2009年8月28日金曜日

大御所アーティスト登場

My favorite artist特集、ついに大御所の登場です。

NHKで井上陽水のLIFEが4日連続で放映された。デビュー40周年とのことだ。
テレビはだいたい録画して後から見ることが多いのだが今回ばかりはしっかり放映時間に見た。話は陽水が羅列したキーワードから構成されている。昔のお宝映像から今だから言える秘蔵話、陽水を取り巻く人々のインタビューなどなど実に面白かった。

私にとっては陽水の存在は極めて大きい、振り返ると中学時代それまでもいいナーと思う歌はいっぱいあったのだが陽水を知ったときはどうしても聞きたい、弾きたいという衝動に駆られたものである。そう今でも音楽を好きで聴いてる弾いてるというのは陽水がいたからだ。陽水がいなかったら音楽は自分にとってそれほど重要ではない存在だったかもしれない。

あの頃を振り返ってどうしても思い出せないのがどうやって陽水の音源を聞いていたのかということ、中学のときラジオ中心でカセットも無かったし卓上プレーヤーはあったがそれで聞いた記憶はあまりない。友達ンちあたりで聞かせてもらっていたのだろうか?中学のときはほとんどその当時の曲はもう知っていた。

アルバム氷の世界は日本発のミリオンセラーになった。9.5カラット180万枚、ゴールデンベストに至っては220万枚売れてるそうだ。デビューはアンドレカンドレ最初は泣かず飛ばずで陽水に変わって徐々に頭角を現す、この頃はいわゆるフォークブーム、吉田拓郎が中津川フォークジャンボリーで人間なんてを歌いまくった頃、そしてかぐや姫に代表される4畳半フォーク、陽水はアマチュアの頃が短くて早くにプロになったという。いわゆる下積みというのはなかったそうだ。ルーツはビートルズ、

ここで一つ疑問が残る、ビートルズってバンドでエレキ中心、なぜアコギで弾き語りだったのだろうか?同じことは村下孝蔵あたりも当てはまる。この人のルーツはベンチャーズと加山雄三、最初はエレキを自作したそうだがこの人も又アコギでやっていた。多分コレは時代背景なんだろう。この頃歌謡曲以外でいわゆるシンガーソングライターとなるとアコギで弾き語りが多分定番だったのだろう。

陽水の初期のレコード会社はポリドール、この会社いわゆるフォークブームというのとは一線を引きたかったのかもしれない。同じときポリドールには小椋 佳がいた。そしてこの二人の共通項はプロデューサーが多賀英典だったということ、アレンジャーは元モップスの星勝、アコースティックギターは安田裕美、いづれも登場して皆元気らしい。それにしても音楽製作においてはプロデューサーってのは偉いんだなー、まあビートルズにしてもジョージマーチンとか名盤の影に名プロデューサーありなんだが、氷の世界からシングルカットの心もよう、B面が帰れない二人、どちらをA面にするかということになって全員が帰れない二人を押したが多賀英典が心もようがいいということでA面は心もようになったとか、詩に関してもあのとおり非常にわかりにくい詩を書くんで書き直しを要求したりなどあったそうだが、氷の世界の詩は譲らなかったそうだ。

陽水を初めて見たのが中学の終わりの頃、第一印象は「でけー」大体ステージに立つと大きく見えるものなのだが明らかにでかい、しかもがっちりした体格でびっくりしたもんだ、そして音量もこれまた馬鹿でかい、この頃は招待状の無いショーを出した後のツアーで音的にはかなりヘヴィーなステージ展開だった。このツアーの後東京ワシントンクラブ(CD化はされなかった)に収録してある。このアルバムを聞くと当時がよみがえる。前座は忌野清志郎
スローバラードを歌ったのを覚えている。

招待状の無いショーのあとはあまり聞かなくなった。招待状の無いショーは大きな転機になったアルバムだと思っている。丁度この頃大麻で逮捕された。思うにそれまでは湧き上がってくるものをそのままガンガン表現していたように思う。たぶんそれが枯渇したのだろう。その後は陽水の目は内から外に向い始めたような気がする。なんて勝手に思ってるだけだが後のアルバムは聴いては見るものの初期のような感動は感じなくなった。

9.5カラットあたりまではとりあえず聞いていたか?が自分もこの頃は仕事に就いてなかなか音楽どころでなくなって聞かなくなった。少年時代を聞いたのはヒットしてから結構あとではなかったか?

