンプリング44.1KHzというのは低すぎるんだなー、DTMやってて 思っていたのだがミックスダウンでWAVEに落とすとなんか痩せたように感じていたのだがこういう理由によるものかもしれない。さらにはMP3とかにしたらもうやめてーってなるんかなー、耳を鍛えるにはやっぱ生音を聞くことか?
しかし自分の世代はカセットテープで育ったから当時カセットテープの高音域をいかに落とさずにというのがテーマだった頃に比べるとMP3でも格段な違いが有る、ノイズは無いし 音も伸びている、しかしテープはアナログ、多分可聴帯域からなだらかに落ちていたんじゃないか?対するデジタルはバサッと切り捨てるという感じか?この辺りはアナログとデジタルを比べるのがナンセンスかもしれない。
最近はDTMもいいけどやっぱ生はええなーと感じるこの頃だが、音って耳で聞くだけじゃなく体で感じるもんなんだというのを再認識したような実験だった。
2009年8月16日日曜日
レスポール氏逝く
ミュージシャンとしても一流だったし亡くなる数ヶ月前までステージに立っていた。
レスポールの音といえば月並みながらやっぱりジミーペイジとホテルカリフォルニアのレスポールの音、そーいえばジェフベックの哀しみの恋人達もレスポールだったな。そして1968年から70年まで作られたレスポールスタンダードこれが芸術品にも値する出来だった。この塗装のトラ目を知ったときはへぇーっと感心したもんだ。
オリジナルレスポールというとゴールドトップの色にシングルコイルピックアップ、ストップテールピースではなかった。その後PAFという伝説のハムバッカーピックアップが搭載、サンバースト仕様が出てきて伝説は誕生した。そしてこの年代ってのは音楽も過渡期で69年にはあのWood Stockコンサートが開催され、ビートルズが解散し、ツェッペリンが活動を開始した。そういう意味では一時代が終わったのかもしれない。
自分もレスポールのコピーモデルを持っている、バーニーのレスポールカスタムモデル、バーニーと言う会社今でもやってるが結構忠実にコピーしたモデルを出している。最近知ったのだがフェルナンデスという会社、フェンダーの忠実コピーモデルばっかし出してるんだが(昔はフェンダー社からクレームも入ったことがあるという)この会社のギブソンコピーがバーニーと言う名で出しているそうだ。
ということでなかなかいいんだがレスポールって重い。5Kgくらいあるそうでこの歳になるとちょっと肩こりが…でもこれでホテルカリフォルニアのソロ弾くと気持ちがいいんだなー
Wood Stockの話だが最近1969年ってのが話題になってるようで雑誌でちょっと特集を組んであった。アメリカはベトナム戦争が泥沼化状態で閉塞感が強い時代だった。ヒッピーってのが若者の象徴であった時代だ。Wood Stockは若い頃映画館で見た。CSN&Y、ザ・フー、サンタナなどなど、でもやっぱり極めつけはジミーヘンドリックスのアメリカ国歌だったなー
これからはレスポールって伝説の…となってしまったがレスポールは永遠に不滅です、と言っておこう。
2009年8月12日水曜日
荒れる日本列島
昨日は昨日で日本南海にあった熱帯低気圧が台風9号になり今日は東海沿岸を東へ、湿った空気が 入り込んで中国地方、四国地方に豪雨、多大な被害が出ている。
ちょっと前に同じ中国地方で天候不順の大雨で被害が出たばかりだ。天気ではないがここんとこニュースにワイドショーは芸能界にはびこる薬物の話題で持ちきりだ。あと3週間になった衆議院選挙はどっか吹っ飛んでいる。
