腱鞘炎が再発した。今年1月中旬頃から左人差し指が腱鞘炎になる。そのまま半年間苦しんだ、6月くらいから動くようになりギターも復活したんだが…
12月に入って若干の違和感を感じていたが、遂にこの年の瀬、数日前より急激に悪化、左人差し指はほとんど動けない状態になってしまった、
残念だ、再発だ、一つの原因はわかっている、クラッシックギターでセーハーの多い代表曲、カバティーナを夏位から練習しててなかなかこのセーハーが攻略できず最近ちょっとはましになったかなーというところまで来たんだが、やはりセーハーは相当負担が大きい、
ただ原因はこれが主ではない、12月に入ってもうひとつ急激に悪化したのが左膝痛、こちらも長年の病なんだが、ここにきてかなりひどくなった、おまけに肩もなんかおかしいぞ
参ったなー、又ギターが弾けない暗い日々が続きそうだ、それにしても自分は関節系の病が多い、膝痛は10年来、それに腰痛、40肩は両肩とも数年前経験したし、今回の腱鞘炎、数年前に右人差し指、今年左人差し指、そしてまた今回左人差し指である。
老化と言ってしまえばそれまでなんだろうが、やはり何か体の中で大きくバランスが狂ったのがあるんじゃないかと思われる。痛いときは安静にしておくしかない、ほかにこれと言って手だてがない、
今年も寒くなって悪くなった、寒さが一つの原因かなー?とにかく体のなんかのバランスが狂っているんだろうが、それがなんなのかわからない、
12月は健康診断があった、今回メタボ体質と判定、保健指導を受けますか、ってんで保健指導を受けることにした、まずは一日二回の体重測定、それと自分で決めた項目チェック、で一か月に一回体重やら進捗やらを書いたのを送らなければいけない、
体重チェックだけはしているが、他はまだ何もしてないので変わるはずがない、実際測定してみるとプラスマイナス1Kgくらいを行ったり来たり、こちらもなんとかしないといけないが、一番はウォーキングなんだろうが、膝がだめなんで仕事は仕方ないにしても自らとなると躊躇してしまう、実際夏にちょっと試してみたがその後どうにもこうにも膝が痛くなってしまい断念!!
それにしても腱鞘炎、ショックだなー、又ギター封印となってしまう、自分の場合最近はギター弾くってこと、毎晩の晩酌と同じ感じで、これがないと一日が終わらない感じ、あーあこの年の瀬に残念な出来事だ
2012年12月30日日曜日
2012年12月23日日曜日
今年のXmasは松任谷由美
あと2日でXmas、毎年この時期になるとXmas Songがにぎやかになるんだが、よく聞くXmas Songが違っている、
ラジオなどで今年よく流れているのが松任谷由美の恋人はサンタクロース、竹内まりやのすてきなホリディも某CMソングでよく聞くな、
ちょっと前では山下達郎のクリスマスイブやワムのラストクリスマス、今年はほとんど聞かない、いづれも新しい曲ではないがその年で流行る曲が変わるのは面白いもんだなー
ただし松任谷由美に関してはこれだではなく、最近他の曲もよく流れている、ラジオでは特集を組んでいたりしてた、一つは荒井由美でデビューして40周年なんだそうだ、
NHKで40周年の特集があった、凄いもんだなー、凄い軌跡だ、もう一つ2010年に放映されたユーミンのデビューアルバム、ひこうき雲の秘密、マスターテープを流しながら当時のバックミュージシャン、キャラメルママ、Key松任谷正隆、Bass細野晴臣、Guitar鈴木茂、Drums林立夫というそうそうたるメンバー、
40周年の特番でもこのメンバーを集めてのセッションがあった、当時のキャラメルママのメンバーって当時トップミュージシャン(いまでもだが)である、デビューアルバムでこれだけのスタッフってやはりデビュー前から鳴物入りだったんだなー
本人は作曲家になりたいと思ってたそうでまさか自分で歌うとは思っていなかったという。
ひこうき雲の録音は一年かけて作られたそうで番組では当時のマスターテープを流しながら対話形式で進められていたが、当時のマスターテープは16トラック、たった16と思われるかもしれないが、当時は日本では最先端のスタジオだったんだそうだ、
番組では16chの振り分けも流しながらなかなか興味深いものだった、当時荒井由美はブリティッシュサウンドが好きで、キャラメルママはアメリカンサウンド一辺倒だったそうでその融合が日本で出来たと言っていた。
フォークというシンガーソングライタースタイルが全盛の時代、まだニューミュージックという言葉がなかった時代だ、この頃のアルバムを調べてみた、
吉田拓郎、井上陽水が出てきている、同じころかぐや姫がデビュー、海外ではディープパープル、レッドツェッペリンのハードロック、イエス、ピンクフロイド、ELPなどのプログレシブロックが台頭、カーペンターズがヒットしていた頃だ、
ひこうき雲のアルバムは73年、同じ年陽水が氷の世界を出している。ふーんそんな時代か
その後の活躍ぶりは凄いんだが、よく枯渇しないもんだなー、コンスタントに新作は出しているし、楽曲提供も凄い数だし、シャングリラのステージとかもう完全にコンサートの域を脱している。
どこからそんなパワー出てくるんだろう?不思議だ、少しはあやかりたいもんだなー
ラジオなどで今年よく流れているのが松任谷由美の恋人はサンタクロース、竹内まりやのすてきなホリディも某CMソングでよく聞くな、
ちょっと前では山下達郎のクリスマスイブやワムのラストクリスマス、今年はほとんど聞かない、いづれも新しい曲ではないがその年で流行る曲が変わるのは面白いもんだなー
ただし松任谷由美に関してはこれだではなく、最近他の曲もよく流れている、ラジオでは特集を組んでいたりしてた、一つは荒井由美でデビューして40周年なんだそうだ、
NHKで40周年の特集があった、凄いもんだなー、凄い軌跡だ、もう一つ2010年に放映されたユーミンのデビューアルバム、ひこうき雲の秘密、マスターテープを流しながら当時のバックミュージシャン、キャラメルママ、Key松任谷正隆、Bass細野晴臣、Guitar鈴木茂、Drums林立夫というそうそうたるメンバー、
40周年の特番でもこのメンバーを集めてのセッションがあった、当時のキャラメルママのメンバーって当時トップミュージシャン(いまでもだが)である、デビューアルバムでこれだけのスタッフってやはりデビュー前から鳴物入りだったんだなー
本人は作曲家になりたいと思ってたそうでまさか自分で歌うとは思っていなかったという。
ひこうき雲の録音は一年かけて作られたそうで番組では当時のマスターテープを流しながら対話形式で進められていたが、当時のマスターテープは16トラック、たった16と思われるかもしれないが、当時は日本では最先端のスタジオだったんだそうだ、
番組では16chの振り分けも流しながらなかなか興味深いものだった、当時荒井由美はブリティッシュサウンドが好きで、キャラメルママはアメリカンサウンド一辺倒だったそうでその融合が日本で出来たと言っていた。