陽水のキーワードはいろいろあったが要約するとビートルズ、テレビ、麻雀(阿佐田哲也)、ボブディランというところか?インタビューにはいろんな人が出てきてそれぞれに陽水を表現していたがさすがに作家はうまいこというなーと感心する。特に伊集院静という作家が「含羞」という言葉で表現していたのが印象的だった。

インタビューの登場する人に作家とかおおいのだがとりわけ同郷が多いのは偶然か?五木寛之、リリーフランキー、筑紫哲也、などなど、それにしても福岡出身って音楽家やら小説家やら多いのだがこの筑豊と言うところが多いのは何故なんだろう?石炭産業は石油に代わる前は黒いダイヤと言われた。陽水の頃は絶頂期から衰退期に向い始めた頃であろうか、

陽水のアコギ、最初の弾き語りの頃はS。ヤイリだったらしい、最近のステージではよくギルドとギブソンが多いなー、ギルドは二色の独楽に写ってたやつかなー、そしてバックメンバーに最近必ず出てるのが今剛である。陽水の弾き方はほとんどストロークで静かな曲にアルペジオが入るくらいである、スリーフィンガーは全くといっていいほどない。唯一断絶の小さな手はスリーフィンガーだ、

それにしても今年61歳だそうだがこの歳であの声が出るってのは凄い。同じく南こうせつも変わらないなー、最近出た弾き語りパッションを聞いたがあれは良かった。

インタビューには作家が多かったのだが同じミュージシャンってのが意外にも少ない。唯一小田和正が話していたが同じくらいの歳として活躍しているミュージシャンだが同じ時を過ごして来たというより同世代の対抗馬という感じだった。小室等が出てきたが売れてない頃はよく来ていろんな音楽を聴いていたというのはちょっと意外、奥田民生は陽水からオファーが来たと言ってたナー、そーいや中島みゆきもコメントを出してたなー

今まで知らなかった陽水がちょっと解明?いろいろあって面白いが一方ではどうでもいいことでもある。いづれにせよ自分にとって陽水はmy favorite artist であることは間違いない。これからもあの美声を聞かせてもらいたいものだ。

2009年8月27日木曜日

7月30日の訂正

7月30日のブログに蝉の話題を書いた、何匹いるでしょうというタイトル、手の届くところにわんさと蝉 がいてしかも暑さに強いくまぜみだったので最近の異常発生ではないかということで書いたのだが、今日NHKラジオの子供電話相談室(夏休み午前中やってる、聞いてるとなかなか面白い)をたまたま 聞いていたら「蝉が手の届くところにいっぱいいました、これは産卵かなんかでこんなに手の届くところ にいるのですか」という質問、答えは蝉も当然足があって羽もあるので移動が出来る。そのときの居心 地のいいところに移動するということ、特に朝方とか夕方など気温が低いときは下のほうに来るそうで ある。そういえば写真を撮ったのは朝方だった。どうやらあれは蝉の習性らしい。ということでいっぱい いたからといって異常発生とは限らないということで7/30日のブログの件は訂正ということであります 、あとそーいえば下のほうにいたのは泣いてないメスばっかりみたいだったなー、(ちなみに産卵は ちょっと枯れかかったような木に産卵するそうで元気がいい木には産卵しないそうだ。)

ブログは思ったこと感じたことてきとーに書いているのでその辺りはご容赦ください。

2009年8月25日火曜日

東洋人と西洋人

世界丸見え(月曜8時たけしが出る番組)で面白いのがあった。東洋人と西洋人の物の見 方の違いを実験したものだ。その実験と言うのが真ん中に笑ってる人がいて後ろに同じく 笑ってる人が並んでいる絵ともう一つは後ろに並ぶ人が怒ってる絵(中央の人は同じくわら っている)のを見せたときどちらが中央の人は幸せな状態か?という質問、東洋人はほとど後ろが笑ってる絵は幸せな状態で怒ってるほうは幸せではないと答える。西洋人はど ちらも同じと答える。ちなみにココで言う東洋人は日本韓国中国、西洋人はアメリカイギリスである。

同じようにパンダと猿とバナナの絵が描いてある。この中で二つ関連付けをするとしたら どれを選ぶかという質問、東洋人はほとんど猿とバナナ、西洋人はパンダと猿なんだそう。このことから東洋人は関連性というのを重視する傾向が強いという。常に回りを気にし ているという。西洋人はそのものに注意が注がれまわりはあまり気にしないという。中央に どーんとゾウが描かれた絵を見せると西洋人の目線はゾウに注がれてあまり目線が移動 しない、対する東洋人はゾウから背景の草原とかかなり忙しく目線が動くそうだ。