そういや先週はここ九州でもひさびさ震度4という地震があった。(自分がいたところは多分ここまで揺れてなかったように思ったが)今のところここは夏が戻ってきて暑い、暑い、それでもすっきりとはいかず雲が多くやたら湿度が高い、いわゆる湿った空気ってやつがいつもより多く流れ込んでいるせいだろう。ただ気温は確かに昨年より低く、最高気温は32,3度をうろうろ、前に書いた蝉の話題なんだが例のくまぜみは昨年よりちょっと弱い(とはいってもうるさいが)ように思う。一方あぶらぜみは昨年よりよく鳴いているようだ。どうやら蝉って気温に結構敏感らしい。
台風という言葉で思い出すのが平成元年か二年頃だったか台風19号というのが来た。台風の目は 長崎、佐賀と通っていったのだが私の住むところは台風は良く来るんだが東を通るとそれほどでもない。が西を通ると大変、この19号は最悪コースってやつを通った台風で勢力も猛烈台風でのちに青森に行ってりんごが大量に落下、通称りんご台風と呼ばれているものだ。
この台風のときは慣れているはずの台風がほんとうに恐怖に感じた。なにせ10tトラックは道でひっくり返ってるし電柱はズラーっとぶっ倒れている。この台風の後屋根と言う屋根はビニールシートで覆われて青い屋根が並んだ。当時の自分の車もボンネットに瓦が直撃した。
台風の被害が大きいときってのはスピードが速いときである。今回の台風も熱帯低気圧が日本南海をうろうろしていたかと思ったら北上、多分被害が大きかったところはいきなり降りだしてそれも時間雨量100mmなんていう滝のような雨がいきなり降ってあれよあれよと被害が大きくなってしまったのだろう。台風に限らず身構え無しに来られるとどうしようもない。ましてや地震は全くの予告なしだから…
台風が来たときいつも思うのだが雨粒の大きさが普通の雨と違う。梅雨時とか今よく言われるゲリラ豪雨とか夕立とかの雨つぶってやたら大きい。打たれると痛いくらい、それに比べ台風本体の雨ってのはやたら粒が小さい。が面積当たりの量は変わらないから雨量自体は同じらしいが、何故か教えてくれる人いないかなー
それにしても大荒れの日本列島いつ収束するのか?
2009年8月2日日曜日
イルカ&樋口了一ライブに行って来た。
イルカ&樋口了一ライブに行って来た。8月1日土曜、というと日本はほとんど夏祭り状態か?あっちこっちでイベント真っ盛りの土曜日、とある町での夏祭り企画とでも言うかこれにイルカさんが来るってンで行ってみた。
この町は夏に結構企画物ライブをやっている。前にはビギンなどもやって来たりと町おこしに力を入れている町だ。とは言ってもふつーのライブというよりあくまで夏祭りの延長線って感じ、会場の隣に別のイベント会場があったのだがここでは出店やらなんやら別企画が進行中、Photoを見てもらうとわかるが始まる前の光景、ステージ前は芝生でしかも敷物やら携帯椅子やら持参でなんか運動会風景??年齢層もぐーっと高く家族連れがほとんど、
この日九州でもこんなところにと言う感じでなんとエイベックスのライブが開催されていた、この町からそうだなー数キロ先である。倖田來未や浜崎あゆみや大塚愛などエイベックスのそうそうたるメンバーが一同に集まったライブがあったのだ。対象年齢が違うので比較するのが無理があるが同じライブでもえらい違いだなー
最初樋口了一によるライブがあった。最近痴呆をテーマにした”手紙”という曲がちょっと話題になっている。他の曲も家族をテーマにしたのが多かったように思う。この日午後は雨の予報でかなり心配されたがなんとか持ってくれてよかった。
そしてイルカさんの登場だ。8時前ちょっと遅い夕ぐれどき、さすがに夏祭りイベントということで選曲も苦労したようだ。で二曲めから雨の物語と海岸通があった。やっぱいいなー、そしてさすがに上手いのはやっぱ会場を盛り上げていくところ、これがまた思いのほか盛り上がるのだ。手拍子が始まれば回り見渡せば皆やってる。じーさんばーさんもやってる。会場が歌い出せば皆歌ってる、いやーなんか予想以上に盛り上がっている。びっくりだ、