フォークというシンガーソングライタースタイルが全盛の時代、まだニューミュージックという言葉がなかった時代だ、この頃のアルバムを調べてみた、
吉田拓郎、井上陽水が出てきている、同じころかぐや姫がデビュー、海外ではディープパープル、レッドツェッペリンのハードロック、イエス、ピンクフロイド、ELPなどのプログレシブロックが台頭、カーペンターズがヒットしていた頃だ、
ひこうき雲のアルバムは73年、同じ年陽水が氷の世界を出している。ふーんそんな時代か
その後の活躍ぶりは凄いんだが、よく枯渇しないもんだなー、コンスタントに新作は出しているし、楽曲提供も凄い数だし、シャングリラのステージとかもう完全にコンサートの域を脱している。
どこからそんなパワー出てくるんだろう?不思議だ、少しはあやかりたいもんだなー
2012年12月11日火曜日
昭和がまた一つ…
俳優 小沢昭一氏が亡くなった、83歳、この人を知ったのはラジオ小沢昭一の小沢昭一的こころ、この放送73年に始まり、最近一万回を超えたという超長寿番組、というわけで前から知っていたのだが、最近車に乗ることが多く、よく聞く機会が多くなっていた、
軽快なしゃべりで人気があったが、この番組、ライターがいて筋書きがある、それに小沢昭一が絡めていくという形で長年続いていた。よく聞いていたし体調不良でちょっとの間お休みしますということだっただけにちょっとショック
その中に登場する宮坂お父さん、最初は本当に存在する人と思ってた。あとのうてんきプロデューサー、あーこの人たちも引退だなー
話題は意外と最近の話題があったりして例えば携帯とかIT系のことなんかも結構取り上げていた、 しかしこの人の本命はやっぱり戦前戦中戦後の日本、大衆芸能、そして東京だろう、このあたりのことを語らせるとなんか生き生きしていたなー
ハーモニカがめちゃめちゃうまかったなー、これは凄かった、黒柳徹子がおもしろいこと大好き人間だったと語っていた、
今年は年末になって森光子、中村勘三郎 と大物が亡くなったなー、森光子さんと言えば自分にとってはやっぱり おかみさん時間ですよーだなー、これ最初は白黒だったんだなー、もっとも記憶に残っているのは風呂屋でちょこっとだけ映る女風呂だったんだが、
それにしてもまた一つ昭和が遠くなった、合掌
軽快なしゃべりで人気があったが、この番組、ライターがいて筋書きがある、それに小沢昭一が絡めていくという形で長年続いていた。よく聞いていたし体調不良でちょっとの間お休みしますということだっただけにちょっとショック
その中に登場する宮坂お父さん、最初は本当に存在する人と思ってた。あとのうてんきプロデューサー、あーこの人たちも引退だなー
話題は意外と最近の話題があったりして例えば携帯とかIT系のことなんかも結構取り上げていた、 しかしこの人の本命はやっぱり戦前戦中戦後の日本、大衆芸能、そして東京だろう、このあたりのことを語らせるとなんか生き生きしていたなー
ハーモニカがめちゃめちゃうまかったなー、これは凄かった、黒柳徹子がおもしろいこと大好き人間だったと語っていた、
今年は年末になって森光子、中村勘三郎 と大物が亡くなったなー、森光子さんと言えば自分にとってはやっぱり おかみさん時間ですよーだなー、これ最初は白黒だったんだなー、もっとも記憶に残っているのは風呂屋でちょこっとだけ映る女風呂だったんだが、
それにしてもまた一つ昭和が遠くなった、合掌
2012年12月5日水曜日
ピピッとくる瞬間、
前にラヴュエルの亡き王女のためのパヴァーヌのことを書いた、この曲かつて何回か聞いたことがあるのだが、最初聞いた印象はゆっくりした曲調でよくわからず、とりたてて心に残ることもなく、まあ題名は知っていた程度だった、
この曲がとても気になったのは、FMを聞いていて眠りかぶって、うつろうつろ状態、こんなときに聞こえてきた曲であった、ふと目覚めるととても気になって、改めて聞いてみたらうーん、これはいい、という感じ、
こんなことは前に書いた家入レオのShineでも同じような状態でやっぱり眠りかぶっていた時に聞こえてきた曲だ、こんなちょっと眠りかぶってというか、ぼやーっとしていて聞こえてきた曲がとても気になって、改めて聞いてみるととても気に入ったということが思い返せば多いなー
眠りかぶってというか、ぼやーっとしている状態って普通と違ってなんか特殊な状態なんだろうか?不思議だ
この曲がとても気になったのは、FMを聞いていて眠りかぶって、うつろうつろ状態、こんなときに聞こえてきた曲であった、ふと目覚めるととても気になって、改めて聞いてみたらうーん、これはいい、という感じ、
こんなことは前に書いた家入レオのShineでも同じような状態でやっぱり眠りかぶっていた時に聞こえてきた曲だ、こんなちょっと眠りかぶってというか、ぼやーっとしていて聞こえてきた曲がとても気になって、改めて聞いてみるととても気に入ったということが思い返せば多いなー
眠りかぶってというか、ぼやーっとしている状態って普通と違ってなんか特殊な状態なんだろうか?不思議だ
2012年11月30日金曜日
100en MAC
最近暇があるときはマックでぼやーっとしてることが多い、というのも100円マックってのが出てからコーヒーと二つで200円で済むから…
で1、2時間音楽聞きながら過ごしているがいつのまにか寝てしまったり、でも日曜あたりは小さい店は混んでてちょっと厳しいときもあるけどなんか最近多いなー
で1、2時間音楽聞きながら過ごしているがいつのまにか寝てしまったり、でも日曜あたりは小さい店は混んでてちょっと厳しいときもあるけどなんか最近多いなー
2012年11月28日水曜日
今年の秋
今年の秋wa
今年の秋は 週末毎に雨が降り、その後気温が下がる、季節の移り変わりは例年より早いようだ。
西日本はこの傾向が強いみたい、北日本は逆に昨年より遅いようだ、
さて今日は北日本で暴風雪が吹き荒れたようだ、昨日は九州でも季節風が強まり一気に冬が来た感じ、寒くなったなー
2012年11月24日土曜日
打田十紀夫ライブに行ってきた。
打田十紀夫ライブに行ってきた。前に某有名楽器チェーン店のセミナーで見た時以来なんで5年ぶりくらいか?
打田十紀夫、ちょっとプロフィールを紹介しておくと
カントリー・ブルース・ギターの巨匠ステファン・グロスマンに師事し、1987年にロサンゼルスで共演。以来、アコースティック・ブルース&ラグタイムを得意とするフィンガースタイル・ギタリストとして活躍。全国を回ってのコンサートをはじめ、CDやDVDなど数多くの作品のリリース、教則本や音楽雑誌での執筆、TABギタースクール主宰など、幅広い活動を続けている。『モリダイラ楽器/フィンガーピッキング・デイ』や『マーティン・クラブ・コンサート』のゲスト出演をはじめ、アコースティック・ギター関連のイベントでも欠かせない存在となっている。
又大変なプロレス通でプロレス界との親交も多い、(ジャイアント馬場のまねが得意)たぶんギターに出会ってなかったらプロレス界にいただろうくらいの通らしい、ライブのMCにもプロレスのことが半分くらい占めるかも?
