2009年10月24日土曜日

Oh!ラジオその4

 BCLの興味はほどなく中学から高校初期で終わってしまった。何故か30歳前くらいだったか思い出したようにBCL復活したいとAORのAR3000という10万位したか、なんか衝動買いしてしまった。AORとは通信機メーカーで最近までAR3000Aという型番で製造していたようだ。AMから短波、VHF,UHFまでカバーするオールバンドである。基本性能が良く最近まで製造されていたようだ。買ったはいいがプリセット式でデジタル表示、使い方は覚える必要がありなんかややっこしくて結局ほとんど使うことは無い、ちょこっと消防無線なんか聞いた覚えがあるがお蔵入り、たぶん押入れを引っ張り出せば出てくるかもしれないが取り説なしでは聞けない。
AR3000A

 さてさて話は戻って高校以降はもっぱらAMとFMに、興味はMusicへと移って行く。AMといえばオールナイトニッポン。オールナイトニッポンといえば鶴光のミッドナイトストーリー、当時は絶大な人気だったものだ。あとタモリ、イルカ、武田鉄也、中島みゆき(この辺りはだいぶ後だったか)など良く聞いたものだ。おかげで授業中はボーっとしてたか寝てたか、…地元のDJにも面白い人が多くよく聞いたものだ。 この頃他局でもセイヤング、パックインミュージック、ミッドナイト東海などなどネット局はなかったが、ノイズの中この辺りもたまに聞いていた。

 FMは高校の頃からだったか、当時はエアーチェックというFMからカセットに録音して聞く、ってのが流行っててFMレコパル(オーディオ系の記事が多い)週間FM(アーティスト系の記事が多い)FMfan (クラッシックの記事が多い)の3誌が創刊されていた。FMレコパルではオーディオの記事が多かったので随分勉強になったものだ。

 いつしかスカイセンサー5900はライン出力でカセットと繋がれエアーチェック専用になってしまった。 そこで洋楽にはまっていく。覚えているのはNHKの朝7時から一週間特集があってこれでディープパープル、クイーンを知った。このテープは随分聞いたものだ。この頃はレコードも聴くことが多くなり徐々にラジオを聴く機会は減ってしまった。 ただエアーチェックはけっこう続いた、FMを聞く機会が多くなった。

2009年10月20日火曜日

加藤和彦逝く

 加藤和彦が亡くなった。自殺だそうだ。日曜BSで9月に行われたこうせつサマーピクニックがあった。これでゲスト出演していた、イムジン河とあの素晴らしい愛をもう一度を歌っていた。これが最後のステージとなった。

 ショッキングなのは自殺であったこと、加藤和彦といえば日本のミュージックシーンには必ずといっていいほど見え隠れしていた存在である。印象は新し物好き、おしゃれーって言う感じか、いち早くアメリカのフォークを取り入れその後は海外にも進出したサディスティックミカバンドを結成、このバンドの変遷を見たが草々たるメンバーだ、つのだひろ、高橋幸弘、高中正義、小原礼、後藤次利とまあすごいもんだ。

 最近は坂崎幸之助と組んで和幸で活動していたがSOUND&RECORDINGにプライベートスタジオが出ていてやっぱすげーなーなんて思っていた矢先だった。アコギでも最近CF.マーチンより古いマーチンをリメイクした感じの加藤和彦モデルなどが発売されたばっかりだった。ビールのCMで久々のサディスティックミカバンドを再結成、木村カエラをボーカルに迎えてやった曲は「タイムマシンにお願い」全くフルさを感じさせないニュータイムマシンだなーなんて思ったものだ。

 自殺と言うのは本当にこの人に全く似合わない幕切れとなった。遺書があったという、もうやりたいことが無くなったとかあったという、又欝だったと言う話もある。今の音楽シーンを批判した部分もあったという、やりたいことが無くなったというのがこの人の場合一番整合性があるような気がする。又一人面白い人がいなくなった。合掌

2009年10月15日木曜日

OH!ラジオその3

 AMを聞き始めてラジオに興味を持ってラジオの製作に興味を持ってそれなりの本なども買ってみたのだが、理系に弱い私はさっぱりで(今思えばこの本はけっこう丁寧に解説してあったとおもうのだが)結局ラジオのキットなどは買ったりしていた。