中盤も過ぎた頃、イルカさんが私もさ来年でデビュー40周年ということを話し出した。ということでデビューの頃からを歌い綴った曲を披露。10分くらいになる長い曲、これがいやー良かった。昨年亡くなられた夫の神部和夫氏とデビュー当時組んでいたシュリークス時代の歌からメドレーで綴られていく。私は好奇心の強い女、この音源探しているのだが無いのだ。
この曲をやってくれたのである、それから鯨のスーさん空を行くとか続いた。そしてこれっきゃないって言う”なごり雪”も当然あったのだが特筆もんはヒットした当時と全く変わらない感じで歌えるってこと、これってなかなか難しい、昔の曲をあんときのまんまでってかなり難しいことである。声の音質とか歳とともに変わっていくし当人からすると歌いたくても歌えなくなるもんである。
このイルカさんのだんなさん、昨年亡くなられたのだが本当に運命の出会いというかこの人がいなかったらイルカさんは存在しなかった。シュリークス時代イルカさんの才能に気づいてその後イルカさんをプロデュースという裏方の形で支えた人である。やっぱ昨年はこの夫の死ってのはかなりショックだったようだ。が最近は落ち着いてこの半生を歌にしたり本にしたりしているようだ。
そしてラストからアンコールなんと総立ちになってしまった。(まあ立たないと見えないってのもあるかも?)思いのほか盛り上がりにもう一回アンコール、これは想定外だったらしくて バックにギターとキーボードがいたのだがこちらはもう引っ込んでしまっていた。そのアンコールはなごり雪皆で合唱という形でコンサートは終わった。
予想外の盛り上がりにびっくりしたがさすがにこういう場の作り方はうまいもんだ、それとこの町がここで毎回イベントをやっているので町民がこういうのに慣れてるのもあったかもしれない。イルカさんのライブは何度も見ているがこんなに盛り上がったの始めて見たナー
イルカさんを知ったのは中学の頃、当時オールナイト日本をやってたのでよく聞いていた。ばかやろうコーナーなんか面白かった。が曲のほうは聴いてなくてあのなごり雪がヒットした頃もピント来なかった。がイルカライブという(九段会館で収録したファ-ストライブ)を聞いたとき衝撃…すっかりイルカワールドというかその世界に引き込まれて以来レコード時代は聞き続けたんだが…CDになった頃からか聞かなくなった。コンサートも自分の中では一番通っている。もう7,8回くらい行ってるんじゃなかろうか?悲しいことに記憶力の悪い私はもしかして痴呆も?昔のライブのことほとんど覚えていないのだ、そして前回行ったのが2年前だったか久しぶりに行ってみて最近では二回目ということになる。
イルカワールドの中にやっぱりというか出てくるのが巨匠”石川鷹彦”氏である。イルカの世界から石川鷹彦氏のアレンジがいろいろあってこれが又良かったのだ。石川鷹彦氏を知ったのはかぐや姫じゃなくてイルカさんが最初だった。なごり雪も松任谷正隆氏がアレンジしたシングル版よりライブでやった石川氏のアレンジが好きだ。
イルカさんのトレードマークにマーチンD-35がある。なんでも3本ばっかし持ってるらしい。D-35というといわゆるフォーク時代でよく使われたマーチンギターである。だいたい書いてあるのがD-28より甘い音色で高域が28より強くてストロークからフィンガーピッキングにもいけるという案外オールマイティーなギターである。秘密はバックがスリーピースであることからこの音になるらしい。吉田拓郎も弾いてるなー、
一度70年代初期のを弾いてみたら良かったなー、D-35欲しいなー、ちょっと脱線した。
というわけでライブは終了したんだがこのライブ、古墳があるところでその名も古墳祭ライブ、あっちこっちにたいまつやらなにやらでちょっと幻想的風景だった。
2009年7月30日木曜日
何匹居るでしょう?
