2010年2月7日日曜日

仏像の目は何故に半分開いているのか?

NHKアーカイブスで曹洞宗の本山、福井県永平寺の修行の様子があった。
曹洞宗と言えば座禅で有名な宗派である。永平寺はその総本山ということで、全国の若い坊さんが修行に来ている。このとき(2001年)は200名くらい居たそうだ。

座禅とはよく耳にするがいったいどんなもんかというのは前から気になっていた。修行の様子は朝4時半に起床、顔の洗い方から歯磨きの仕方、水も一滴も無駄にせず、そして朝の座禅、履物の揃え方から作法が決まっている。一回の座禅は線香が消えるまで約40分
眠ったら例の如く後ろから叩かれる。そして食事、当然ながら精進料理、肉魚のたぐいはない、これもまた作法が全て決まっていて、最初はおかゆから、そして音を立ててはいけない

など等さすがに修行の場所である。寝るときも布団を寝袋みたいにして寝ている。ほとんど自分の時間と言うものはない。が考えてみるとそれ以上のことは無いのである。座禅と作法と、それ以上は無いのである。

曹洞宗の開祖、道元は若くして出家し(両親が早く亡くなり出家せざる終えなかったらしい)
たが日本では未だ未熟の世界、中国に渡って修行したという。このとき教えを頂いた導師に料理を作る人は修行をしていないと問いただしたのに対し料理を作ることもまた修行なのだと言われたと言う。曹洞宗では座禅のみならずいっとき、いっときの動作もまた修行なのだと言う。

もう一つこの永平寺の曹洞宗大本山永平寺第78世貫首 宮崎 奕保 禅師 と言う人 106歳で往生されたそうだが、このビデオの一部も放映があった。まあ、まさに悟った人である。この人もまた29歳の頃まで座禅ばっかり組んでいて悟りなど開けるかと思っていたそうだ。このときの貫首の死に立会い、目覚めたと言う。まあこのあたりになると一言一言がものすごく重い。「自然はりっぱやね、来るべきときに来てやるべきことやって去っていく。」「いつ死んでもいいとなるのが悟りとおもっとった。」「平気で生きておることが悟りだった」「平気で生きておることが難しい」「死ぬときが来たら死ねばいい」「平気で生きられるときは平気で生きとったらええ」など等

なーんも考えんでいるってのはなかなか難しい、なーんも考えなかったら寝てしまうし無の境地で座禅を組むことを只管打坐(しかんたざ)というそうだ。なるほどだから仏像は目を半分開いているのか、と納得した次第、目をつぶったら寝てしまうからなー、まあ自分は煩悩のかったまりだから座禅組んでもせいぜい寝てしまうか、頭の中煩悩でいっぱいになるか、はたまた足の痛さでヒーヒー言うかだろうがなー

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