確かに東洋人は回りの人間関係とかとりわけ日本人はこういう回りを気にするのが得意 というか国民性なんだがこれって一般に東洋人が持ち合わせてるものなんだなーとも思 った、こういうのってDNAに刻まれてるものなのかなー、西洋人の個人主義的なところ もこういったところが背景にあるんだろう。

これがイスラム世界だとどうかとかインド人だったら、アフリカ人だったらとなるともっと 面白いんだがどうなんだろう?それにしても無意識のうちにこういうのが働くというのは 面白。人類の起源は同じなんだろうがこれがどこでこう変化が付いていったのか気に なるところだ。

この番組に外国の学者が出ていたがこの人が日本人は赤信号を守るが一人が渡りだす と皆赤信号でも渡りだすという。(赤信号みんなで渡れば怖くない)前回の総選挙、どどーっと小泉劇場に流れた、果たして今回は??

2009年8月21日金曜日

SONGS 中森明菜

NHK SONGSに二週にわたって中森明菜が出ていた。久しぶりに見て聞きたくなった。
レコードを探したら10枚あった。結構買ってたんだなー、CDになる頃からは全然聞いてな
かったのだが最近ではカバーアルバムが好調とのことで歌姫シリーズとか結構売れてるそうだ。

レンタルで歌姫シリーズを一部借りて聞いてみた。さすがに明菜節とでもいうかカバーだが明菜の世界に消化しているという印象だった。良かったのは艶歌という演歌を歌ったカバーは良かったなー、若い頃に比べると低音勝負という感じだ。

最初に気に入ったのがアニバーサリーというアルバムの中のアライラムという最初の
曲、レゲエ調の歯切れのいい曲であった。これからアルバム買ってたのだがやっぱあの
歌唱力だなー、あの頃双璧に当たる松田聖子がいたけどカナリーというアルバムを一枚
持っている。松田聖子も歌唱力ではすげーナーと思ったのだが中森明菜の方が合ってた
のかなー、

その後陽水が提供した”飾りじゃないのよ涙は”は新境地を開いた、お気に入りのアルバム
にビター&スウィート、D404MEなんか良かったなー、極めつけは”STOCK”、ちょうどレ
ードからCDになり始めた頃のだがなんでもシングルから漏れたのを集めたらしいがこれの レベルの高さにはぶっ飛んだナー

ビター&スウィート、D404ME、アニバーサリーなどはレコードしか持ってないのでアマゾンで検索するとCDになってるらしいが中古しかなくてなんとプレミアムが付いているのかやたら高い。アニバーサリーなんか11000円する。えーこれじゃとてもCDは無理かと思いきやふと立ち寄った中古屋でこの3枚が1000円前後で出ていたではないか、思わず買ってしまった。 ということでひさびさに明菜にはまった今日この頃でした。 振り返るとお気に入り アーティスト紹介とか多いな、ネタないときは今までのお気に入りシリーズでも書いてみるか?









2009年8月17日月曜日

音おもしろねたをいくつか

Sound&Recording9月号に面白い特集があった。サンレコ実験君ってやつでこの中から


1.マイクもエージングで音が変わるのか

2.MPCのシーケンサーは本当に揺れているのか

3.電源ケーブルで音は変化するのか

4.アナログシンセの音は本当に太いのか

5.人間の可聴範囲は20Hz~20KHzか
などなど

日頃ちょっと気になってることの数値で見る実験ってんでなかなか興味深かった。

1.マイクのエージングはあまりはっきりしなかったがNS-10Mで比べたら数値でも違っていたというものだった。スピーカーのエージングは変化量が大きいようだ。そーいや中古やのジャンクにはウーハーのエッジがぼろぼろになったのをよく見かけるが、あれがスピーカーの最後と考えると変化するのは当然だろう。

2、はデジタルシーケンサーなのだが機種によって微妙にずれるそうで面白い。これがいわゆるグルーブ感が出るというのだからデジタルだけど面白いね。

3.電源ケーブルに関しては数値的にもあまり差はでなかったらしい、これがスピーカーケーブルあたりだとはっきり出るんだろうけど

4.これが一番興味津々、ブラインドテストで25名にミニモーグとソフトシンセのミニモーグでブラインドテスト、結果はばらばら、よってアナログシンセが音が太いというのは×となった。
それだけ今はデジタルサンプルが上手く取れるってことになるがそう考えるとソフトシンセってのもすげーなー、この世界はすでにバーチャルを超えてる?