ここ九州ではくまぜみは真夏の代名詞の蝉、羽が透明で大型の蝉である。日の出とともに泣き出しだいたい昼過ぎ頃には泣き止む。問題はこの数、たしかに自分が小さい頃から居たのだがこうも数が多かったか?自分が子供の頃って言うと蝉取りするとたいがいくまぜみよりちょっと小さい油蝉という茶色いのが多かった。くまぜみは鳴いてはいたがけっこう高いところが多くてあんがい捕まらなかった。
ところが今はこのとおり手の届くところにわんさかといるではないか。うすきみわるいくらいだ、昨年だったかくまぜみの北限が北上しているという。だいたい関東以南だったのが関東以北でも見つかったという。どうやら温暖化が影響しているようだ。
蝉の鳴き方というと梅雨明け頃にいにいぜみという小さい蝉がシーっと泣き出し盛夏が来ると朝はくまぜみ、夕方は油蝉、そして夏の終わりを告げるつくつくぼうしが9月始めに泣き出す。というのが定番だったが、今年は蝉の声第一発がこのくまぜみであった。
今年はむちゃくちゃである。今年の天候を反映してかまだにいにいぜみも少しだが鳴いてるし雨が多く気温が昨年ほど上がらないせいか去年よりあぶら蝉も良く鳴いている。ほんのちょこっとではあったが里山ではつくつく法師とヒグラシも鳴いていた。
ちなみに日食の日はここ九州でも曇り、雲が薄くなった木漏れ日時に欠けた太陽が見えた。最大のときはさすがにちょっと薄暗くなってわしわし鳴いていたくまぜみが泣き止んで不思議な静寂がおとずれた。11時半頃には又泣き出して普通昼頃泣き止むところ2時頃まで鳴いていた。
今年の夏は不順天候が続いている。山口、九州北部の大雨、そして竜巻発生と今年の夏は夏らしくない。が気温が上がるときは結構上がるようで35度とかなる場合もあるようだ。とは言ってもここ九州はさすがに雨や曇り続きで平年並みかちょっと低いらしいが、
前も書いたようにどうやらエルニーニョが関係しているようだ。こういう天候不順は数年から数十年に一回くらいあるように記憶している。天候不順は日本だけでなく。ペルー沖が高音になるのであっちのほうは干ばつになったりと世界的に気候が不順になるようだ。
今日はここは雲が多いながら晴れ、このままいけば8月頭はこの辺りは梅雨明けするかもと言っていた、気象庁もかつて梅雨明け宣言して梅雨がもどってしまったりするので梅雨明けはかなり慎重とのこと、天候不順が続いてしまうと梅雨明けがないってこともあるそうだ。
2009年7月17日金曜日
気象現象ガストフロント発生
ちょうど昼頃だったか車の中に居たのだが普段から風が強い場所にいたのだが急激に風が強まり車がゆさゆさ、ちょっと恐怖を覚えるくらいの突風、雨も少しだが大粒のが降ってきた。その後えらく涼しくなってびっくり、次の日の新聞でガストフロント現象なる気象現象が発生したことがわかった。なんと32度あった気温が30分くらいで24度まで下がったそうだ。こんな経験初めてこんなこともあるもんだなー
今年はエルニーニョ現象が発生して太平洋高気圧が今一発達できないらしい、関東あたりは梅雨明けしたのだが九州北部はいまだに不安定な天気が続いている。しかしやっぱ暑いぞー、ちょっと晴れたら
真夏の日差し
しかし昨日の気象現象には驚いた。こういうこともあるもんだなー、22日はめったに無い日食があるが
九州は90数パーセント欠けるらしいが22日の天気予報は雨、難しそうだ。
2009年7月6日月曜日
サイレントギター
ヤマハのサイレントギター(通称骨ギター)コレが出る前はゴダンとかギブソンとかのソリッドタイプのギターはあったがここまでそぎ落としたのは無かったかなー、それもナイロン弦だったのではないか?発売当時は中島みゆきを起用してのCMも出ていた。値段もまあまあだし…
実際弾いて見るとほぼエレキギターと同じくらいの生音である。これなら深夜でも十分OKだ。さてラインの音はというとこれはびっくりである。ピックアップはLRバックスのピエゾが使われているという。出音はまんまピエゾの音である。しかし胴がなくてよくこんな音出るもんだなーと感心してしまった。多分シュミレーション技術が心臓部にはあるんだろうけれど胴があるギターと異存ない音が出るものである。ヤマハはナイロンギターは先に出たのだけれどもスティール弦を出すに当たってはかなり試行錯誤したそうで1年掛かったとあった。
特筆はバランスの良さである。良く使っているアーティストでリーリトナーがいるけれどもヤマハのサイトではバランスの良さを書いてあった。なるほど胴がない分バランスをとり易いのだ。胴があるってことはそのギターの個性を決める部分でもあるがその分バランスが難しい。これがないんだからバランスがとりやすいのは当然といえば当然だが表裏一体で一番難しい部分でもある。