カントリーブルースとの出会いは前に書いたことがあるが、このブログのタイトル、Bluesはこのカントリーブルースのことだ、日本でカントリーブルース研究家でこの人の右に出る人はいないだろう、しかもアメリカで随一のブルース研究家ステファングロスマンに師事したということからもその凄さがうかがえる、
ライブはドッグワトソンの曲から始まった、先月行った中川イサトのライブでも曲は違うが演奏していた、ドッグワトソンがいかに偉大だったかがわかる、
持ってきたギターはモーリスの特注と横山ギターのギターとリゾネーターの三本、氏は地方公演は数本のギターと旅道具とを持って行くのを常としている、なんかすごい状態だ、
場所はちょっとしたライブもできるというスナックバー、店主がジャンゴラインハルトが大好きで自身もなかなかの腕前らしい、
前回と同じく30分くらい前に行ってみたら誰も来ていない、しかし今回もぎりぎりになってなんかばたばたと入ってきて、そう大きくないスナックはほぼ満杯になった、
この人の場合カントリーブルースギターも凄いのだが、いわゆるフィンガーピッキングの曲もいろいろ挑戦していて(例えば和音階のチューニングで奏でる桜とか)ライブに集まった顔ぶれを見て今日はブルース色を強めようかとか考えるんだそうだ、
この人を知ったのはこれも前にブログで書いていたが、アコギ一本で弾くブルースギターの本を買った後くらいだ、このときはとりあえずロバートジョンソンとかブラインドブレイクとかちょっとは聞いたというか知った後だった、
ブルースというと結構ガシガシ弾いているという印象を持っていた自分にとっては打田十紀夫ってすっごくきれいな音で正確でびっくりした、後で知るステファングロスマンも同じようにとてもきれいな音でしかも正確だ、師弟関係で同じ印象を持ったわけだがそれだけでもなさそう、
今回聞いた音も実に綺麗で正確、アコースティックギターのライブはだいたいMCのときに使うマイクがじゃまなので弾くときはぐるりと回して横に滑らすのだが毎回マイクのSWを切っていた、それに一曲終る毎にタオルで手を拭いていた、それをみているとたぶん几帳面な人なんだろうなーという気がする。
もう一つついでに日本のブルースっていうので思うことがある、それは関西と関東の違いだ、関西ブルースってちょっと泥臭い印象がある、憂歌団とか前回見たザビエル大山(とこの人は名古屋だが)とかタッチが強くてガシガシ弾くタイプみたいだが、阪神系ってなんかそんな人が多い、ロバートジョンソンの曲を日本語で歌ったりする、
一方東京ブルースってちょっとこじゃれているっていうか、洗練されてるっていうかこれも前回見たアートストリートフェスでのTihana&町田謙介とかやっぱりブルースなんだがちょっと洗練されてる感じ、
狭い了見での話なんで勝手に思い込んでいるだけかもしれないがこの違いって面白い、巷でよく話題になる関西と関東の違いがこのあたりも結構出てるみたい
ギターもすごいんだがMCも実に面白い、3割くらいはプロレスの話になるんだがこのあたりの話聞いてるだけでも面白い、
この人の代表曲に想い出の鱒釣りというのがあるが、今まで釣りも好きなんだーと思っていたら釣りは全くしないんだそうで、NHKの番組が釣りの番組でその依頼でこのタイトルが付いたらしい(というか付けられた)
ところでリゾネーター、ブルースには欠くことのできないギターだが、前回Tihana&町田謙介を聞いたときリゾネーターもいいなーと思ってて最近とても興味がある、
モーリスと横山ギターにはいずれもサンライズピックアップが付いていたがサンライズピックアップってプロには絶大だなー、とりわけフィンガーピッカーには御用達という感じだ、これが出て随分となるし各社いろいろ新しいのが出ているが、確かにいい音だとは思う、本当のところプロが未だにこれってのはなにかわけがありそうなんだがなー
今回3本のギターだったがあまりチューニングをチェックしている姿を見なかった、数回クリップオンチューナーをチェックしたくらいか、後は弦同士でのハーモニックスでのチェックだった、
理由はそれほど頻繁にチューニングを変えてないというのと自身がプロデュースしているという弦がとても狂いが少ないというのもあるかもしれない、それとMCが面白いんでチューニングの間をあまり感じさせないのもあるかもしれない、
アコースティックギターとりわけオープンチューニングが多くなると曲と曲の間が結構チューニングに時間を取られる、押尾コータローは曲毎にギターを変えていた、(ステージ袖から係りが次の曲用のギターを持ってくる、)前回の中川イサトではチューニングの時間がかなり長くてとりわけイサト氏は時間を掛けていた、
今回のステージ、顔ぶれからかブルース系よりアコギインスト系が多かったようだ、まあ最近はかなりフィンガーピッキングのウエイトが高くなってるようでもあるが、でもリゾネーターもよく使っていてこの音を堪能できたのはよかったなー
姿勢がとても良くて、スタイルはクラッシックスタイルの左足に足台を置いてのスタイル、それにあの済んだ音色、ブルース系なんだがまるでクラッシックを聞いているみたいだ、
今回も前回同様CD購入、とてもリッチな気分になれた夜だった。
2012年11月19日月曜日
天草紀行その2
かつて転勤族であったので転々としていが、牛深が一番長かった、しかし思い返してみるといろいろあったが面白かったなー
私が赴任したのは20年くらい前か、5年間くらい住んでいた、赴任してすぐまず言葉がわからない、同じ熊本だがわからない、特に地元同士で話しているとわからない、
ちなみに言葉は同じ熊本でも菊池、熊本市内、八代から人吉、天草も本渡と牛深ではずいぶん違う、
赴任したはいいがアパートがない、仕方なく数か月男子寮に住んでいた、やっと見つかった一軒家、これがめちゃ古い一軒家、しかも港の入り口で目の前は海、海、うみー!ここは海底が砂地でイカがよく釣れるのでいつも誰か釣りをしている。
大きな船が通ると家が揺れる、しかも波が押し寄せ、前の道まで波がばしゃーんとかぶる、一度だけこの港にイルカが迷い込んできたのを見たことがある、
早朝船がバーッと出ていくんだが、船の音ってうるさく感じたことはなかったなー、そー言えば夜寝ていると遠くからポン・ポン・ポンといわゆるポンポン船、少しずつ音が近くなるんだがなかなかここまで来ない、いつ来るんだーじれったいなーと思いつつ眠りにつくなんてのもあった
この古い一軒家、裏ががけで草木も多かったせいもあるが夏は虫に悩まされた、げじげじというなんか初めて見た虫、やたらはや足で通り過ぎるのだがハエたたきでバシッとやると簡単に足がバラバラになる、問題はムカデ、えらいでかいのが出没、さすがにこれには閉口したなー、ちなみにこの辺りはムカデはだいたい多いらしい、あと雨漏りはひどいし、ネズミもいたな、すごいところだった、一年くらい住んでたか?
家ではないが一度サソリに似たのを見たことがある、なんでもサソリもどきという毒のない奴だそうで問題ないんだそうだがこんなんが道端で見たらびっくりする
(今回調べてみたら牛深が北限だそうで県の天然記念物になってるそう、毒はないと思ったら尻尾から酸に似た液を噴出するそうでこれはちょっとやけどしたようになるそうであぶないんだそうだ、最近はかなり減っているとのこと)
家に鍵をかけない、家をでるとき鍵をかけていたら隣のバーさんが「なんば鍵かけよっとねー」と怒られる、「鍵かけたら留守てわかるたい」、なんのこっちゃ??自分がいたころ配達の仕事もしていたが8割がた留守でも鍵がかかっていない、ということはまあどろぼうもいなかったということなんだろうが、今は変わったろうなー
配達の時送り状にフルネームで聞かないと大変なことになる、お客さんに任せて書いてもらうとだいたい地域名と名字だけだ、こうなると例えば浜だったらその地域一帯浜の姓である、住所も地域名だけであとは書かない、
コンビニもない、(まあ当時はそれほどコンビニは出来てなかったが、今はあるのかなー?)とにかく夜は真っ暗、パチンコ屋が一軒あったか?困ったのが病院だ、唯一市民病院があったなー、来た時はわからずに病院は困った、
魚はまさに新鮮、というかまだ生きてる、スーパーの鮮魚コーナーでトレーにパックされた魚がいきなりはねてドサッと落っこちてきたというのがあったなー
しかしいい魚とかアワビとかウニとか取れるんだがぜんぶこれらは商用、地元の口に入ることは少ない、そういうこともあってか何故か鮮魚コーナーでトロ箱市みたいなセールをやるとすごく売れていた、おばいけという白身クジラの部分はこの地域では必需品で鮮魚コーナーにはいつもあった、今はどうだろう?