 それで短波帯とか他にもラジオバンドがあることを知り月刊誌のラジオの製作という雑誌を買い始める。この雑誌の購入はけっこう続いたのだがほとんど製作することは無かったなー、そして購入したのがSONYのスカイセンサー5500、この頃BCL(Broadcasting Listening / Listener)が早っててその世界にのめりこんだ。簡単に聞ける北京放送から難しかったドイツのドイチェベレなどは一回くらい受信したかなー、そして受信報告を送るとベリカードが送られてくる。海外へ手紙を出して海外から手紙が来るなんてのは今で言うなかなかグローバルなことやってるなーなんて勝手に思ってたもんだ。

 BCLといえば当時マニュアル本のBCLマニュアル(山田耕嗣著)をよく読んだものだった。山田耕嗣といえばBCLの神様的存在だった。昨年亡くなったそうだ。そして受信機、この頃のブームで家電メーカーはいろいろ出していたのだがSONYのスカイセンサーとナショナルのクーガが双璧を成していた。スカイセンサー5500からその後短波帯がオールバンド受信できるスカイセンサー5900を手に入れた。5500はタイマー付き、何故かトランシーバー機能まで付いていた。がダイヤルが甘くてチューニングにはちょっと苦労した。
 5900は中央にかなり精度の高いダイヤルが装備され1KHzでのチューニングが可能
ハムも聞けるBFOも装備されていた。この頃は屋根に上ってアンテナ張り巡らしたりいろいろやっていたものだ、今はデジタル化されて周波数を打ち込めば即その周波数に合わせられるのだがこの頃はダイヤルが主であった、しかしこのダイヤルを慎重にまわしていく感覚がたまらなかったなー



 

2009年10月12日月曜日

OH!ラジオその2

 ゲルマニウムラジオキット、買ったはいいが配線しても鳴らない。悪戦苦闘の数時間後イヤホンから音が出た。うゎー鳴った鳴った!と大喜び。これがラジオへのめり込むきっかけとなる。
 当時電子ブロックというおもちゃというか差し込むだけで簡単な電子回路を作れると言うおもしろいものがあった。半田付けが不要でいろんな電子回路が組める。(学研から出ていたようだ、いまでもあるみたいだ)ゲルマラジオ以降はこれで遊んでいたがただ遊ぶだけで進歩が無かった。

その後SONYのトランジスタラジオを買ってもらう。AMだけだが裏を空けるとコイルやらコンデンサーやらがびっしり、小さいながら高性能だった。コレを買ったころは中学生、ラジオ放送を良く聞くようになる。そしてラジオから流れるのは今流行の音楽!!お気に入りはポールマッカートニーのあの娘におせっかい、ジェット、(この頃ポールはビートルズを解散後ウイングスを率いて精力的に活動していた。)
サイモン&ガーファンクルの冬の散歩道、スリーディグリーズ、天使のささやきとか好きだったなー、
そーいえば最近やってたトンネルズ他の矢島美容室はスリーディグリーズをもじったものかな、
 当時はポールがビートルズのメンバーだったなど知らずいい曲だなーとラジオから流れるままに聞いていた。

2009年10月8日木曜日

忌野清志郎Oh!ラジオその1

今日忌野清志郎のOh!ラジオという曲がラジオから流れていた。いい曲だなーと思いつつラジオという言葉に特別な思いを思い出した。ラジオと言えば徳永英明の壊れかけのRadio が有名だが宇多田ヒカルのハートスティションそして忌野清志郎のOh!ラジオなんかが好きだなー、ここらへんで昔を思い出して自分とラジオの関係でも書いてみようか?

小学校低学年の頃、真空管ラジオがあった。よく昭和史資料館なんかで目にするでっかいラジオだ。いつの間にかなくなってた、そして小学校の高学年、ゲルマニウムのラジオキットをなんかしらんが買ってもらった。これが最初のラジオの出会い。 

その2に続く

Ibanez  AE325-LGS