もう一つじゃー弾き易さはどうなんだ、というところだがこれもGoodだった。ネックはさすがにヤマハである。握りやすい、極めて標準的なネックである。42mm幅厚すぎず薄すぎずの厚さ、あとハイポジションが使えるってのがいいな。22フレットまでストレス無しに使える。ボディの骨の部分は面白く、上のほうは取り外しが出来て収納もコンパクト、軽いってのもいい。上の骨のほうをはずしたまんまだとえらく弾きにくかった、人によっては左上のほうがちょっと当たってしまうのでサポートのために布などを巻いているのを見たことがあるが自分の場合は必要ないようだ。
面白いのはエレキ的にも弾けるってこと、ハイポジションは使えるし薄いのでエレキ的にも使えるしディストーションかませたらまんまエレキだ。あまり弾かないがモーリスの初代トルネードを持っている。(オベーションが出た頃のモーリスのコピー版でバックがグラスファイバー)これは生音はさっぱりである。生音はサスティーンが全く無くて面白くないのだがラインは非常にバランスがいい音がするなーと思っていた。これにかなり近い。この手のラインメインのギターはエフェクターのノリがいいんでいろいろ通すと面白い。
ちなみに本体にリバーブのみ付いているがどうやらバランスがいいってのはだいたい低音のふくよかさが犠牲になる部分がるのでその辺りが不足の人は使ってくださいという感じだ。ラインインが付いていて携帯プレーヤー辺りを繋いでセッションもOKだ。まあピエゾの音が嫌だという人はちょっと厳しいかもしれないが、夜弾くことがおおい自分には案外メインになるかもしれないギターである。
2009年6月8日月曜日
岸部眞明コンサートに行ってきた。
よくは知らない。そしたらとある喫茶というかレストランでミニコンサートがあるようなので行って見たのだがいやー良かったなー。
とりあえずあんまり知らないんでネットで調べたらなんとまあこの人も大阪出身で押尾コータローも師事した中川イサトに師事していたという。レストランは30名くらいかそれほど広いところではないが話ではここに何回か来ているらしい。ギターは最近おなじみのウォーターロード製ギターにサンライズのPUが 付いている。
開演は7時前くらいに始まり9時半頃まであった。なかなかの長丁場であったがいやーさすがだなーやっぱ違うなー、しかも目前で見れたんだからなー、昨日は阿蘇でやってここではギター好きが多かったそうでその後打ち上げが盛り上がって今日は眠いと言っていた。(そういや前に福岡で見た石川鷹彦 コンサートのときも前日沖縄で飲んで今日は二日酔いと言ってたな)
話ではアコギの話もちらほらと聞かれたがヨーロッパの何とか(忘れた)というギタリストに影響を受けたと言っていた。あとやっぱこの世界ではマイケルヘッジズやっぱこの人はアコギ界ではジミーヘンドリックスだな。それとやっぱギター自身も変わったがPUが進化したってのがアコギを変えたなー、今回もリバーブの効いたサスティーンのあるここちよい音にはうっとりであった。
最近はなんかミニコンサートやらライブやらに出かけている。2週間前くらいになるかこちらもイベントのミニ企画でブースに出している楽器店からだというがなんとジプシースゥイングのバンドが演奏していた。(下のPhoto)最近結構ジプシースゥイングも人気なのだがこんな田舎でもやってる人いるんだと感心したものだ。それから先週の際田まみミニライブにあと一つ太鼓を使ったライブがあったのだがこれも偶然遭遇、小学生から大人まで混ざった太鼓の集団なのだがコレが又迫力満点で(なんでもアメリカにも公演したことがあるそうだ)あった。
最近ライブ付いている自分だが日曜は勝手にマイライブ?と、familyからは「うるさい」のオンパレード、最近暑いんで窓とかドアとか開けてやってたら帰ってきたfamilyから外まで聞こえてるやメロー!であった。自分のギターは000スタイルのでトレッドノートではないのだがアコギはそれなり弾けばそれなり結構大きな音がするもんだ。あー完全防音設備導入出来んか?
2009年5月31日日曜日
.ちょっとしたイベントに行ってみた。
ラジオも何本かレギュラー出演してるそうでその中でなんでも歌にしちゃいますって言うコー ナーがあってこれも偶然一度聞いたことがあるんだがすげーなーと思っていたらこの人だったのだ、それでも今日のラジオのゲスト出演のとき話していたがやっぱ生みの苦しみってのはあるそうでまあそれはそれで大変なんだろうな
私はもう〇十年音楽というのに接しているがオリジナルってのは存在しない。この先もうーん!無理か?