港に海中遊覧船が走っている、サンゴ礁の北限で遊覧船で見られる、きれいだ、でも今は温暖化でサンゴ礁の北限は北上しているらしい、とにかくこういうところなんで海はめちゃきれい、
海中遊覧船が止まるわきに魚政という魚や兼レストランがあるんだが有名で舞台挨拶でも杉田かおるが松田美由紀からここのオムライスがおいしいってんで定食食べた後オムライスも食べたと話していた。
牛深市から西海岸を回ると茂串海岸という海水浴場がある、車を止めて10分ほど海岸沿いを歩かなければいけないがかつては地元の小学生御用達の穴場だったそうだ。だからすごくきれいで泳いでいてもそばに小さい魚が泳いでいたりした、若いのが来るようになって今はすっかり夏は若者ばっかりだ、
このあたりの魚貫という海岸線、とにかく夕日が絶景、天気がいいとき東シナ海に沈む夕日は本当に本当に絶景、
絶景と言えばやっぱり海はいい、晴れた日はとにかく海はいい、でも雨の時は雲なのか海なのかわからない、
お盆になると何故か大阪弁が増える、というのもこれは帰省した人のことだ、自分がいた時も地元の高校の8割は地元を出ていくそうでとりわけ関西方面が多いらしくて、従ってお盆などは大阪弁が飛び交っていたりする、
お盆と言えばこれまたびっくりしたことがある、お盆前にやたら花火が売れる、それも大型の打ち上げ花火のセット、そうお盆の時お墓や海に向かって打ち上げ花火がバンバン上がる、灯篭を飾った漁船が海へ出る、対岸では日蓮宗か?ドラやらなんやらじゃんじゃんやっている、ここのお盆は賑やかというかうるさい、最初はこれもびっくりした、
長崎が打ち上げ花火とかでバンバンやる風習があるがどうやら海伝いに伝わったのではないかなー
派手と言えば小学校の運動会、ほとんど家族親戚総出のお祭りだ、だから子供のいる主催者の家庭は大変だ、運動会の夜は大宴会でそういう家はこの日だけで山盛りの買い物をしていく、
お祭りと言えばこの映画の主題でもある牛深ハイヤ祭り、毎年4月に開催される、牛深ハイヤ節、なんでも各地に流れて行った踊りのルーツらしく徳島の阿波踊りもそうだという話がある、
この祭り出たことがある、この祭りの前会社のパートさんから仕事が終わってみっちり稽古、腰がはいっとらんとか言われていたが、牛深ハイヤ踊りはここの人にとっては子供のころから踊っていた踊り、身に沁みこんでいて特別なものがある。
いざ祭りが始まると何故かウサギの着ぐるみを着せられ後ろからキャンディを配るという配役になってしまったが…たぶんへっぴり腰の踊りはみせられなかったのだろう。
ところで牛深のパートさんとかの奥さんたち、実に強い、というのも牛深漁港、遠洋漁業の基地でもある、だから男は船に乗っていないことが多い、だから家を守るのは女の役目であった、今回の映画そういう一面もあるかなーとも思う、女の都ゆえんである、
そして舞台にもなった遊郭、自分がいた時もなんか立派な旅館みたいなのがあったので、あれはなんだと聞いた事がある、そしたら遊郭だという、なるほど昔はずいぶん栄えていたんだなーという名残だ、
天草で一番大きい町は旧本渡市だが、旧牛深市までは約50分ほどかかる、舗装されるまでは本渡市から2時間くらいかかったという、こうしてみると陸上より海上交通の方が昔は便利だったはずだ、
映画のクライマックスでは雪が舞っている。この映画のクランクインは1月で相当寒かったようだ、南の町に雪?とおもうかもしれないが天草は結構寒い、というか確かに最低気温は高いんだが、西のはずれに位置してることもあり、九州というところ結構冬は北風というより西風が強い、その最西端の土地柄、季節風が西よりで強いときは結構雪が降る。
自分がいた時もずいぶん積もった時があった、牛深から本渡までは山道なのでさらに厳しい、そんな中、道中えらい目にあったことがあったなー、
携帯が普及し始めたころでここ牛深でもドコモが使えるというので早速購入、家は一つ山を越えたところにあったのだが、家に帰ったら圏外だった、(もっとも家から携帯にかけることはないだろうが)
と言いつつもパソコンってやつを最初に始めたのは牛深だったなー、ネットを見たのもこのときからだったかなーEメールもパソコン通信とか言っていた頃だ、
釣り好きなら天国というところだが残念ながら釣りはさっぱりだった、というかこの頃は仕事ばっかりでたまの休みは疲れてたからなー、もうちょっとあっちこっち行けばよかった、
とまあ最初はびっくりの連続の日々だったが5年経って出るころはすっかりなじんでいたが、住めば都である、今はずいぶん変わったんだろうなー、
3年ほど前とある道の駅に牛深からと出張販売をやっていた、そこに地元では「にな」と呼ばれている(と思う)巻貝があったので買ってみた、この貝、牛深の飲み屋では必ずつまみに出てたやつだ、
今牛深どうですかと聞いたらやはり「ずいぶん寂れたよー」って言ってた、20年前はそういう感じはなかったんだが、タイトルに衰退都市No.1と出るくらいだからかなり状況は厳しいらしい、
わっげんおっげんの映画に戻るがやっぱり役者ってすごいな、まずは方言、これだけ短期間でしゃべれるってすごいもんだなーと感心した、それとやはりハイヤ踊り、三日間の練習があったというがそれであれだけ踊れるんだからなー、たいしたもんだ、
私が赴任したのは20年くらい前か、5年間くらい住んでいた、赴任してすぐまず言葉がわからない、同じ熊本だがわからない、特に地元同士で話しているとわからない、
ちなみに言葉は同じ熊本でも菊池、熊本市内、八代から人吉、天草も本渡と牛深ではずいぶん違う、
赴任したはいいがアパートがない、仕方なく数か月男子寮に住んでいた、やっと見つかった一軒家、これがめちゃ古い一軒家、しかも港の入り口で目の前は海、海、うみー!ここは海底が砂地でイカがよく釣れるのでいつも誰か釣りをしている。
大きな船が通ると家が揺れる、しかも波が押し寄せ、前の道まで波がばしゃーんとかぶる、一度だけこの港にイルカが迷い込んできたのを見たことがある、
早朝船がバーッと出ていくんだが、船の音ってうるさく感じたことはなかったなー、そー言えば夜寝ていると遠くからポン・ポン・ポンといわゆるポンポン船、少しずつ音が近くなるんだがなかなかここまで来ない、いつ来るんだーじれったいなーと思いつつ眠りにつくなんてのもあった
この古い一軒家、裏ががけで草木も多かったせいもあるが夏は虫に悩まされた、げじげじというなんか初めて見た虫、やたらはや足で通り過ぎるのだがハエたたきでバシッとやると簡単に足がバラバラになる、問題はムカデ、えらいでかいのが出没、さすがにこれには閉口したなー、ちなみにこの辺りはムカデはだいたい多いらしい、あと雨漏りはひどいし、ネズミもいたな、すごいところだった、一年くらい住んでたか?
家ではないが一度サソリに似たのを見たことがある、なんでもサソリもどきという毒のない奴だそうで問題ないんだそうだがこんなんが道端で見たらびっくりする
(今回調べてみたら牛深が北限だそうで県の天然記念物になってるそう、毒はないと思ったら尻尾から酸に似た液を噴出するそうでこれはちょっとやけどしたようになるそうであぶないんだそうだ、最近はかなり減っているとのこと)
家に鍵をかけない、家をでるとき鍵をかけていたら隣のバーさんが「なんば鍵かけよっとねー」と怒られる、「鍵かけたら留守てわかるたい」、なんのこっちゃ??自分がいたころ配達の仕事もしていたが8割がた留守でも鍵がかかっていない、ということはまあどろぼうもいなかったということなんだろうが、今は変わったろうなー
配達の時送り状にフルネームで聞かないと大変なことになる、お客さんに任せて書いてもらうとだいたい地域名と名字だけだ、こうなると例えば浜だったらその地域一帯浜の姓である、住所も地域名だけであとは書かない、
コンビニもない、(まあ当時はそれほどコンビニは出来てなかったが、今はあるのかなー?)とにかく夜は真っ暗、パチンコ屋が一軒あったか?困ったのが病院だ、唯一市民病院があったなー、来た時はわからずに病院は困った、
魚はまさに新鮮、というかまだ生きてる、スーパーの鮮魚コーナーでトレーにパックされた魚がいきなりはねてドサッと落っこちてきたというのがあったなー
しかしいい魚とかアワビとかウニとか取れるんだがぜんぶこれらは商用、地元の口に入ることは少ない、そういうこともあってか何故か鮮魚コーナーでトロ箱市みたいなセールをやるとすごく売れていた、おばいけという白身クジラの部分はこの地域では必需品で鮮魚コーナーにはいつもあった、今はどうだろう?
