かつて転勤族であったので転々としていが、牛深が一番長かった、しかし思い返してみるといろいろあったが面白かったなー
私が赴任したのは20年くらい前か、5年間くらい住んでいた、赴任してすぐまず言葉がわからない、同じ熊本だがわからない、特に地元同士で話しているとわからない、
ちなみに言葉は同じ熊本でも菊池、熊本市内、八代から人吉、天草も本渡と牛深ではずいぶん違う、
赴任したはいいがアパートがない、仕方なく数か月男子寮に住んでいた、やっと見つかった一軒家、これがめちゃ古い一軒家、しかも港の入り口で目の前は海、海、うみー!ここは海底が砂地でイカがよく釣れるのでいつも誰か釣りをしている。
大きな船が通ると家が揺れる、しかも波が押し寄せ、前の道まで波がばしゃーんとかぶる、一度だけこの港にイルカが迷い込んできたのを見たことがある、
早朝船がバーッと出ていくんだが、船の音ってうるさく感じたことはなかったなー、そー言えば夜寝ていると遠くからポン・ポン・ポンといわゆるポンポン船、少しずつ音が近くなるんだがなかなかここまで来ない、いつ来るんだーじれったいなーと思いつつ眠りにつくなんてのもあった
この古い一軒家、裏ががけで草木も多かったせいもあるが夏は虫に悩まされた、げじげじというなんか初めて見た虫、やたらはや足で通り過ぎるのだがハエたたきでバシッとやると簡単に足がバラバラになる、問題はムカデ、えらいでかいのが出没、さすがにこれには閉口したなー、ちなみにこの辺りはムカデはだいたい多いらしい、あと雨漏りはひどいし、ネズミもいたな、すごいところだった、一年くらい住んでたか?
家ではないが一度サソリに似たのを見たことがある、なんでもサソリもどきという毒のない奴だそうで問題ないんだそうだがこんなんが道端で見たらびっくりする
(今回調べてみたら牛深が北限だそうで県の天然記念物になってるそう、毒はないと思ったら尻尾から酸に似た液を噴出するそうでこれはちょっとやけどしたようになるそうであぶないんだそうだ、最近はかなり減っているとのこと)
家に鍵をかけない、家をでるとき鍵をかけていたら隣のバーさんが「なんば鍵かけよっとねー」と怒られる、「鍵かけたら留守てわかるたい」、なんのこっちゃ??自分がいたころ配達の仕事もしていたが8割がた留守でも鍵がかかっていない、ということはまあどろぼうもいなかったということなんだろうが、今は変わったろうなー
配達の時送り状にフルネームで聞かないと大変なことになる、お客さんに任せて書いてもらうとだいたい地域名と名字だけだ、こうなると例えば浜だったらその地域一帯浜の姓である、住所も地域名だけであとは書かない、
コンビニもない、(まあ当時はそれほどコンビニは出来てなかったが、今はあるのかなー?)とにかく夜は真っ暗、パチンコ屋が一軒あったか?困ったのが病院だ、唯一市民病院があったなー、来た時はわからずに病院は困った、
魚はまさに新鮮、というかまだ生きてる、スーパーの鮮魚コーナーでトレーにパックされた魚がいきなりはねてドサッと落っこちてきたというのがあったなー
しかしいい魚とかアワビとかウニとか取れるんだがぜんぶこれらは商用、地元の口に入ることは少ない、そういうこともあってか何故か鮮魚コーナーでトロ箱市みたいなセールをやるとすごく売れていた、おばいけという白身クジラの部分はこの地域では必需品で鮮魚コーナーにはいつもあった、今はどうだろう?