2009年5月6日水曜日
忌野 清志郎亡くなる
2009年4月26日日曜日
GW突入だが…
そういえばミツバチが最近異常に減っているという、なにかの警鐘なのだろうか。 昨年後半くらいからか何故かカメラを復活して(遍歴にも書いたがまあ波みたいなもんでいつまで続くかわからんが)ぶらぶらと見ているとなかなか面白いものである。というのも四季ってのをすごーっく意識してしまった。
なんか表現がおかしいが今年くらい春ってのを感じたことはいままであったかなー、春ってのは生き物にとっては啓蟄とか穀雨とかにもあるように生き物にとっては春は今までじーっとしていた生命が怒涛の如く湧き上がってくる季節なんだなーとつくづく感じる。
Photoにも出てきたが鳥ではめじろ、あと春の代名詞うぐいす、ツバメ、最近多いなーと思うのがまあからすは別にしてヒヨドリってかなり多いんだなーと実感、あと知らない鳥たちなどなど、そして花である。まあ春といえば桜だが、それ以外にも実に春は花が咲き乱れる季節なんだなーと改めて実感、
2009年4月18日土曜日
マリエ・ディグビー
マリエ・ディグビー、日本人とアイルランド系アメリカ人とのハーフだそうだ。一度デビューしたそうだがあまりぱっとしなかったそうでその後YOU TYBEでアップしたら火がついたそうだ。なんとおばあさんが熊本だそうで地元ラジオで出ていたのだがえらくローカルな話も飛び出してびっくりした。
今回はJ POPをカバーしたアルバムのプロモで来たようだ。ファーストアルバムを聞いてみたががなかなかよかった。やっぱ火が付いたアンブレラが一番印象に残った。
それにしてもやっぱハーフっていろんな意味でなんか活躍してるよなー、ベッキーとかダルビッシュ有とか多いな、動画は地元テレビで放映されたもの
本妙寺桜灯篭祭り
本妙寺の桜灯篭祭りに行ってきた。参道一体からお堂にかけて無数の灯篭で飾られまさに幻想的風景に酔いしれた時間だった。灯篭は地域の人々が作ったものらしい。聞いたら今日雨だったら来週に延期、もう桜祭りではなくなるところだったようだ。一日限りの幻想的風景にめぐり合えたのはラッキーだった。
2009年4月5日日曜日
桜もそろそろ終わり
2009年3月14日土曜日
帰りにちょこっと…
お疲れさま 「はやぶさ、富士」
2009年3月10日火曜日
花粉症考…
自分はかなりひどい花粉症である。今年も2月下旬から
耳鼻科に行っているのだが思えば昨年は行かなかった
気がする。
耳鼻科で言われたのは昨年はあまりひどくなかったけど
今年は多いよ。とのことそういえば普通の年より早い
ここらへんも温暖化が関係しているような…
私の場合アレルギー検査では一番反応したのがかもが
やというイネ科ので私の場合一番ピークはゴールデン
ウイーク後である、本当に不思議なことに梅雨入りすると
ぴたっと治まる。
昔は杉はあまり酷くなかったが年取ったら免疫力が落ち
てるせいか杉もひどく反応するようになった。
この花粉症、思えば私の場合最初の発症は高校のとき
まだ花粉症という言葉が無くてアレルギー性鼻炎なんて
言ってた。
いまでこそ耳鼻科はかなり増えたが当時は少なくてしか
も少ないせいかやたらと威張り腐った医者が多くしかも
昔も患者が多くやたら待たされた、最近は花粉症も市民
権?を得て病院通いも楽になった。
自分の場合目はなんともないのだがとにかく鼻である。
不思議なのは薬、市販の鼻炎カプセル(抗ヒスタミン)
は効きもいいのだが副作用が強く自分の場合やたら
と喉が渇く、眠くもなる。が病院薬の場合それがほと
んどない。まあ効きも弱いみたいだが最近は市販薬を
買うくらいならとっとと耳鼻科に行くようにしている。
いまのところこれはアレルギーなので抑えるという薬し
かない、切れたら又症状が現れる。ただ酷くなる前に
処置したほうが楽なようだ。
昨日南こうせつの週末はログハウスでというFMの番
組で花粉症について話していた。花粉症は現代病で
先進国特有、ある人は免疫力が落ちているのが原因
ある程度雑菌とかに触れていないと抵抗力が落ちて
いくという。清潔、潔癖も問題だと、しかし自分はおせ
いじにも清潔とははるかに言いがたい生活を送って
いるのだがなー、今も昔も…
とにかく皆が浮かれる春なのだがこのシーズンは私に
とってはブルーシーズン到来なのである。