港に海中遊覧船が走っている、サンゴ礁の北限で遊覧船で見られる、きれいだ、でも今は温暖化でサンゴ礁の北限は北上しているらしい、とにかくこういうところなんで海はめちゃきれい、
海中遊覧船が止まるわきに魚政という魚や兼レストランがあるんだが有名で舞台挨拶でも杉田かおるが松田美由紀からここのオムライスがおいしいってんで定食食べた後オムライスも食べたと話していた。
牛深市から西海岸を回ると茂串海岸という海水浴場がある、車を止めて10分ほど海岸沿いを歩かなければいけないがかつては地元の小学生御用達の穴場だったそうだ。だからすごくきれいで泳いでいてもそばに小さい魚が泳いでいたりした、若いのが来るようになって今はすっかり夏は若者ばっかりだ、
このあたりの魚貫という海岸線、とにかく夕日が絶景、天気がいいとき東シナ海に沈む夕日は本当に本当に絶景、
絶景と言えばやっぱり海はいい、晴れた日はとにかく海はいい、でも雨の時は雲なのか海なのかわからない、
お盆になると何故か大阪弁が増える、というのもこれは帰省した人のことだ、自分がいた時も地元の高校の8割は地元を出ていくそうでとりわけ関西方面が多いらしくて、従ってお盆などは大阪弁が飛び交っていたりする、
お盆と言えばこれまたびっくりしたことがある、お盆前にやたら花火が売れる、それも大型の打ち上げ花火のセット、そうお盆の時お墓や海に向かって打ち上げ花火がバンバン上がる、灯篭を飾った漁船が海へ出る、対岸では日蓮宗か?ドラやらなんやらじゃんじゃんやっている、ここのお盆は賑やかというかうるさい、最初はこれもびっくりした、
長崎が打ち上げ花火とかでバンバンやる風習があるがどうやら海伝いに伝わったのではないかなー
派手と言えば小学校の運動会、ほとんど家族親戚総出のお祭りだ、だから子供のいる主催者の家庭は大変だ、運動会の夜は大宴会でそういう家はこの日だけで山盛りの買い物をしていく、
お祭りと言えばこの映画の主題でもある牛深ハイヤ祭り、毎年4月に開催される、牛深ハイヤ節、なんでも各地に流れて行った踊りのルーツらしく徳島の阿波踊りもそうだという話がある、
この祭り出たことがある、この祭りの前会社のパートさんから仕事が終わってみっちり稽古、腰がはいっとらんとか言われていたが、牛深ハイヤ踊りはここの人にとっては子供のころから踊っていた踊り、身に沁みこんでいて特別なものがある。
いざ祭りが始まると何故かウサギの着ぐるみを着せられ後ろからキャンディを配るという配役になってしまったが…たぶんへっぴり腰の踊りはみせられなかったのだろう。
ところで牛深のパートさんとかの奥さんたち、実に強い、というのも牛深漁港、遠洋漁業の基地でもある、だから男は船に乗っていないことが多い、だから家を守るのは女の役目であった、今回の映画そういう一面もあるかなーとも思う、女の都ゆえんである、
そして舞台にもなった遊郭、自分がいた時もなんか立派な旅館みたいなのがあったので、あれはなんだと聞いた事がある、そしたら遊郭だという、なるほど昔はずいぶん栄えていたんだなーという名残だ、
天草で一番大きい町は旧本渡市だが、旧牛深市までは約50分ほどかかる、舗装されるまでは本渡市から2時間くらいかかったという、こうしてみると陸上より海上交通の方が昔は便利だったはずだ、
映画のクライマックスでは雪が舞っている。この映画のクランクインは1月で相当寒かったようだ、南の町に雪?とおもうかもしれないが天草は結構寒い、というか確かに最低気温は高いんだが、西のはずれに位置してることもあり、九州というところ結構冬は北風というより西風が強い、その最西端の土地柄、季節風が西よりで強いときは結構雪が降る。
自分がいた時もずいぶん積もった時があった、牛深から本渡までは山道なのでさらに厳しい、そんな中、道中えらい目にあったことがあったなー、
携帯が普及し始めたころでここ牛深でもドコモが使えるというので早速購入、家は一つ山を越えたところにあったのだが、家に帰ったら圏外だった、(もっとも家から携帯にかけることはないだろうが)
と言いつつもパソコンってやつを最初に始めたのは牛深だったなー、ネットを見たのもこのときからだったかなーEメールもパソコン通信とか言っていた頃だ、
釣り好きなら天国というところだが残念ながら釣りはさっぱりだった、というかこの頃は仕事ばっかりでたまの休みは疲れてたからなー、もうちょっとあっちこっち行けばよかった、
とまあ最初はびっくりの連続の日々だったが5年経って出るころはすっかりなじんでいたが、住めば都である、今はずいぶん変わったんだろうなー、
3年ほど前とある道の駅に牛深からと出張販売をやっていた、そこに地元では「にな」と呼ばれている(と思う)巻貝があったので買ってみた、この貝、牛深の飲み屋では必ずつまみに出てたやつだ、
今牛深どうですかと聞いたらやはり「ずいぶん寂れたよー」って言ってた、20年前はそういう感じはなかったんだが、タイトルに衰退都市No.1と出るくらいだからかなり状況は厳しいらしい、
わっげんおっげんの映画に戻るがやっぱり役者ってすごいな、まずは方言、これだけ短期間でしゃべれるってすごいもんだなーと感心した、それとやはりハイヤ踊り、三日間の練習があったというがそれであれだけ踊れるんだからなー、たいしたもんだ、
2012年11月18日日曜日
天草紀行 その1
女たちの都 わっげん・おっげんを見てきた。熊本先行上映初日で舞台挨拶があった、登壇者は松田美由紀、杉田かおる、西尾まり、ブラザートム、緑友利恵、祷映監督 司会は熊本のタレント英太郎だった。
舞台は熊本県天草市(旧牛深市) 天草の下島の南端の漁港、熊本市から車で約3時間かかる、予告編のタイトルは衰退都市
NO.1そんな過疎の漁村を何とかしようと立ち上がった女達の物語という設定。
わっげん・おっげんってタイトル、なんだと思ったらあなたの家・私の家のことなんだそうだ、そーいや熊本では「おっげにけー」とか言うな、書いてみるとさっぱりわからない、
実はかつてこの牛深に5,6年住んでいた。仕事の転勤で赴任したわけだが、最初、はっきり言ってカルチャーショックだった、と、まあこの続きは次の回にて
舞台は熊本県天草市(旧牛深市) 天草の下島の南端の漁港、熊本市から車で約3時間かかる、予告編のタイトルは衰退都市
NO.1そんな過疎の漁村を何とかしようと立ち上がった女達の物語という設定。
わっげん・おっげんってタイトル、なんだと思ったらあなたの家・私の家のことなんだそうだ、そーいや熊本では「おっげにけー」とか言うな、書いてみるとさっぱりわからない、
実はかつてこの牛深に5,6年住んでいた。仕事の転勤で赴任したわけだが、最初、はっきり言ってカルチャーショックだった、と、まあこの続きは次の回にて
2012年11月2日金曜日
フジ子・ヘミングの亡き王女のためのパヴァーヌ
FMを聞いていたらフジ子・ヘミングの亡き王女のためのパヴァーヌが流れていた、引き込まれてしまった、
亡き王女のためのパヴァーヌ、ボレロなどで有名なラヴェルの作曲した曲だ、
ピアノ曲はパリ音楽院在学中に作曲した初期を代表する傑作であり、ラヴェルの代表曲の1つと言える。諸説あるが、ラヴェルがルーヴル美術館を訪れた時にあった、17世紀スペインの宮廷画家ディエゴ・ベラスケスが描いたマルガリータ王女の肖像画からインスピレーションを得て作曲した、とされる[1]。「亡き王女」という題名はフランス語でinfante défunteとなり、言葉の韻を踏む遊びから命名された。ラヴェルによるとこの題名は「亡くなった王女の葬送の哀歌」ではなく、「昔、スペインの宮廷で小さな王女が踊ったようなパヴァーヌ」だとしている[2]。なお、パヴァーヌとは、16世紀から17世紀にかけてヨーロッパの宮廷で普及していた舞踏のことである。 ウィキペディアより
当然ながらクラッシックとかほとんど知らないんだが、他にユーチューブとかで最近話題の辻井伸行のも聞いてみたがずいぶんと違う、辻井伸行のはやっぱ若さが感じられる、元気だ、
フジ子・ヘミングのほうはテンポが遅いのが特徴なんだが、それ以外にもなんというか重みというか、この辺りは年の功とでも言うんだろうか、より深い感じがした、
でフジ子・ヘミング 御年79歳、名前は知っていたが、スゥエーデンの父と日本人の母のハーフ、若いころから天才と騒がれながらも、ハーフということもあり戦前戦後とかなり苦労したそうだ、又若いころから耳が悪かったという、(最近の医療技術でだいぶ回復しているとのこと)
一般に知れ渡ったのは1999年のNHKの放映からなんだそうだ、
かなりユニークなおばさん(おばあさんか?)らしく毒舌発言も多い、聞く方にとっては好き嫌いがはっきりするタイプみたいだ、(例えばミスが多い、本人は人間だからミスは付き物機械じゃない、と言う。クラッシックの専門家からはどうも??という意見も…)