5.これも面白かった。DTMにテストトーンってのがあったんだがヘッドホンで試してみたところ16Khzは聞こえない。かろうじて12.5KHzは聞こえた。低音では20Hzは聞こえない。
40Hzは聞こえた。従って自分の今の可聴範囲は40Hz~13KHzくらいということになる。

最近東京の公園で若者が騒がないようにと17KHz辺りの周波数を公園の周りに流して 若者が騒がないようにとする試みが報道されていたが確かに歳とともに高音域はかなり落ちるらしい。

だから超高音域は要らないかというとこれが雑誌によると脳に直接響いているという。面白いことに西洋楽器は案外狭くてピアノなどは16KHzくらいが上限でチェンバロあたりだと50KHzまで伸びている。民族楽器などは超高域が伸びるのが多いそうだ。

こうしてみるとCDのサンプリング44.1KHzというのは低すぎるんだなー、DTMやってて 思っていたのだがミックスダウンでWAVEに落とすとなんか痩せたように感じていたのだがこういう理由によるものかもしれない。さらにはMP3とかにしたらもうやめてーってなるんかなー、耳を鍛えるにはやっぱ生音を聞くことか?

しかし自分の世代はカセットテープで育ったから当時カセットテープの高音域をいかに落とさずにというのがテーマだった頃に比べるとMP3でも格段な違いが有る、ノイズは無いし 音も伸びている、しかしテープはアナログ、多分可聴帯域からなだらかに落ちていたんじゃないか?対するデジタルはバサッと切り捨てるという感じか?この辺りはアナログとデジタルを比べるのがナンセンスかもしれない。

最近はDTMもいいけどやっぱ生はええなーと感じるこの頃だが、音って耳で聞くだけじゃなく体で感じるもんなんだというのを再認識したような実験だった。




2009年8月16日日曜日

レスポール氏逝く

レスポール氏が亡くなった。94歳だったそうだ。ギブソン レスポールモデルの生みの親、多重録音などのレコーディング技術の開拓とこの人がいなかったら今の音楽はどうなってたかなというくらいの人だった。実質的にソリッドエレキギターの生みの親かなー、双璧をなすフェンダーを生んだレオフェンダーにも影響を与えたと言う。レコーディングにおいても今は当たり前の多重録音からスプリングリバーブ、などなど数え切れない発明をしている。

ミュージシャンとしても一流だったし亡くなる数ヶ月前までステージに立っていた。


レスポールの音といえば月並みながらやっぱりジミーペイジとホテルカリフォルニアのレスポールの音、そーいえばジェフベックの哀しみの恋人達もレスポールだったな。そして1968年から70年まで作られたレスポールスタンダードこれが芸術品にも値する出来だった。この塗装のトラ目を知ったときはへぇーっと感心したもんだ。



オリジナルレスポールというとゴールドトップの色にシングルコイルピックアップ、ストップテールピースではなかった。その後PAFという伝説のハムバッカーピックアップが搭載、サンバースト仕様が出てきて伝説は誕生した。そしてこの年代ってのは音楽も過渡期で69年にはあのWood Stockコンサートが開催され、ビートルズが解散し、ツェッペリンが活動を開始した。そういう意味では一時代が終わったのかもしれない。



自分もレスポールのコピーモデルを持っている、バーニーのレスポールカスタムモデル、バーニーと言う会社今でもやってるが結構忠実にコピーしたモデルを出している。最近知ったのだがフェルナンデスという会社、フェンダーの忠実コピーモデルばっかし出してるんだが(昔はフェンダー社からクレームも入ったことがあるという)この会社のギブソンコピーがバーニーと言う名で出しているそうだ。



ということでなかなかいいんだがレスポールって重い。5Kgくらいあるそうでこの歳になるとちょっと肩こりが…でもこれでホテルカリフォルニアのソロ弾くと気持ちがいいんだなー


Wood Stockの話だが最近1969年ってのが話題になってるようで雑誌でちょっと特集を組んであった。アメリカはベトナム戦争が泥沼化状態で閉塞感が強い時代だった。ヒッピーってのが若者の象徴であった時代だ。Wood Stockは若い頃映画館で見た。CSN&Y、ザ・フー、サンタナなどなど、でもやっぱり極めつけはジミーヘンドリックスのアメリカ国歌だったなー