話は変わるが南こうせつの週末はログハウスででもう
ひとつ、アナログの楽しみについてゲストと語っていた。
アナログからデジタルへの変遷は音楽やPhotoのコー
ナーなどで折に触れ書いていたが私達の世代っての
はこのアナログからデジタルへの劇的な変化をもろに
感じている世代だと思う。
こうせつの番組でも最初の頃のレコーディングはせー
ので始めてやっていたという。改めていっしょにえいや
ーでやっちゃうこの緊張感が面白いと語っていた。
最近はレコーディングと言うと打ち込みとか重ねが主
流であるからなかなかこの緊張感は得られないという。
番組で話していたがクラッシックってのはメトロノーム
なんて使わないんだよなー、そういえば…、最近のレ
コーディングってのはたいがいガイドになるメトロノー
ムがヘッドホンから流れていてそれに合わせてとなる
又それがいいんだと言われていたという。
クラッシックでも練習ではメトロノームなども使うんだろ
うがそーいやクラッシックでは指揮者でテンポなんぞ
まるっきり違うからなー、それより抑揚というかその人
の感覚でテンポなど左右することが多い。
話はそれてしまったが感性っての考えればやっぱア
ナログなのかもしれない。前に書いたが良く見るブロ
グの人のPhotoはフィルム写真だ、久々見てフィルム
ってのもいやーなかなか深みがあっていいもんだなー
と思った。
しかーし今やアナログを極めるとやたらと金が掛かる
からなー、貧乏人は安価なデジタルに頼らざるおえな
い。
2009年3月3日火曜日
梅は咲いたか桜はまだかいな?
D品
NIKON 50mm F1.4
SIGUMA 50mm MACRO D EX F2.8
一眼レフデジカメはNIKON D50&ダブルズームキット
数年前に買ったのだがNIKONといえばCANONと並ぶ
代表 的カメラメーカー、フィルムカメラの頃NIKONって
やっぱいい ってんでNIKONを選んだのだがいざ写して
みると”ん?こん な感じ?どうも思ってたような感じでな
い。というのもいままで デジカメ遍歴ではFUJIのファイ
ンピックスシリーズがすごく良くてコンパクトデジカメはこ
のシリーズばっかり、とても自然な 写りで気に入っていた、
これと比べるとどうもNIKONは発色 が派手でなんか写
真というより絵に近い感じがする。
そういうのもあって前に書いたようにちょうどPANAのFZ
18 を手に入れたのであるが、いざ撮り比べてみるとさす
がに一 眼レフって細部とかを比較すると一日の長がある
。やっぱ違 うもんだ、
それともう一つ最近写真好きな方のブログがあって(主に
花 とか多い)この方がいやー凄い、往年の名器を使った
フィルムカメラとレンズなかなか年季が入っている。この
ブログ見ていたら又ちょっとやってみようかという気になっ
たのもあってレンズを購入した。このブログ見てるとフィル
ムってのもなんか味があるなー、音楽にたとえるとCDと
レコードかな?
レンズといえば昔標準レンズ といえば50mm今でもこ
れで勉強しろと教える写真教室もあるとのこと、その50
mmの特徴はなんと言っても明るいレンズ、F1.4って
のを体験してみたかったのだ。ただし自分のはフォーサ
ースなので50mmは70mmになってしまう。ぼけ方も
違うというが、
いざ使ってみてびっくりたしかにぼけるんだがピントの
幅の狭さにびっくり、こりゃなかなか大変だ、50mmで
勉強セーというのがよくわかるそれからやっぱ違うの
はレンズが良くなると明らかに写真って変わるもんだ
ねー、なかなかびっくりだ、
NIKONの標準をゲットした後SIGUMAを見つけたの
だがこのマクロちまたではかなり評判のいいレンズら
しい、中古でもそこそこ高い、これがかなり破格の値
段で出てたんで なんか問題あるかなと思ったが問題
ないようだ。
さっそく写してみるとなかなか面白い。特にマクロの世
界ってなんかはまりそう。ってんで季節は雛祭り、梅を
写してきた。
SIGUMA50mm F2.8 200/1
同上 500/1
データ 同上 125/1
300mm F5.6 100/1 NIKON ZOOM 70-300
300mm F5.6 60/1 NIKONZoom70-300
梅園の木の上をふと見上げるとなんと猫が…
かなり高いところに居座っている。(5~6mmあるか?)