港に海中遊覧船が走っている、サンゴ礁の北限で遊覧船で見られる、きれいだ、でも今は温暖化でサンゴ礁の北限は北上しているらしい、とにかくこういうところなんで海はめちゃきれい、
海中遊覧船が止まるわきに魚政という魚や兼レストランがあるんだが有名で舞台挨拶でも杉田かおるが松田美由紀からここのオムライスがおいしいってんで定食食べた後オムライスも食べたと話していた。
牛深市から西海岸を回ると茂串海岸という海水浴場がある、車を止めて10分ほど海岸沿いを歩かなければいけないがかつては地元の小学生御用達の穴場だったそうだ。だからすごくきれいで泳いでいてもそばに小さい魚が泳いでいたりした、若いのが来るようになって今はすっかり夏は若者ばっかりだ、
このあたりの魚貫という海岸線、とにかく夕日が絶景、天気がいいとき東シナ海に沈む夕日は本当に本当に絶景、
絶景と言えばやっぱり海はいい、晴れた日はとにかく海はいい、でも雨の時は雲なのか海なのかわからない、
お盆になると何故か大阪弁が増える、というのもこれは帰省した人のことだ、自分がいた時も地元の高校の8割は地元を出ていくそうでとりわけ関西方面が多いらしくて、従ってお盆などは大阪弁が飛び交っていたりする、
お盆と言えばこれまたびっくりしたことがある、お盆前にやたら花火が売れる、それも大型の打ち上げ花火のセット、そうお盆の時お墓や海に向かって打ち上げ花火がバンバン上がる、灯篭を飾った漁船が海へ出る、対岸では日蓮宗か?ドラやらなんやらじゃんじゃんやっている、ここのお盆は賑やかというかうるさい、最初はこれもびっくりした、
長崎が打ち上げ花火とかでバンバンやる風習があるがどうやら海伝いに伝わったのではないかなー
派手と言えば小学校の運動会、ほとんど家族親戚総出のお祭りだ、だから子供のいる主催者の家庭は大変だ、運動会の夜は大宴会でそういう家はこの日だけで山盛りの買い物をしていく、
お祭りと言えばこの映画の主題でもある牛深ハイヤ祭り、毎年4月に開催される、牛深ハイヤ節、なんでも各地に流れて行った踊りのルーツらしく徳島の阿波踊りもそうだという話がある、
この祭り出たことがある、この祭りの前会社のパートさんから仕事が終わってみっちり稽古、腰がはいっとらんとか言われていたが、牛深ハイヤ踊りはここの人にとっては子供のころから踊っていた踊り、身に沁みこんでいて特別なものがある。
いざ祭りが始まると何故かウサギの着ぐるみを着せられ後ろからキャンディを配るという配役になってしまったが…たぶんへっぴり腰の踊りはみせられなかったのだろう。
ところで牛深のパートさんとかの奥さんたち、実に強い、というのも牛深漁港、遠洋漁業の基地でもある、だから男は船に乗っていないことが多い、だから家を守るのは女の役目であった、今回の映画そういう一面もあるかなーとも思う、女の都ゆえんである、
そして舞台にもなった遊郭、自分がいた時もなんか立派な旅館みたいなのがあったので、あれはなんだと聞いた事がある、そしたら遊郭だという、なるほど昔はずいぶん栄えていたんだなーという名残だ、
天草で一番大きい町は旧本渡市だが、旧牛深市までは約50分ほどかかる、舗装されるまでは本渡市から2時間くらいかかったという、こうしてみると陸上より海上交通の方が昔は便利だったはずだ、
映画のクライマックスでは雪が舞っている。この映画のクランクインは1月で相当寒かったようだ、南の町に雪?とおもうかもしれないが天草は結構寒い、というか確かに最低気温は高いんだが、西のはずれに位置してることもあり、九州というところ結構冬は北風というより西風が強い、その最西端の土地柄、季節風が西よりで強いときは結構雪が降る。
自分がいた時もずいぶん積もった時があった、牛深から本渡までは山道なのでさらに厳しい、そんな中、道中えらい目にあったことがあったなー、
携帯が普及し始めたころでここ牛深でもドコモが使えるというので早速購入、家は一つ山を越えたところにあったのだが、家に帰ったら圏外だった、(もっとも家から携帯にかけることはないだろうが)
と言いつつもパソコンってやつを最初に始めたのは牛深だったなー、ネットを見たのもこのときからだったかなーEメールもパソコン通信とか言っていた頃だ、
釣り好きなら天国というところだが残念ながら釣りはさっぱりだった、というかこの頃は仕事ばっかりでたまの休みは疲れてたからなー、もうちょっとあっちこっち行けばよかった、
とまあ最初はびっくりの連続の日々だったが5年経って出るころはすっかりなじんでいたが、住めば都である、今はずいぶん変わったんだろうなー、
3年ほど前とある道の駅に牛深からと出張販売をやっていた、そこに地元では「にな」と呼ばれている(と思う)巻貝があったので買ってみた、この貝、牛深の飲み屋では必ずつまみに出てたやつだ、
今牛深どうですかと聞いたらやはり「ずいぶん寂れたよー」って言ってた、20年前はそういう感じはなかったんだが、タイトルに衰退都市No.1と出るくらいだからかなり状況は厳しいらしい、
わっげんおっげんの映画に戻るがやっぱり役者ってすごいな、まずは方言、これだけ短期間でしゃべれるってすごいもんだなーと感心した、それとやはりハイヤ踊り、三日間の練習があったというがそれであれだけ踊れるんだからなー、たいしたもんだ、
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