これからはレスポールって伝説の…となってしまったがレスポールは永遠に不滅です、と言っておこう。

2009年8月12日水曜日

荒れる日本列島

今朝駿河湾を震源とする地震があった。最大で震度6弱の地震、最初ニュースで見たときは言われている東海地震かと思われたが言われているのより深くてちょっと違ったらしい。
昨日は昨日で日本南海にあった熱帯低気圧が台風9号になり今日は東海沿岸を東へ、湿った空気が 入り込んで中国地方、四国地方に豪雨、多大な被害が出ている。

ちょっと前に同じ中国地方で天候不順の大雨で被害が出たばかりだ。天気ではないがここんとこニュースにワイドショーは芸能界にはびこる薬物の話題で持ちきりだ。あと3週間になった衆議院選挙はどっか吹っ飛んでいる。

そういや先週はここ九州でもひさびさ震度4という地震があった。(自分がいたところは多分ここまで揺れてなかったように思ったが)今のところここは夏が戻ってきて暑い、暑い、それでもすっきりとはいかず雲が多くやたら湿度が高い、いわゆる湿った空気ってやつがいつもより多く流れ込んでいるせいだろう。ただ気温は確かに昨年より低く、最高気温は32,3度をうろうろ、前に書いた蝉の話題なんだが例のくまぜみは昨年よりちょっと弱い(とはいってもうるさいが)ように思う。一方あぶらぜみは昨年よりよく鳴いているようだ。どうやら蝉って気温に結構敏感らしい。

台風という言葉で思い出すのが平成元年か二年頃だったか台風19号というのが来た。台風の目は 長崎、佐賀と通っていったのだが私の住むところは台風は良く来るんだが東を通るとそれほどでもない。が西を通ると大変、この19号は最悪コースってやつを通った台風で勢力も猛烈台風でのちに青森に行ってりんごが大量に落下、通称りんご台風と呼ばれているものだ。

この台風のときは慣れているはずの台風がほんとうに恐怖に感じた。なにせ10tトラックは道でひっくり返ってるし電柱はズラーっとぶっ倒れている。この台風の後屋根と言う屋根はビニールシートで覆われて青い屋根が並んだ。当時の自分の車もボンネットに瓦が直撃した。

台風の被害が大きいときってのはスピードが速いときである。今回の台風も熱帯低気圧が日本南海をうろうろしていたかと思ったら北上、多分被害が大きかったところはいきなり降りだしてそれも時間雨量100mmなんていう滝のような雨がいきなり降ってあれよあれよと被害が大きくなってしまったのだろう。台風に限らず身構え無しに来られるとどうしようもない。ましてや地震は全くの予告なしだから…

台風が来たときいつも思うのだが雨粒の大きさが普通の雨と違う。梅雨時とか今よく言われるゲリラ豪雨とか夕立とかの雨つぶってやたら大きい。打たれると痛いくらい、それに比べ台風本体の雨ってのはやたら粒が小さい。が面積当たりの量は変わらないから雨量自体は同じらしいが、何故か教えてくれる人いないかなー

それにしても大荒れの日本列島いつ収束するのか?

2009年8月2日日曜日

イルカ&樋口了一ライブに行って来た。



イルカ&樋口了一ライブに行って来た。8月1日土曜、というと日本はほとんど夏祭り状態か?あっちこっちでイベント真っ盛りの土曜日、とある町での夏祭り企画とでも言うかこれにイルカさんが来るってンで行ってみた。


この町は夏に結構企画物ライブをやっている。前にはビギンなどもやって来たりと町おこしに力を入れている町だ。とは言ってもふつーのライブというよりあくまで夏祭りの延長線って感じ、会場の隣に別のイベント会場があったのだがここでは出店やらなんやら別企画が進行中、Photoを見てもらうとわかるが始まる前の光景、ステージ前は芝生でしかも敷物やら携帯椅子やら持参でなんか運動会風景??年齢層もぐーっと高く家族連れがほとんど、



この日九州でもこんなところにと言う感じでなんとエイベックスのライブが開催されていた、この町からそうだなー数キロ先である。倖田來未や浜崎あゆみや大塚愛などエイベックスのそうそうたるメンバーが一同に集まったライブがあったのだ。対象年齢が違うので比較するのが無理があるが同じライブでもえらい違いだなー

最初樋口了一によるライブがあった。最近痴呆をテーマにした”手紙”という曲がちょっと話題になっている。他の曲も家族をテーマにしたのが多かったように思う。この日午後は雨の予報でかなり心配されたがなんとか持ってくれてよかった。