亡き王女のためのパヴァーヌ、一度聞いてみるといつ終わるんだろうと、とりとめのない曲に聞こえる、何度か聞いている繰り返しているんだが微妙に違っている、この感覚が後からなんともいえないのである、ボレロも繰り返しだよなー、どんどん変わっていってドカンと終わる、ラヴェルの特徴なんだろう、
フジ子・ヘミングの演奏
辻井伸行の演奏
ところでピアノと言えば前に西村由紀江コンサートのことを書いた、とても素晴らしかった、このときちょっと書いたけどその一週間前のちょっとしたコンサートでのピアノの音色が忘れられない、
小さいホールでなんか古そうな感じの小さめのグランドピアノ、色は茶色、このピアノの音色、よく聞くピアノの音色とずいぶん違う、いわゆるグランドピアノのダイナミックな音ではなく、とても優しい感じの音、こんな音色もあるんだなーと思った次第だが、そう思っているともう一度聞いてみたい
キーボードつながりだが、ディープパープルに在籍していたジョンロードが亡くなったそう、享年71歳、一時代を作った人が又いなくなったなー
亡き王女のためのパヴァーヌ、ボレロなどで有名なラヴェルの作曲した曲だ、
ピアノ曲はパリ音楽院在学中に作曲した初期を代表する傑作であり、ラヴェルの代表曲の1つと言える。諸説あるが、ラヴェルがルーヴル美術館を訪れた時にあった、17世紀スペインの宮廷画家ディエゴ・ベラスケスが描いたマルガリータ王女の肖像画からインスピレーションを得て作曲した、とされる[1]。「亡き王女」という題名はフランス語でinfante défunteとなり、言葉の韻を踏む遊びから命名された。ラヴェルによるとこの題名は「亡くなった王女の葬送の哀歌」ではなく、「昔、スペインの宮廷で小さな王女が踊ったようなパヴァーヌ」だとしている[2]。なお、パヴァーヌとは、16世紀から17世紀にかけてヨーロッパの宮廷で普及していた舞踏のことである。 ウィキペディアより
当然ながらクラッシックとかほとんど知らないんだが、他にユーチューブとかで最近話題の辻井伸行のも聞いてみたがずいぶんと違う、辻井伸行のはやっぱ若さが感じられる、元気だ、
フジ子・ヘミングのほうはテンポが遅いのが特徴なんだが、それ以外にもなんというか重みというか、この辺りは年の功とでも言うんだろうか、より深い感じがした、
でフジ子・ヘミング 御年79歳、名前は知っていたが、スゥエーデンの父と日本人の母のハーフ、若いころから天才と騒がれながらも、ハーフということもあり戦前戦後とかなり苦労したそうだ、又若いころから耳が悪かったという、(最近の医療技術でだいぶ回復しているとのこと)
一般に知れ渡ったのは1999年のNHKの放映からなんだそうだ、
かなりユニークなおばさん(おばあさんか?)らしく毒舌発言も多い、聞く方にとっては好き嫌いがはっきりするタイプみたいだ、(例えばミスが多い、本人は人間だからミスは付き物機械じゃない、と言う。クラッシックの専門家からはどうも??という意見も…)
亡き王女のためのパヴァーヌ、一度聞いてみるといつ終わるんだろうと、とりとめのない曲に聞こえる、何度か聞いている繰り返しているんだが微妙に違っている、この感覚が後からなんともいえないのである、ボレロも繰り返しだよなー、どんどん変わっていってドカンと終わる、ラヴェルの特徴なんだろう、
フジ子・ヘミングの演奏
辻井伸行の演奏
ところでピアノと言えば前に西村由紀江コンサートのことを書いた、とても素晴らしかった、このときちょっと書いたけどその一週間前のちょっとしたコンサートでのピアノの音色が忘れられない、
小さいホールでなんか古そうな感じの小さめのグランドピアノ、色は茶色、このピアノの音色、よく聞くピアノの音色とずいぶん違う、いわゆるグランドピアノのダイナミックな音ではなく、とても優しい感じの音、こんな音色もあるんだなーと思った次第だが、そう思っているともう一度聞いてみたい
キーボードつながりだが、ディープパープルに在籍していたジョンロードが亡くなったそう、享年71歳、一時代を作った人が又いなくなったなー
2012年10月29日月曜日
新幹線フェスタに行ってきた。
新幹線車両基地で新幹線フェスタというのがあったので行ってみた。新幹線が開通して熊本市の南、富合町に新幹線車両基地ができた。横を国道3号線が通っていて道沿いに見ていたがでかい、で今回はこの中を見ることができた。
いやー広かったなー、ずいぶん歩いた、
いやー広かったなー、ずいぶん歩いた、
ミニSLが走っていた、これもれっきとした蒸気機関で動いていた、
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車両基地入口 |
構内は専用の台車で移動できるようで、今日は試乗会があっていて長蛇の列
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ここにもくまもんが登場、多忙なようで早々に次の場所へ移動していった、
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2012年10月28日日曜日
アムディックのエフェクター
ネットを探っていたらアムディックという名前に遭遇した、アムディックと言えば若いころ、エフェクターのネオ自作というか、要するにケースと部品がセットになっていてちょっとした半田ごて作業で本格的なエフェクターができるというものだった、
調べたらローランドの子会社であった、今はローランドディージーという名前で主に業務用コンピューターの資材関係を作っているらしい、なるほどだから本格的だったんだなー
自分が買ったのは下のカタログの左下、シンセパーカッション、たたけばいわゆるピコピコ、ピロピロサウンドが出るんだが、これがめちゃリアルであった、当時はずいぶんお気に入りだったんだがいつのまにかどっかへ行ってしまったなー
自作ついでに前にも書いたことのあるユニエル電子の基盤ユニット、こちらは基盤が出来上がっていて、自分でケースやボリュームなどを揃えればできるという代物、ネットで探ってみたら今でもあるようだ、秋葉原にあるメーカーらしい、主に日本製半導体を使用しているようだ、今でもパワーアンプ基盤、フォノイコライザー基盤など販売しているようだ、
ここで作ったのがBBDアナログディレイ、400m/s位と今でいえばこんなもんかというところだが当時はこれを作ったときは画期的で驚いたものだ、
それからマイクアンプユニット、日立製のオペアンプだった記憶があるが、これがほんと音がよかった、というか当時オペアンプと言えばRC4558Dというド定番のやつがあってこれがとても好評だった、だがこちらは実際使ってみたらいいんだが、マイクの微小信号を大幅に増幅するためどうしてもノイズが厳しくて、自分としてはいまいちだった、
ところがこのユニエル電子のマイクアンプ、高域はあまり伸びない、がノイズがとても少ないのだ、高域が伸びないせいもあって中域が充実していてとてもお気に入りのマイクアンプだった、
BBDディレイとこのマイクアンプは当時のレコーディングに大活躍だったなー
調べたらローランドの子会社であった、今はローランドディージーという名前で主に業務用コンピューターの資材関係を作っているらしい、なるほどだから本格的だったんだなー
自分が買ったのは下のカタログの左下、シンセパーカッション、たたけばいわゆるピコピコ、ピロピロサウンドが出るんだが、これがめちゃリアルであった、当時はずいぶんお気に入りだったんだがいつのまにかどっかへ行ってしまったなー
自作ついでに前にも書いたことのあるユニエル電子の基盤ユニット、こちらは基盤が出来上がっていて、自分でケースやボリュームなどを揃えればできるという代物、ネットで探ってみたら今でもあるようだ、秋葉原にあるメーカーらしい、主に日本製半導体を使用しているようだ、今でもパワーアンプ基盤、フォノイコライザー基盤など販売しているようだ、
ここで作ったのがBBDアナログディレイ、400m/s位と今でいえばこんなもんかというところだが当時はこれを作ったときは画期的で驚いたものだ、
それからマイクアンプユニット、日立製のオペアンプだった記憶があるが、これがほんと音がよかった、というか当時オペアンプと言えばRC4558Dというド定番のやつがあってこれがとても好評だった、だがこちらは実際使ってみたらいいんだが、マイクの微小信号を大幅に増幅するためどうしてもノイズが厳しくて、自分としてはいまいちだった、
ところがこのユニエル電子のマイクアンプ、高域はあまり伸びない、がノイズがとても少ないのだ、高域が伸びないせいもあって中域が充実していてとてもお気に入りのマイクアンプだった、
BBDディレイとこのマイクアンプは当時のレコーディングに大活躍だったなー
ユニエル電子ユニットなどを搭載したミキサー、BBDアナログディレイ、他自作スプリングリバーブ、パラメトリックイコライザーなど
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2012年10月23日火曜日
