2011年1月8日土曜日

喜多郎と空海

たけしの正月番組で日本の仏教と神社とを紹介する番組があった。この中で後半は日本の仏教会のスーパースター最澄と空海の特集、この二人がいなかったら日本の仏教もかなり変わっていただろうという。喜多郎の今のシリーズは空海なのだが何故に空海なのか?というのはいまひとつわからなかったのだがこの番組でちょっとだけわかった気がした。


とりわけ空海、最初最澄は仏教会ではエリート、若い頃から聖武天皇に受け入れられていた、そして二人は遣唐使の船の中で一緒になる、しかし最澄は天皇からのお墨付き、旅費から通訳まで付いていた、一方空海はその他留学僧でしかなかった、しかし当時密教の教えをたった二ヶ月でマスター、最澄は学び半ばにして帰って来いと言われる。帰国後立場は逆転、最澄が空海に教えを請うという立場になる。


その後二人は仲たがいになるのだがテレビでは密教の本を見せろという最澄に空海が見せなかったのが原因と話していたが、多分布教の仕方であろうかと思われる。最澄は国の力を借りて布教しようとしたが空海はあくまで密教の教え通りを守ったのではないか、
喜多郎が空海というシリーズを始めたのは合い通じるものが会ったのだろう、たしかNHKの四国八十八ヶ所という番組で四国巡礼をしている。音楽を担当したがたしか自身も番組に登場している。

密教というがその功績は四国を始め数多く点在しているし大師さまとして全国に点在しているのも考えると非常に幅広かったようだ、さらには高野山の参道には戦国の武将のが生前敵として戦っていたにもかかわらず同じ参道の墓地に眠っている。幅の広さを感じる。

高野山はテレビで見る限りさすがに山奥深く密教とい名にふさわしいところみたいだ、世界遺産の熊野古道もあるし一度訪れてみたい。

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