年末放映されたプロデューサー、ミュージシャンの佐久間正英氏が亡くなった、末期がんだった、享年61歳
この番組が制作された時はすでに医者から余命を宣告されていたようで、体はかなり衰弱している様子だった、
この人のことは名前は聞いたことあるな程度でキーボーディストかなくらいしか思っていなかったが、日本のプログレ先駆け的バンド四人囃子のベーシストから始まりプラスティックスへ、その後はBOWY、ジュディー&マリー、GLAY、ブルーハーツなど名だたるロックバンドのプロデューサーを手がけた人であった、
布袋寅泰やGLAYのたくろうのインタビューがあったがこの人のスタンスはバンドの持っている特色を最大に引き出すという感じかな、ストレートな直球勝負という気がする。
ここは抑えようか、ここはもっと出たほうがいいんじゃない?などまさに全体のまとめ役、プロデュースに徹した人だったようだ、決して押し付けることは無かったという。
レコーディングはミュージシャンがいかに力を発揮するかをいつも考えていたようだ、例えばジュディー&マリーのレコーディング、普通スタジオではマイクを持ってレコーディングすることはないんだが、マイクを持たないで歌っているのをぎこちなく感じた佐久間はハンドマイクを用意、そのままレコーディングに使ったそうだ、
前回井上陽水氷の世界40年のことを書いたが、このときのプロデューサーは多賀英典、こうして見てみると、陽水というミュージシャンをこういう形に作り上げたいというものを描きながらやっていたようだ、心もようなどは元になった歌詞があったが全く違っている、
こちらも前に書いた亀田誠司、いづれもミュージシャンからプロデューサーを手がけている、現在のJポップのプロデューサーはミュージシャンの経験とかが重視されているみたいだ、
佐久間氏が影響を受けたプロデューサーにアレックスサドキンという人がいるんだそうだ、雑に見えて非常に緻密、そのバランスが絶妙と言っていた。
こういう番組を見ていると歌謡曲からフォーク、そしてニューミュージックから今Jポップと呼ばれる日本の音楽シーンが見えてくる。
12月最後となってしまったレコーディング風景があった、佐久間氏は入院先から来た、体調はマックス悪かったようだ、
そして年を越した1月亡くなった、番組は日本の音楽シーンの貴重な1ページに加えられるだろう。
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