2012年10月14日日曜日
ストリートアート祭りに行ってきた。
街中のアーケード街で恒例のストリートアート祭りがあっていたので行ってきた。今回で10年目なんだそうだが、昨年知って昨年はちょっとだけ見た。
この催し、アーケードのストリートでライブやらパフォーマンスがあるのだが、会場が8か所あり同時進行なので、全部は見れない。
まずはアマチュアのシンフォニックオーケストラ、弦楽四重奏くらいは生で聞いたことがあったが、シンフォニックで聞くのは初めて、へーやっぱりCDとかラジオで聞く音なんだなーというのが初印象、でもやはり生は迫力があるな、ストリートということでちょっと無理もあった気がしたがホールなんかだともっといいだろうなー
次はフラメンコ、これはアートギャラリーであったのだが、前回沖仁のフラメンコギターコンサートに行ったが、今回はいわゆるフラメンコ、ギターに歌(フラメンコではこれをカンテと言うそうだ)そして踊りという構成、ギター一人、歌&踊り3名の構成だった、それにしてもフラメンコって情熱的だなー凄い
その後はストリートに出てちょっと気になるアーティストのをちょこちょこと回る、なにせ8か所もあるので回るのが難しい、ダイジェスト版に動画を編集したのでアップ、
それにしてもレベルが高い、まあプロ、セミプロという人たちなんだろうがレベル高いなー、しかもこれが無料で見れるってなんか凄い企画だなー
この催し、アーケードのストリートでライブやらパフォーマンスがあるのだが、会場が8か所あり同時進行なので、全部は見れない。
まずはアマチュアのシンフォニックオーケストラ、弦楽四重奏くらいは生で聞いたことがあったが、シンフォニックで聞くのは初めて、へーやっぱりCDとかラジオで聞く音なんだなーというのが初印象、でもやはり生は迫力があるな、ストリートということでちょっと無理もあった気がしたがホールなんかだともっといいだろうなー
次はフラメンコ、これはアートギャラリーであったのだが、前回沖仁のフラメンコギターコンサートに行ったが、今回はいわゆるフラメンコ、ギターに歌(フラメンコではこれをカンテと言うそうだ)そして踊りという構成、ギター一人、歌&踊り3名の構成だった、それにしてもフラメンコって情熱的だなー凄い
その後はストリートに出てちょっと気になるアーティストのをちょこちょこと回る、なにせ8か所もあるので回るのが難しい、ダイジェスト版に動画を編集したのでアップ、
それにしてもレベルが高い、まあプロ、セミプロという人たちなんだろうがレベル高いなー、しかもこれが無料で見れるってなんか凄い企画だなー
2012年10月12日金曜日
中川イサト&ザビエル大村ライブ行ってきた
中川イサト氏のライブに行ってきた。遂に行ったかという感じ、というのもなかなか今まで行く機会がなかった、
中川イサト氏、日本のフィンガーピッキングでは第一人者、フォーク全盛時代は五つの赤い風船に在籍、前にブログでお茶の時間、アイランドのCD購入の編で書いたが、あの中川イサト氏をま近で見ることができた。
この人がいなかったら押尾コータローも岸部眞明も生まれてなかったろう、そんな大御所のライブなんでなんか行く前からキンチョー!!してしまった、
今回のライブは単独ではなくザビエル大村という人とのコラボ、この人は全く知らなかった、HPやユーチューブを見るとやはり同じ関西みたいだ
とある小さいライブハウスであったのだが、40分ほど前に行ってみたら誰もいない?会場30分前入ったら一人女性がいた、あと誰もいない?なんか不安になる、が開演前にはなんとか10名くらいはいたかな?
ステージにはマーチンとギブソン系らしいギター(後で聞いたらSumiギターだった)とワイゼンボーンが置いてある。
さてステージが始まった、数曲二人で演奏、MCはほとんどザビエル大村氏、イサト氏はちょっと合いの手をいれるくらい、
次にザビエル大村氏のソロ、この人はカントリーブルースギターとかラグタイムギターが得意らしく、日本語でウォーキングブルースとかやっていた、いやー面白い、この人のピッキングはとても強くてとりわけベースはパーカッシブ、バシバシ聞こえてくる、あと指が指板からずいぶん離れるなー
関西とブルースって切っても切れない縁がある、やはり関西ブルースは憂歌団をはじめ泥臭い感じだなー、
こういうカントリーブルースギターやっぱりいいなー、そしてワイゼンボーン、なんでもハワイアンのスティールギターの元祖だったんだそうだ、一度途絶えて最近復活、本物のワイゼンボーンが作られた期間はずいぶん短かったらしい、
そのワイゼンボーンの音を生で堪能、いやーやっぱこれはいい、実に深みのある音だ、
次にいよいよ中川イサト氏登場、ギターはマーチンの000-42系らしい、ところで中川イサト氏がマーチンを弾く姿って初めてだなー、指にはたぶんあのピンポン玉を加工したという付け爪が付いている、ピッキングの仕方は結構独特だった、
知っている曲であのtyotto toropikaruとdeep river bluesがあった、いやーよかったなー、麻雀パイを歌にした曲はタッピングやらボディヒットなど多彩な奏法ですごかったなー、結構ビブラートの場面でネックをぐいんぐいんやっていたなー、
ギターのライブは結構曲と曲の間が長い、というのもチューニングをその都度確かめるためだ、さらにはオープンチューニングなんかも多いのでさらに長くなる、押尾コータローはそれを避けるために曲ごとにギターを変える、
ところで前の日まで阿蘇で毎年恒例の三日間のギター合宿セミナー、これが終わってのライブ、二人とも指が痛い痛いと言っていた、やっぱ合宿セミナー、なんかハードそうだなー
最後のほうでイサト氏、高田渡氏の歌を歌う、高田渡を一番感じる歌だと言っていた生活の柄を歌った、ちょっと感動!!
最近のお決まりでやっぱり今回もCD購入とサインをもらってきた。巨匠のライブは流石に凄かったなー
中川イサト氏、日本のフィンガーピッキングでは第一人者、フォーク全盛時代は五つの赤い風船に在籍、前にブログでお茶の時間、アイランドのCD購入の編で書いたが、あの中川イサト氏をま近で見ることができた。
この人がいなかったら押尾コータローも岸部眞明も生まれてなかったろう、そんな大御所のライブなんでなんか行く前からキンチョー!!してしまった、
今回のライブは単独ではなくザビエル大村という人とのコラボ、この人は全く知らなかった、HPやユーチューブを見るとやはり同じ関西みたいだ
とある小さいライブハウスであったのだが、40分ほど前に行ってみたら誰もいない?会場30分前入ったら一人女性がいた、あと誰もいない?なんか不安になる、が開演前にはなんとか10名くらいはいたかな?
ステージにはマーチンとギブソン系らしいギター(後で聞いたらSumiギターだった)とワイゼンボーンが置いてある。
さてステージが始まった、数曲二人で演奏、MCはほとんどザビエル大村氏、イサト氏はちょっと合いの手をいれるくらい、
次にザビエル大村氏のソロ、この人はカントリーブルースギターとかラグタイムギターが得意らしく、日本語でウォーキングブルースとかやっていた、いやー面白い、この人のピッキングはとても強くてとりわけベースはパーカッシブ、バシバシ聞こえてくる、あと指が指板からずいぶん離れるなー
関西とブルースって切っても切れない縁がある、やはり関西ブルースは憂歌団をはじめ泥臭い感じだなー、
こういうカントリーブルースギターやっぱりいいなー、そしてワイゼンボーン、なんでもハワイアンのスティールギターの元祖だったんだそうだ、一度途絶えて最近復活、本物のワイゼンボーンが作られた期間はずいぶん短かったらしい、
そのワイゼンボーンの音を生で堪能、いやーやっぱこれはいい、実に深みのある音だ、
次にいよいよ中川イサト氏登場、ギターはマーチンの000-42系らしい、ところで中川イサト氏がマーチンを弾く姿って初めてだなー、指にはたぶんあのピンポン玉を加工したという付け爪が付いている、ピッキングの仕方は結構独特だった、
知っている曲であのtyotto toropikaruとdeep river bluesがあった、いやーよかったなー、麻雀パイを歌にした曲はタッピングやらボディヒットなど多彩な奏法ですごかったなー、結構ビブラートの場面でネックをぐいんぐいんやっていたなー、
ギターのライブは結構曲と曲の間が長い、というのもチューニングをその都度確かめるためだ、さらにはオープンチューニングなんかも多いのでさらに長くなる、押尾コータローはそれを避けるために曲ごとにギターを変える、
ところで前の日まで阿蘇で毎年恒例の三日間のギター合宿セミナー、これが終わってのライブ、二人とも指が痛い痛いと言っていた、やっぱ合宿セミナー、なんかハードそうだなー
最後のほうでイサト氏、高田渡氏の歌を歌う、高田渡を一番感じる歌だと言っていた生活の柄を歌った、ちょっと感動!!