そしてイルカさんの登場だ。8時前ちょっと遅い夕ぐれどき、さすがに夏祭りイベントということで選曲も苦労したようだ。で二曲めから雨の物語と海岸通があった。やっぱいいなー、そしてさすがに上手いのはやっぱ会場を盛り上げていくところ、これがまた思いのほか盛り上がるのだ。手拍子が始まれば回り見渡せば皆やってる。じーさんばーさんもやってる。会場が歌い出せば皆歌ってる、いやーなんか予想以上に盛り上がっている。びっくりだ、

中盤も過ぎた頃、イルカさんが私もさ来年でデビュー40周年ということを話し出した。ということでデビューの頃からを歌い綴った曲を披露。10分くらいになる長い曲、これがいやー良かった。昨年亡くなられた夫の神部和夫氏とデビュー当時組んでいたシュリークス時代の歌からメドレーで綴られていく。私は好奇心の強い女、この音源探しているのだが無いのだ。
この曲をやってくれたのである、それから鯨のスーさん空を行くとか続いた。そしてこれっきゃないって言う”なごり雪”も当然あったのだが特筆もんはヒットした当時と全く変わらない感じで歌えるってこと、これってなかなか難しい、昔の曲をあんときのまんまでってかなり難しいことである。声の音質とか歳とともに変わっていくし当人からすると歌いたくても歌えなくなるもんである。

このイルカさんのだんなさん、昨年亡くなられたのだが本当に運命の出会いというかこの人がいなかったらイルカさんは存在しなかった。シュリークス時代イルカさんの才能に気づいてその後イルカさんをプロデュースという裏方の形で支えた人である。やっぱ昨年はこの夫の死ってのはかなりショックだったようだ。が最近は落ち着いてこの半生を歌にしたり本にしたりしているようだ。

そしてラストからアンコールなんと総立ちになってしまった。(まあ立たないと見えないってのもあるかも?)思いのほか盛り上がりにもう一回アンコール、これは想定外だったらしくてックにギターとキーボードがいたのだがこちらはもう引っ込んでしまっていた。そのアンコールはなごり雪皆で合唱という形でコンサートは終わった。

予想外の盛り上がりにびっくりしたがさすがにこういう場の作り方はうまいもんだ、それとこの町がここで毎回イベントをやっているので町民がこういうのに慣れてるのもあったかもしれない。イルカさんのライブは何度も見ているがこんなに盛り上がったの始めて見たナー

イルカさんを知ったのは中学の頃、当時オールナイト日本をやってたのでよく聞いていた。ばかやろうコーナーなんか面白かった。が曲のほうは聴いてなくてあのなごり雪がヒットした頃もピント来なかった。がイルカライブという(九段会館で収録したファ-ストライブ)を聞いたとき衝撃…すっかりイルカワールドというかその世界に引き込まれて以来レコード時代は聞き続けたんだが…CDになった頃からか聞かなくなった。コンサートも自分の中では一番通っている。もう7,8回くらい行ってるんじゃなかろうか?悲しいことに記憶力の悪い私はもしかして痴呆も?昔のライブのことほとんど覚えていないのだ、そして前回行ったのが2年前だったか久しぶりに行ってみて最近では二回目ということになる。

イルカワールドの中にやっぱりというか出てくるのが巨匠”石川鷹彦”氏である。イルカの世界から石川鷹彦氏のアレンジがいろいろあってこれが又良かったのだ。石川鷹彦氏を知ったのはかぐや姫じゃなくてイルカさんが最初だった。なごり雪も松任谷正隆氏がアレンジしたシングル版よりライブでやった石川氏のアレンジが好きだ。

イルカさんのトレードマークにマーチンD-35がある。なんでも3本ばっかし持ってるらしい。D-35というといわゆるフォーク時代でよく使われたマーチンギターである。だいたい書いてあるのがD-28より甘い音色で高域が28より強くてストロークからフィンガーピッキングにもいけるという案外オールマイティーなギターである。秘密はバックがスリーピースであることからこの音になるらしい。吉田拓郎も弾いてるなー、
一度70年代初期のを弾いてみたら良かったなー、D-35欲しいなー、ちょっと脱線した。




というわけでライブは終了したんだがこのライブ、古墳があるところでその名も古墳祭ライブ、あっちこっちにたいまつやらなにやらでちょっと幻想的風景だった。


Ibanez  AE325-LGS