2014年3月21日金曜日

やっと再放送で見れた

井上陽水 氷の世界40年の再放送があった、

前回ミスって始めの20分くらいしかみれなかったので再放送はありがたい、今回はじっくり見ることが出来た、

LP氷の世界は1973年12月にリリース、初のミリオンセラーを達成する。番組は陽水がアンドレカンドレと名乗っていた頃から始まった、
このころのシングルを後にアルバム化した陽水誕生というLPがある、インディーズ時代を集めたものなのだが陽水の許可なしに発売されたため1ヶ月で廃盤になったなかなかおめにかかれないアルバムである。若い頃かなり探し回ったがなかなかない、

ところが友人がこのアルバムを入手したと言う、早速聞いてみてこれが陽水の原点かーと思ったものだ、実はこのアルバムを入手した友人がつい先日急折してしまった、あまりにも突然だったので未だに信じられないような状態なんだが、振り返れば陽水、氷の世界40年と重なってくる、この友人とはまさしく陽水繋がりであった。

中学の終わりか高校の始めだったと思う、彼と始めて陽水のコンサートを見た、 このころのLIVEはGOING ON ツアーとしてライブ音源が東京ワシントンクラブとして発売された、このライブアルバム、こちらもまた陽水の中で唯一CD化されてないアルバムだ、


このときのライブ、本格的なライブを見たのは初めてでしかも陽水、ステージに出てきた陽水を見た第一印象はでかい、!!ちなみに前座は忌野清志郎のRCサクセション、スローバラードを歌ったのを覚えている。そして陽水、一曲目は氷の世界、音は馬鹿でかい、ロックコンサートだ、一昔前の弾き語りスタイルの陽水とは全く違う、弾き語りもあったが全体には非常にヘヴィなロックのライブと言う感じだった、東京ワシントンクラブを聞くとあのときのライブが蘇

アンコールの夜のバスもヘヴィだったなー、夜のバスはアルバムセンチメンタルに納められているがこちらはキーボーディスト故深町純のアレンジ、ライブの夜のバスはバスドラムがガンガン響いてくるロック一色という感じ、こちらのアレンジも好きだ。
 

話を戻そう、氷の世界40年、シングルカットして陽水といえばというくらい有名な心もよう、(今の人では少年時代みたいだが)全員が帰れない二人を押していたがプロデューサーの多賀英典は心もようをシングルカットした、というのは有名だが歌詞は最初の歌詞から随分と入れ替えされたらしい、元の歌詞(普通郵便というタイトル)が残っていたが良く残っていたもんだな、多賀英典はこの曲は没、書き直しを迫る、インタビューでその後一週間口をきかなかったというから、けんけんがくがくで作ったんだな、
 

 


この話は幾度か語られたことがあるがそれ以外にも裏話が満載だった、陽水初の海外録音、ロンドンで録音された、改めて聞いてみるとなるほど違うな、氷の世界、FUN、チエちゃん、小春おばさんこのあたりが海外録音だ、氷の世界のバックコーラスは黒人ボーカルを頼んでいたら白人が来たとか、しかも一人はゲイで当時はびっくりしたとか、しかし結果オーライ、エンディングのハモリは圧巻だ、

氷の世界40年、もう一つこりゃ凄いってのが安田裕美、星勝が出ていたことだ、星勝、故鈴木ひろみつがボーカルをやっていたモップスのメンバー、ここもポリドール繋がりになるんだろうが、初期の陽水、小椋佳のアレンジを担当している、このあたりも多賀英典繋がりでその後キティーミュージックとかでうる星やつらのミュージックとかやっている、
 


そして安田裕美、陽水の前期のアコースティックギターはほとんどこの人だ、今回陽水と安田裕美との共演、これは本当に久しぶりなんじゃないだろうか、この二人が奏でたのは氷の世界、帰れない二人、FUN、おやすみ、この映像はお宝もんだ、

自分にとって最初のアコースティックギターといえばこの人になる、自分がアコースティックギターでバイブルとなっていたのが”ヤングフォーク、フォークギター教室(小林雄二)”最初の頃この本で練習した、当時は情報がなかなかなかったんで貴重だったなー、