最近のお決まりでやっぱり今回もCD購入とサインをもらってきた。巨匠のライブは流石に凄かったなー
2012年10月10日水曜日
自衛隊パレード
陸上自衛隊西部方面隊 創隊記念事業というのが毎年あっている、知らなかったが行ってきた、自衛隊の駐屯地に戦車他いろいろ展示してあった、普段入れないところなのでなかなか興味深い、
この駐屯地の前は自衛隊通りというのだが、ここでは観閲行進があったのでアップしてみた、
観閲行進けっこうな規模であった、F15ファントムまで飛んでたなー
2012年10月6日土曜日
耳管開放症
最近耳がおかしい、前からときどきあったのだが、最近ひどくなってきた。というのも話すとき自分の声が頭の中で響く、
耳と鼻の間に耳管というのでつながっている、高速のエレベーターなどで耳がツーンとしたとき外圧と内圧を均一にするため開く穴だが、普段は閉じている、これがいつも開いた状態になってしまうのだ、
最近ひどくなって話さない時も開いた状態なのでなんかいつも不快だ、で耳鼻科に行ってみたらなんと治す方法はないという、原因もよくわからなければ治療法もないという、えー!
テレビを見ていたら中島美嘉が出ていた、最近耳の病気で休業していたが、なんとこの耳管開放症なんだそうだ、一時は歌手をやめようかとも思ったそうだ、ふーん?
医者が言っていたのは急激に痩せたりすると発症することが多いそうだ、中島美嘉の場合十分考えられそうだが、自分は最近だいぶ太ったぞ??
右がよくないのだが自分の場合右の鼻の通りがとても悪い、長年の花粉症もあって鼻は非常にだめなんだが、どうもこのあたりからの関連があるんじゃないだろうか?
とにかく今は現状維持状態、なんか体調とかその日によって違う状態、しかしこのまま進んだらやばいなー
とにかく自分の場合はこれだけでなく加齢、老化によるであろう、あれやこれやが最近どバーッと出てきた感じで困っている。とほほ!どうしたものか?
耳と鼻の間に耳管というのでつながっている、高速のエレベーターなどで耳がツーンとしたとき外圧と内圧を均一にするため開く穴だが、普段は閉じている、これがいつも開いた状態になってしまうのだ、
最近ひどくなって話さない時も開いた状態なのでなんかいつも不快だ、で耳鼻科に行ってみたらなんと治す方法はないという、原因もよくわからなければ治療法もないという、えー!
テレビを見ていたら中島美嘉が出ていた、最近耳の病気で休業していたが、なんとこの耳管開放症なんだそうだ、一時は歌手をやめようかとも思ったそうだ、ふーん?
医者が言っていたのは急激に痩せたりすると発症することが多いそうだ、中島美嘉の場合十分考えられそうだが、自分は最近だいぶ太ったぞ??
右がよくないのだが自分の場合右の鼻の通りがとても悪い、長年の花粉症もあって鼻は非常にだめなんだが、どうもこのあたりからの関連があるんじゃないだろうか?
とにかく今は現状維持状態、なんか体調とかその日によって違う状態、しかしこのまま進んだらやばいなー
とにかく自分の場合はこれだけでなく加齢、老化によるであろう、あれやこれやが最近どバーッと出てきた感じで困っている。とほほ!どうしたものか?
2012年10月2日火曜日
シーガルギター特集とくまもんと
自分のブログで一番アクセスが多いのがカナダのシーガルギターに関して書いた項目、そのシーガルギターの特集が最近のアコースティックマガジンに出ていた。
残念ながらあの時のギターはもう手元にはない、悪くはなかったのだが…
でアコースティックマガジンだが、シーガルギター、カナダのメーカーでゴタングループに属する、ゴタングループってずいぶん大きな組織だそうだ。
そして木材調達から販売までを自社で賄う、一貫生産体制と徹底して機械化されてのローコスト化とまあすごいものだ、ケースもトリックケースという発泡スチロールを使った面白いケースを作っている。
機械化といっても水準維持という感じ、誰がやっても狂いがないというわけだ、しかもゴタングループ、シーガル独特の構造が満載だ、オープンチューニングでも狂いにくいヘッド構造、ネックジョイントに強度を増す工夫、トップ下部の若干のアーチを持たせてのトップ浮きの防止などなど
工場はカナダにあるのだがここはさすがに良質の木材が豊富らしい、前に書いた通りワイルドチェリーという木材もこの工場周辺に多くあるものだという。マホガニーに温かみとメイプルの固さを併せ持つという。
なるほどこうしてみると中級クラスのギターとしてのシーガルギターの注目度がこのブログの件数を物語ってるんだなーと分かった次第だ、
シーガルギターといえばこの人だろう、ベッピーノ・ダゴスティーノ、この人を知ったのがこのグランドキャニオンだった、日本ではCD出てなくて輸入盤を買ったのだがよかったなー
ブログでアクセスが多いのはどうやらグーグルの検索でシーガルギターで検索すると上位に出てくるためらしい、ちなみに最近アクセスが多いのがゆるきゃらくまもんの項目、こちらは最近バンジージャンプまでやってた、全国版の番組でも紹介されていたからなーたいしたもんだ、
残念ながらあの時のギターはもう手元にはない、悪くはなかったのだが…
でアコースティックマガジンだが、シーガルギター、カナダのメーカーでゴタングループに属する、ゴタングループってずいぶん大きな組織だそうだ。
そして木材調達から販売までを自社で賄う、一貫生産体制と徹底して機械化されてのローコスト化とまあすごいものだ、ケースもトリックケースという発泡スチロールを使った面白いケースを作っている。
機械化といっても水準維持という感じ、誰がやっても狂いがないというわけだ、しかもゴタングループ、シーガル独特の構造が満載だ、オープンチューニングでも狂いにくいヘッド構造、ネックジョイントに強度を増す工夫、トップ下部の若干のアーチを持たせてのトップ浮きの防止などなど
工場はカナダにあるのだがここはさすがに良質の木材が豊富らしい、前に書いた通りワイルドチェリーという木材もこの工場周辺に多くあるものだという。マホガニーに温かみとメイプルの固さを併せ持つという。
なるほどこうしてみると中級クラスのギターとしてのシーガルギターの注目度がこのブログの件数を物語ってるんだなーと分かった次第だ、
シーガルギターといえばこの人だろう、ベッピーノ・ダゴスティーノ、この人を知ったのがこのグランドキャニオンだった、日本ではCD出てなくて輸入盤を買ったのだがよかったなー
ブログでアクセスが多いのはどうやらグーグルの検索でシーガルギターで検索すると上位に出てくるためらしい、ちなみに最近アクセスが多いのがゆるきゃらくまもんの項目、こちらは最近バンジージャンプまでやってた、全国版の番組でも紹介されていたからなーたいしたもんだ、
2012年9月30日日曜日
肥薩オレンジ鉄道 ラッピング列車 銀河鉄道999
肥薩オレンジ鉄道という第三セクター運営の鉄道がある。熊本県の八代から鹿児島県の出水までの区間を走っているのだが、運営はかなり厳しいそうだ、
この区間に銀河鉄道999のラッピング電車が走っている。週末は熊本駅まで来るので観に行ってみた。
蒸気で見えなくなってしまった。
SLにこのラッピング列車を引っ張ってくれたらいいのになー、
そのあと新幹線ホームに行ってみた。
この区間に銀河鉄道999のラッピング電車が走っている。週末は熊本駅まで来るので観に行ってみた。
好評らしくて期間を延長して運航しているらしい、延長イベントにはメーテル扮する車掌も登場したらしい。
この列車が発車した3番ホームの後向かいの5番ホームからSL人吉号が発車した。
蒸気で見えなくなってしまった。
SLにこのラッピング列車を引っ張ってくれたらいいのになー、
SLを引っ張ってきたディーゼル機関車DE101195 |
SL人吉号はいつもぴんぴかの黒光り、とてもよく整備されている。 |
機関室はまさに機械 |
999の車掌さんはいないか? |
ぼんたん飴、兵六餅、鹿児島の名物だが熊本には昔からあるなー |
新幹線のレール幅は随分と広い |
千と千尋のゆばーば姉の家の門のランプに似てない? |
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