びっくりした。崖の上のぽにょならぬ木の上のCatだ。
居心地がいいのかここでじーっとしていた。
私のカメラ遍歴ははっきり言ってコレクター的であん
まり写していないんだがここでちょっと紹介しておくと
学生時代 ミノルタの35mmハンディカメラ
写りはそれなりなのだがブラウン系の独特な発色が
とても良かった、この頃からミノルタっていいなと思っ
ていた。
初一眼レフ OLIMPUS MO10(通称逆光強)
オリンパスって他にハンディカメラも持っていたのだ
が非常にシャープな写りがした。ここで問題が発生、
この頃はマニュアルフォーカスしかなかったんだが
自分は強度の近視の為か なかなかピンとあわせが
上手くいかず苦労していた。
二代目 ミノルタ αー7000
これが良かった。初のオートフォーカス、自分でピントを
合わせてくれるのだ。そしてなんといってもミノルタの発
色は凄く 良かった。自分好みの発色、一番長く愛用。
三代目 ミノルタ αー7Xi
何故か短命だった。というかこの頃あまり写す暇が
無かった 一時ビデオカメラに走った。
SIGUMA 400mm F5.6
望遠レンズなんだがあんまり高くなくて実にいいレンズ
だっ た。が売ってしまった。今思えば手放さなければ
と思うんだが…
ブランクがあっておもちゃのデジカメ
初デジカメなんだがたしかトミーのだったと思う。が
これが 写り悪いんだがなんとも雰囲気のある写真が
撮れた。とい うのもソフトフォーカスがかかったような
感じで撮れるのだ あんまり使わなかったが後で見た
らなかなかの雰囲気
FUJI ファインピックス 型式不明、100万画素
本格的デジカメ、これからデジカメでぱそこんに取り込
める ようになった。その便利さとコスト(なんといって
もフィルム 代が節約できる)ダウンにびっくり
FUJI ファインピックス FZ4800 300万画素
もともと10万くらいするやつが安くなってて購入、
なんでも デザインはポルシェのジウジアローが手
がけたというが おかげで縦型でホールドしにくい、
しかし写りはぴか一だ った。これからFUJIの自然
な発色に傾倒、但し動くものに はとても弱い、
FUJI ファインピックス Z1
ファインピックスシリーズの現在のZシリーズ
(薄型)の最初のか?今でも活躍中
NIKON D50とPANAのFZ18 いづれも600~
700万画素 現在進行形、
というわけで自分の個人的主観では一番はミノルタ
なのだがミノルタはソニーに吸収されてしまった。
そしてソニーは多分ミノルタの技術を使ってデジ一
を始めてαの冠は残っているんだが、ソニーのサイバ
ーショットってのがあるがこれがもう数年前だったか一
度借りて写したら最悪でどうも ソニーってその印象
があって足踏みしている。
全然未経験はペンタックスとキャノンなのだがプロの
ほとんどがキャノンを使っている。プロからは絶大な
信頼を持ってるメーカーだ、そのせいか全体に割高
なんでなかなか敷居が高いんだなー
それにしてもレンズで随分変わるもんだ、それにして
もいいレンズってやたら高い。望遠系の明るいレンズ
なんて高いデジ一が何台か買えてしまう。しかしこの
味を知ったら…
うーんこれからが怖いなー
2009年2月5日木曜日
寝台特急「はやぶさ」「富士」いよいよ廃止へ
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リサイクルショップでスピーカーを買った、 JBL J216Pro なんとJBL と言っても安いやつ、定価は当時で2本で6万くらい、 JBLと言えば 若い頃憧れのスピーカー、どでかいキャビネットにブルーのパネル、そしてこれまたデカいウーファー、 とホーンのツィーター、...
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シーガルと言うメーカーのギターを手に入れた。シーガルと言うとちょっとややっこしくて愛媛にシーガル弦楽器工房という塩崎氏が作ってる高級ギターとカナダにあるシーガルという楽器メーカーの二つがあるのだ。こちらは海外製だが有名なゴダンの傘下にある中級ギターのメーカーである。手に入れたのは...
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井上陽水のアルバム氷の世界に桜三月散歩道という曲がある。B面3曲目だ、印象的なギターのイントロで始まるこの曲はリードギターもとてもかっこよくていつかはコピーしたいと思っていたが今年はなんとか完コピしてやってみた。 この曲は作詞が長谷邦夫とある。前から気になっていたが検索してみる...