安田裕美を知った後に石川鷹彦巨匠を知ることとなるんだが、二人のサウンドの違いには当時驚いたもんだ、安田裕美のほうはアルペジオ、ストローク、が多いんだが、スリーフィンガーはほとんどない、一方石川鷹彦はスリーフィンガーとかおおくて同じアコースティックギターでも随分違うもんだなーと思ったものだ、

番組には出てこなかったが桜三月散歩道、詩は陽水ではない、この曲のアコースティックギターは圧巻、最近になってやっとコピーした、

氷の世界というアルバム、いろんな人がこのアルバムについて語っていた、いままでの歌謡曲は終わったと言ったのは、なかにし礼、谷村新司はこんなモンスターアルバム作っちゃって次はどうするんだろうって心配していたそうだ、

心もようで陽水を知った人も多いと思う、心もよう、氷の世界、いづれもクラビネットを使っている。これは当時ヒットしたスティービーワンダーの迷信をイメージしているそうだ、帰れない二人はニールヤングの曲のコード進行をイメージしたとか言ってたし、それなりその時の影響って反映されてるんだなー、

多賀英典は出てこなくて声だけのインタビュー、それによると多賀英典はかなり吉田拓郎を意識して仮想敵としていたという、氷の世界のジャケットとちょっと前に出て拓郎のアルバムでは一番売れた元気ですのジャケットは、いづれもモノクロで氷の裏面と比べるととてもよく似ている、みうらじゅんは山門の仁王、ロールシャッハーテストみたいだと言ってた、
 

このアルバムから16トラックのチャンネルになったそうだ、当時のマスターを借りてきて聞いてみる、マルチトラック化が進んでいた時代だったんだなー、40年と言う歳月を経て再生されるマルチトラックのテープ、 
 

 
今はデジタル録音でシーケンスソフトとかで録音ということになるんだが、これって後々のこと考えたらどうなるんだろうか?というのも同じ環境下でないとシーケンスソフトで作ったものの再生が出来ないからだ、
 
同じパソコン、同じメーカー、同じシーケンスソフト、同じ音源、エフェクター類、今後数十年後とかに同じように再生させるのはかなり厳しい、同じメーカーであってもバージョンの違いで動かないことも多い、同じバージョンでもパソコンが変わると動かなかったり?プロの現場って最近はPro Toolsが一般的だが、このあたりの管理方法ってプロの現場はどう管理してるんだろう?

 
氷の世界、73年12月発売、時代背景って1970年大阪万博、73年オイルショック、高度経済成長の真っ只中に一瞬影が忍び寄る、そんな時代だ、
 
音楽シーンでは1969年という節目の時代がその前にあった、1969年ビートルズ解散、ウッドストックコンサート、72年ディープパープルのマシンヘッドが発売、ハードロックとかプログレシブロックとかが台頭してきた時代だ、私的にはこの頃はやっと音楽を聴き始めたかなーというところ、氷の世界を買ったのはずっと後のことだ、
 
インタビューで陽水に氷の世界のコンセプトは?という問いに、不条理かなー!という答えだった、 

中学時代はラジカセは持っておらず、プレーヤーもあったものの、かなり貧弱なものしか持っていなかった、当然レコードもほとんど買っていなかったから情報はもっぱらラジオだったと記憶しているが、この頃の陽水とか拓郎とか何処で聞いたのだろう、 


 
今となってはさっぱり思い出せない、でもある程度は音楽知っていたから誰かの家で聞いたのだろうか、ただオールナイトニッポンは良く聞いていたのでこのあたりだったのかな?
 
亡き友人は陽水からビートルズへと進んでいった、若い頃はよく陽水がどうのビートルズがどうのこうのと話し合ったしコピーもやった仲だったんだが、最近は音楽熱は随分と冷めていたようにも思う、私の場合はなんか逆である、
 
仕事について以降は忙しさとかなんやらかんやらで停滞していたが40を過ぎてかなんか復活して、今の音楽シーンなんかもなかなか面白いなとも思っている、でも陽水氷の世界40年、改めて見てみると友人の死とか重なって時は流れたんだなーという気がしてならない、

 
番組の最後は氷の世界の最後に収められた”おやすみ”
I dedicate thissong to the late friends.
 
 


0 件のコメント:

コメントを投稿

Ibanez  AE325-LGS