松任谷由美、デビュー時は荒井由美、たしかルージュの伝言で知ったと思う。その頃翳り行く部屋がシングル出てて、B面にベルベットイースターというのが入っていた。これはお気に入りだった。
卒業写真もあの日に帰りたいも聞いていたが積極的に聴くという感じでもなかった。のちにアルバムのひこうき雲とかミスリムとか聞いてみて、凄い感性の人だなーって思った。
赤い鳥の山本潤子が海を見ていた午後をSONGSで歌っていた。この詩の有名なソーダ水の中を貨物船が通るという歌詞がある。情景がふゎーっと浮かぶそんな歌詞だ。
その後の活躍はご存じの通りだろうが、こうして振り返るとニューミュージックと言う言葉はこの人からだなーって感じる。デビュー時からバックははっぴいえんどとか、随分ロック系のミュージシャンがついていた。時代はまだまだフォーク全盛時代、ジーンズにTシャツ、ギター引っさげて歌いまくりの時代に、荒井由美はなんていうか、おしゃれーってな感じかなー
山本潤子は赤い鳥ではいわゆるフォークと言う分野だったようだが、荒井由美に出会ってから、やはりもうちょっとポップにというコンセプトでハイファイセットを結成したそうだ。
やさしさにつつまれたならは当時も人気があったがジブリの映画にも採用されて再ヒット、今や多くのアーティストがカバーしている。これコピーしてみたい曲なんだが
楽曲提供も多いがその際呉田軽穂の名で提供している、ちょっと探してみたらすごい量だ。雨音はショパンの調べの詩もだったんだなー、松田聖子の瞳はダイヤモンドは好きだなー、薬師丸ひろ子のWの悲劇もいいなー、いちご白書をもう一度は自身が提供した曲でオリコン一位に初めてなった曲だそうだ。
最近松任谷由美の楽譜集を買った。まあ安かったからだがなんかコピーしてみたいな、
ウィキペディアで見てたらやはり当時四畳半フォークなんてのが全盛だったときPOPで抒情的、都会的とある。荒井由美の曲はニューミュージックと呼ばれるようになったターニングポイントに間違いない。
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